ナマステの意味とは?
日本でもまれに耳にする「ナマステ」ですが、アジア圏でも比較的一般的な言葉として用いられている言葉です。その意味は「相手に対しての敬意」をあらわした言葉となっています。本質的な意味としては「挨拶」としての意味に加えて敬意が含まれます。
そんな「ナマステ」ですが、今回は意味に加えてナマステの語源や、ナマステの語源となった言葉はどういった言葉なのか?また敬意を表す言葉として「ありがとう」とはどのような違いがあるのか?といった事についても紹介します。
さらに、ナマステが使われている国々での「ありがとう」という表現は実際にはどういう言葉になるのか。ナマステの特徴として、使われている国によってナマステの意味や使い方に違いはあるのか、といったことについてもご紹介します。
ナマステの語源
ナマステという言葉が生まれるその語源となった存在は、私たち日本人にも馴染みの深い「仏教」です。仏教で使われているお経、特に浄土真宗のような系列で使われているお経として知られている「南無阿弥陀仏」が、語源と言われています。
南無阿弥陀仏の「南無」が転じて「ナマステ」という言葉へと変化していったのではないか、という説が入力視されています。相手への敬意を表す意味を持った言葉ですので、阿弥陀仏への帰依を意味する「南無阿弥陀仏」が広く一般化したという考え方はきわめて自然な語源の説として考えられます。
それでは、「ナマステ」の語源となった南無阿弥陀仏はそのままでは日本語ですが、お経が渡ってきたのはどこからなのでしょうか?実は、そこにもナマステという言葉がアジア圏で広く使われている理由の一つとなっています。
ナマステは何語?
ナマステという言葉は、さまざまな地域、そして数多くの言語圏で使われていますが、結局何語なのかと言うと「サンスクリット語」となります。そして驚くべきことに、南無阿弥陀仏の語源となったサンスクリット語表記が存在します。
これは言い換えれば、元々はサンスクリット語を発祥とした経典であったお経が日本に渡ってくる際に、南無阿弥陀仏として翻訳されてきたという経緯があるのです。本来の表記では「南無」はサンスクリット語のnamo(ナモー)となり、これはnamas(ナマス)が語源とされています。
なお、サンスクリット語というのは、古代インドで用いられていた言葉で、現代では母語として使われている地域はごく少数となっている極めて古い言葉です。しかし、宗教的にも強い影響力をもつ言葉としてあらゆるインドの文化に根強く広がっています。
ナマスとは?
ナマステの語源として考えられる「ナマス」とはサンスクリット語においてどのような意味を持つ言葉なのかというと、”おじぎ”、”礼拝”、”挨拶”としての意味を持っています。すなわち、語源としての南無とサンスクリット語のナマスは循環参照と言えます。
いずれにしても現代インドにおける「挨拶」としての意味が、元来は「礼拝」や「おじぎ」としての意味しかもちえなかった「ナマス」というインドの古代語に、あたらしく「挨拶」という言葉として相手を意味する「te(テー)」を加えてできた言葉が語源や由来といわれています。
インドでの「ありがとう」
相手への敬意や挨拶の意味を込めた言葉として現代インドの言葉「ナマステ」は、それでは「ありがとう」という意味もこめられているのか?というとそうではありません。インドで「ありがとう」という言葉はまた別にあります。
インドでは「ありがとう」を「ダンニャヴァーダ テー(サンスクリット)」もしくは「ダンニャヴァード(ヒンドゥー)」として表現します。しかし、インドの文化においてこのような礼をかしこまって述べることはまずありません。
というのも、インドの文化としてお互いに敬意を持って関係を築いているからそこまでの礼は必要ない、という思想がインドにはあるからです。また、相互互助が基本精神であるために、礼を述べる様な状況にならない、というのがインドの文化となっています。
ネパールでの「ありがとう」
おなじくサンスクリット語の系譜につらなるネパール語では、「ナマステ」が「ありがとう」という意味をもつことはありません。こちらも敬意と挨拶を表す言葉ですので、ありがとうという言葉はまた別にあります。
