「筆舌に尽くしがたい」の意味とは?
小説やエッセイ、体験談などを読むと、時々「筆舌に尽くしがたい」という言葉にお目にかかります。これは書いたものに現れる書き言葉で、日常会話やアナウンサーなどが話す話し言葉ではありません。
先ずこの「筆舌に尽くしがたい」の読み方ですが、これは「ひつぜつにつくしがたい」という読み方をします。
次に「筆舌に尽くしがたい」の意味ですが、先ず「筆舌」の意味は「ふで」と「した」です。つまり筆で書くことと舌で話すことです。そして「筆舌に尽くしがたい」は「文で書いても口で話してもとても伝えられないほど甚だしい」という意味です。
「筆舌に尽くしがたい」の対義語・類語
上に述べたように「筆舌に尽くしがたい」の意味は「書いても話しても伝えられないほど甚だしい」ということでした。
では、その「筆舌に尽くしがたい」と反対の意味をもつ対義語的表現や「筆舌に尽くしがたい」と同じ意味を持つ類語的表現にはどんなものがあるでしょうか?
以下に「筆舌に尽くしがたい」の対義語的表現を2つ、また「筆舌に尽くしがたい」の類語的表現を2つご紹介します。
対義語①
「筆舌に尽くしがたい」の対義語的表現として最初にご紹介するのは「平凡な」という言葉です。この読み方は「へいぼんな」です。
この言葉の意味は「どこにでも見られる」、「ごく普通の」、「平々凡々とした」ですから、程度が甚だしいという意味の「筆舌に尽くしがたい」の対義語的表現になります。
対義語②
「筆舌に尽くしがたい」の対義語的表現として2番目にご紹介するのは「在り来たりの」という言葉です。この読み方は「ありきたりの」です。
「在り来たりの」の意味は「どこにでも在る」、「ありふれた」、「当たり前の」ですから、これもまた、「程度が甚だしい」という意味を持つ「筆舌に尽くしがたい」という言葉のもう一つの対義語的表現になります。
類語①
「筆舌に尽くしがたい」という言葉の類語的表現として最初にご紹介するのは「言語を絶する」という言葉です。この言葉の読み方は「ごんごをぜっする」です。
この「言語を絶する」という言葉の意味は「言い表す言葉が見つからないほど甚だしい」ですから「筆舌に尽くしがたい」と同じ意味になり、「筆舌に尽くしがたい」の類語的表現になります。但し「言語に絶する」には後に「苦痛」とか「惨状」とか悪い意味の言葉が続く傾向があります。
類語②
「筆舌に尽くしがたい」という言葉の類語的表現として2番目にご紹介するのは「得も言われぬ」という言葉です。この言葉の読み方は「えもいわれぬ」です。
この言葉の意味は「言う言葉がないほど甚だしい」とか「言い様がないほど甚だしい」ですから、「筆舌に尽くしがたい」と同じ意味となり、「筆舌に尽くしがたい」の類語的表現になります。但しこの言葉の後には「得も言われぬ良い景色」という風に肯定的な言葉が付く傾向があります。
「筆舌に尽くしがたい」の使い方・例文
上に「筆舌に尽くしがたい」という言葉の意味と、その言葉の対義語的表現を2つ、また類語的表現を2つご紹介しました。
今度はこの「筆舌に尽くしがたい」という言葉の使い方を例文でご紹介します。この言葉はどちらかと言うと否定的な意味で「程度が甚だしい」という場合に使われる傾向があります。そこで否定的意味の使い方の例文を3つ、肯定的な意味の使い方の例文を1つ、ご紹介します。
例文①
「筆舌に尽くしがたい」という言葉の使い方の例文として最初にご紹介するのは「あの大津波で両親を失って、筆舌に尽くしがたい悲しい思いをした。今もその悲しみは消えることがない。」という例文です。これは「筆舌に尽くしがたい」の否定的な意味の使い方の例文です。
例文②
「筆舌に尽くしがたい」という言葉の使い方の例文として2番目に挙げるのは次のような例文です。これも「筆舌に尽くしがたい」という言葉の否定的な意味の使い方の例文です。
「あの大地震の後の避難所生活では筆舌に尽くしがたい辛酸を舐めた。」という例文です。「辛酸を舐めた」の読み方は「しんさんをなめた」で、意味は「辛い思いをした」です。
例文③
「筆舌に尽くしがたい」という言葉の使い方の例文として3番目に挙げるのは次のような例文です。これもやはり「筆舌に尽くしがたい」という言葉の否定的な意味の使い方の例文です。
「偶々あの交通事故の現場に立ち会って筆舌に尽くしがたい惨状を目の当たりにした。」という例文です。「目の当たりにした」の読み方は「まのあたりにした」で、意味は「目撃した」です。