ネパールではインドのようにヒンドゥーよりの言葉はなく、サンスクリット語が偏移したネパール語で表現されます。「ダンネバード(ありがとう)」もしくは「デレィ デレィ ダンネバード(どうもありがとう)」として表現します。
ネパールでも同じく仏教の思想が強く根付いているので、友人や仲間同士の関係でそこまでしっかりとしたお礼を述べることはありません。相互互助の制振が強く根付いているので、敬意と挨拶を意味する「ナマステ」だけで十分にお互いを敬愛し尊重できるのです。
ナマステの特徴
仏教的に「ナマステ」に込められた敬意と挨拶の意味によって、サンスクリット語の影響を色濃く残す仏教圏の挨拶の習慣は必然的に「ナマステ」の一言で足りてしまいます。つまり、「おはよう」も「こんにちわ」も、「こんばんわ」も「さようなら」も「ナマステ」を使うという特徴があります。
現代ではナマステの意味に込められている「ナマス=敬愛と敬意の気持ち・挨拶の言葉」を「テー=あなたに対して」という行為そのものによって、互いに互いを深く認め合い、互いの存在を尊重しあうという行為に繋がっているので、「ナマステ」の言葉だけで事足りているのです。
なお、古代サンスクリット語では「ナマス」には「敬礼・服従する」という意味があり、仏教用語としては教えや御仏への服従と信仰を意味することがであったと伝わっています。
ナマステを使う地域
仏教用語ですから基本的にはヒンドゥー、ジャイナ、仏教圏が「ナマステ」を挨拶にしている文化圏に当てはまります。とくにサンスクリット語の影響が残されている地域は確実に「ナマステ」を挨拶として用いる文化圏になります。
国として一部地域を含めて「ナマステ」が挨拶として一般的に用いられている場所には、インドやネパールは当然として、タイの一部やマレーシア、中国の一部でも「ナマステ」を日常会話として使っています。
ネパールのナマステの意味と使い方
ネパールでの「ナマステ」の使い方は極めてフランクな挨拶としての立ち位置となっています。そのために友人や知人、仲間内や目下の相手に対して使う言葉となっているので、使うときには少し注意が必要です。
ネパールでの「ナマステ」が意味するところは、「よう!」「こんにちは」「おはよう」「こんばんわ」「さよなら」などの意味で通じます。正確な発音としては「ナマステー」と、語尾を少し伸ばすと良いでしょう。
タイのナマステの意味と使い方
タイでの「ナマステ」の意味としては、使い方として基本的にインドと同様の意味をもちます。相手に対しての敬意と敬愛および挨拶としての役割を果たす挨拶で、合唱をして挨拶をかわす仕草を総称して「ワイ」と表現しています。
しかし、タイの公用語でのあいさつは総じて「サワッディー」なので、実際には「ナマステ」ではなく「サワッディー」と挨拶をすることがほとんどです。ごくごく一部のみのマイノリティーな挨拶となっていますので注意しましょう。
ヨガのナマステの意味と使い方
日本でのブームを巻き起こしたヨガ教室などでさかんに行われていた「ナマステ」の挨拶では、教授されたことに対する礼として「ありがとう」の意味で「ナマステ」が用いられています。ヨガはインドを発祥とする修業の一つであったことから、より仏教的な意味に傾倒しています。
つまり、ヨガにおける「ナマステ」は本場インドの「ナマステ」よりもさらに古代サンスクリット語に通じる「ナマステ」の意味に近い印象をもった言葉として用いられているのです。内省に主眼を置いたヨガの在り方はそのような土壌に育まれた言葉です。
心身をより高みへと至らせるための講師への敬愛と敬意の意味を込めた使い方として、「ナマステ」という挨拶が使われていると思えば、たんなる体操ではないヨガのまた違った考え方を見つける事ができます。
そのほかで使われているナマステ
日本でもヨガ以外に、インドやネパールの雑貨店やカレー店などのレストランでは、インドやネパールから来日している従業員や経営者の方から「ナマステー」と挨拶を頂戴することがあるでしょう。そうしたときには怖気ずに「ナマステー」と合掌とともに返答しましょう。
ナマステの敬語
ナマステという言葉はネパールでは比較的フランクな言葉として用いられています。そのため、目上の人や上司など、そのまま「ナマステー」と挨拶してしまうと角が立ってしまう場合には、「ナマステー」の敬語にあたる意味の言葉を使うことになります。
「ナマステ」の敬語として使われている言葉には、「ナマスカ」もしくは「ナマスカール」ということばが使われています。それぞれの意味と使いどころについてご紹介します。
ナマスカの意味と使い方
「ナマステ」が日常会話における挨拶としての意味で「おはよう」や「こんにちわ」を意味するとすれば、「ナマスカ」はもう少し丁寧な意味をもった言葉となります。日本語で訳すと「おはようございます」「失礼いたします」「どうぞよろしくお願いいたします」といった意味と言えます。
使い方としては、目上の人や年配の人たちに対して挨拶をする際に、深い敬意を意味する挨拶という意味で「ナマスカ」を使います。尊敬や敬愛をより大きく、そして丁寧に表す言葉の使い方として「ナマスカー」と表現しています。
ナマスカールの意味と使い方
おなじく「ナマステ」の丁寧な表現として言われる「ナマスカール」ですが。これは「ナマスカ」をより口語として表現した際の日本語表記となります。意味は先ほどご紹介した「ナマスカ」と全く同じで、使い方も同様です。むしろ「ナマスカール」で覚えた方が伝わりやすいと言えます。
ナマステの使い方
ナマステに込められた意味として、仏教的な意味やインドの公用語としての意味、それからネパールでのフランクな意味についてご紹介してまいりました。では、日本において「ナマステ」を使うシーンがあるとするならどのようなシーンなのでしょうか?
例文①
「インド人の友人との挨拶はいつもナマステだけだ」。これは日本の習慣とインドの習慣の違いを端的に表している例文です。敬虔な仏教徒ではなくても、ナマステという挨拶が習慣になっている友人とのやりとりは気安いものです。
例文②
「先日、はじめて行った本格派のインドカレーのお店の人に挨拶を受けたので、慌てずにナマステと返して料理について語り合った」出店したばかりの店舗では顧客の評価が気になる所ですが、その例に漏れず店主が聞きに来られたようです。
例文③
「先日、ヨガ教室のオーナーに先生が”ナマスカール”と挨拶をしていて疑問に思った」オーナーに対して最上位の敬意を意味する挨拶をみて、普段使っている「ナマステ」との意味の関連性に疑問を感じた例文です。本場の空気を感じる事ができる貴重な体験と言えます。
例文④
ある口コミでは、「ナマステを気軽に使うと本場インドの人にとって失礼にあたることがある。気軽にナマステを使ってはいけない」という発言が話題になりました。しかしこれはとんだデマで、挨拶ですから使い方としては気軽に使って問題ありません。
ナマステはあいさつという意味
「ナマステ」が元来どのような意味を持った言葉だったのか。また語源となるサンスクリット語では、仏教用語としてとても高尚な意味があったということ含めて、「ナマステ」は、とても幅広い敬意と敬愛を意味した言葉であることがわかりました。
インドやネパールをはじめとした仏教圏の方々が、「ナマステ」という言葉の中に込められた様々な感情や尊敬、そして畏敬の念をなんのてらいもなくお互いに伝え合うような習慣を持っているということで、ありがとうという当たり前の言葉すら必要ないという文化には感動すら覚えます。
そのように非常に高い精神世界を構築している古代サンスクリット語を語源にもつ仏教的精神の象徴とも言える「ナマステ」という挨拶の中に込められた人間社会をより円滑にする為のヒントが、私達がこれから築いていくべき本当に理解し合える相互社会のあり方を指し示しているのかもしれません。
ハイテク産業が次から次へと新しい世代へと移り変わっていく中で、技術ばかりを高めていくのは正しい道とは言えません。ですから、私たち人間の精神性においても、より高みを目指していかなければならないと言えます。
そうした意味でも、まずは友人知人への敬愛を常日頃表に表せるような、徳の高いあり方を心がけていくことが大切なのではないでしょうか。