例文④
「筆舌に尽くしがたい」という言葉の使い方の例文として4番目に挙げるのは次のような例文です。これは「筆舌に尽くしがたい」という言葉の肯定的な使い方の例文となっています。
「あの山頂から見たご来光は筆舌に尽くしがたい神秘的な光景であった。それは今も目に焼き付いていて生涯忘れ難いものである。」という例文です。
「筆舌に尽くしがたい」と「言葉にならない」の違い
以上に「筆舌に尽くしがたい」という言葉の意味、その言葉の対義語的表現と類語的表現、その言葉の使い方の例文、などをご紹介して来ました。
この「筆舌に尽くしがたい」という言葉と一見よく似た言葉として「言葉にならない」というものがあります。この2つの言葉の違いについて検討します。
「言葉にならない」は「絶句する」という意味
「言葉にならない」という状態は「衝撃が大き過ぎて言葉が出ない」という意味です。これに対して「筆舌に尽くしがたい」は「表現のしようがないほど程度が甚だしい」という意味ですから、前者は当人の感情の表現であるのに対して後者は起こった事態の程度の表現である点が違います。
「筆舌に尽くしがたい」を使う際の注意点
以上に「筆舌に尽くしがたい」という言葉の意味、対義語的表現、類語的表現、使い方の例文などをご紹介して来ました。この言葉の意味を考えると、この言葉はいつでも使えるわけではないので注意が必要です。その点について以下にご説明します。
中程度では使えない
「筆舌に尽くしがたい」という言葉の意味は「表現しようがないほど程度が甚だしい」という意味でした。惨状や悲しみ、苦痛など否定的な状態でも、美しい風景など肯定的な状態でも、とにかく非常に程度が甚だしい場合に使う言葉です。従って程度が甚だしくない中程度の場合には使えません。
「筆舌に尽くしがたい」の由来・歴史
以上に「筆舌に尽くしがたい」という言葉の意味、対義語と類語、使い方、この言葉を使う際の注意点などについてご説明して来ました。
今度はこの言葉の由来、すなわちこの言葉のルーツを辿り、そしてこの言葉はいつ頃、どんな風に使われて来たかという歴史を探ってみます。
由来
「筆舌に尽くしがたい」という言葉はどこから生まれてきたのでしょうか?その意味は「表現する言葉もないほど程度が甚だしい」という状態を表す言葉です。
誰でも、余りにも甚だしい災難や苦しみ、また美しさなどを目の前にすると自ずと言葉を失うという状態に陥ります。この「言葉を失う」というところから「筆舌に尽くしがたい」と言う言葉が生まれて来たのです。
歴史
「筆舌に尽くしがたい」という言葉は書き言葉ですが、言文一致体が取り入れられた明治時代になって生まれた言葉です。従って文語が用いられていた江戸時代以前には使われた例は見られません。
明治時代になると使用例が現れて来ます。例えば明治時代の思想家、綱島梁川(つなしまりょうせん)は「筆舌の尽くし得る所にあらず」という使い方をしています。
また、明治~昭和に亘って活躍した博物学者の南方熊楠(みなみかたくまぐす)は「言語筆舌に述べ得ざる奥義あり」という使い方をしています。
また、大正時代の小説家、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)は「ほとんど筆舌を超越した哀切の情」という使い方をしています。
「筆舌に尽くしがたい」の英語表記
今度は「筆舌に尽くしがたい」を英語では何と言ったらよいのか、その英語表記を検討してみます。日本語の「筆舌に尽くしがたい」はことわざとして定着している慣用句ですが、英語にこれに当たる慣用句はありません。
意味の上で同じになる英語を挙げてみると、「beyond description(表現を超えた)」、「words cannnot describe(言葉で表せない)」、「speechless(言いようのない)」などがあります。
「筆舌に尽くしがたい」は「表現できないほど甚だしい」という意味
「筆舌に尽くしがたい」という言葉は「とても言葉で表現できないほど程度が甚だしい」という意味を表す慣用句です。これは災害、惨状、悲しみ、苦しみなど否定的な事態に使われることが多いのですが、美しい風景のように、肯定的な場合にも使われます。
この言葉の意味、類語と対義語、使う際の注意点、由来と歴史、またこの言葉の英語表記などについてご紹介しました。