「賽は投げられた」の意味とは?
「賽(サイ)は投げられた」は、比喩的なことわざの一つで「始まったからには、後戻りはできない」という意味です。スポーツの試合では「ついに決戦の火蓋が切って落とされました。賽は投げられたので両者ともに後には退けません」のような使い方をします。
ドラマや映画のコマーシャル映像では「壮大な歴史の中を、賽は投げられたかのように果敢に疾走する、勇気ある1人の若者の姿を描いた歴史絵巻です!」のように表現します。
つまり「賽は投げられた」とは、始まったからには後戻りせずに一心不乱に突き進むというポジティブな意味と、始まってしまったのだから進むしか道はないというネガティブな意味を併せ持っています。
「賽は投げられた」の由来
「賽は投げられた」ということわざの由来は古く、古代ローマ時代にあると言われています。「賽は投げられた」の「賽」の読み方は「さい」でサイコロのことを意味しています。
サイコロは賭けの道具として使われているので、サイコロが投げられた後では、賭け金を変更したり賭けを止めることはできません。
そのことから「賽は投げられた」は「後戻りや変更することはできない」という意味になりました。つまり「賽は投げられた」の意味の由来は「サイコロ」と「賭け」にあるのです。
「賽は投げられた」の由来にまつわるエピソードには、古代ローマ時代の英雄ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が放った言葉があります。当時、北の防衛戦として知られていたルビコン川があり、その川を軍隊が渡る行為は禁止されていました。
しかし、カエサルは元老院の召喚命令に反旗を翻し、ルビコン川を渡るときに「alea iacta est」と言い放ったのが由来と言われています。「alea iacta est」はラテン語で「賽は投げられた」という意味です。
つまり軍隊と共にルビコン川を渡る行為は禁止行為です。その行為を行ったカエサルは「もう後戻りはできない」と覚悟を決めてラテン語で「賽は投げられた」と言い放ったのです。
この軍隊のエピソードが後に伝えられ「賽は投げられた(alea iacta est)」が「後戻りはできない」という意味になった由来です。
このように「賽は投げられた」ということわざは、サイコロ賭博や古代ローマの軍隊の進軍(カエサルの言葉)に由来しています。その由来に基づく意味は、現在でもスポーツやビジネスの中で生かされ使われています。
現在の社会で、後には退けない緊迫した状況のときに「賽は投げられた」ということわざが使われるのは、サイコロの目は投げた後では変えられないことに由来し、また古代ローマの英雄カエサルがルビコン川を渡るときに、後戻りができない状況をサイコロの目にたとえたエピソードに由来しています。
「賽は投げられた」の類語・対義語
類語とは「賽は投げられた」と同じような意味を持ち、言い換え表現ができるような言葉のことで、同義語または類義語とも呼ばれます。
対義語とは「賽は投げられた」と反対の意味を持つ言葉で、反対語とも呼ばれます。それでは類語と対義語を検証することで「賽は投げられた」の意味を、さらに深く調べてみましょう。
類語
「賽は投げられた」の意味は、「もう後戻りはできない」という状況を比喩したことわざの一つです。この意味と似たような類語や言い換え表現がいくつかありますが、「賽は投げられた」と全く同じではありません。微妙な違いがあります。
また類語の中には読み方が難しい難解な言葉もあります。これらの読み方や意味の違いを知っておくことは、ボキャブラリーを豊かにしビジネスシーンでも表現の幅が広がり非常に役に立ちます。それでは「賽は投げられた」の類語・言い換え表現の意味や使い方、違いなどを紹介します。
「あとは野となれ山となれ」の意味
「あとは野となれ山となれ」は「目先のことを解決できれば後のことはどうなっても良い」という意味で、少し無責任な印象がある類語です。後戻りはできないのでとにかく目の前にある問題を解決して、後のことは成り行きに任せるという投げやりなところがあります。
後戻りはしないという意味では似ていますが、「賽は投げられた」には無責任な開き直りのニュアンスはありません。投げやりとは「匙(さじ)を投げる」という意味で、あきらめるという心理で非常にネガティブです。
例えば「嫌な仕事ばかりを押しつけられるこの会社には未練がないので、とりあえず適当に仕事を片付けて、あとは野となれ山となれです」のような使い方をします。
例文でもわかるように「どうにでもなれ」というネガティブな表現で「賽は投げられた」とは根本的に意味が違います。類語だからといって、「賽は投げられた」の言い換え表現に間違えて使わないように注意しましょう。
「人事を尽くして天命を待つ」の意味
「人事を尽くして天命を待つ」の読み方は「じんじをつくしててんめいをまつ」で、物事を全力でやりきった後の結果は、全て天に任せるという非常にポジティブな意味のことわざです。
物事を全身全霊をかけてやりきれば、結果はおのずとついてくるという意味で、決して投げやりな気持ちではありません。全力を尽くしたのだから後は天運に任せろ、結果は天が決めることだから気にやむ必要はないとポジティブに考えろということわざです。
言い換えると、結果を気にせず全力を尽くして努力することが肝心で、やり終えた後は無駄なことは考えずに天に任せろ、というポジティブ思考の強いことわざです。
全力を尽くすというところに重きが置かれているところが「賽は投げられた」と少し違うところです。「賽は投げられた」も勿論全力を尽くすのですが、後戻りができない状況なので前に進むしかないというネガティブな部分を含んでいます。
「人事を尽くして天命を待つ」の「天命を待つ」は他力本願的に運に任すという意味ではなく、人事を尽くした後は細かいことに気を取られずに前向きに(ポジティブに)天命を待ちなさいという意味です。
「乾坤一擲」の意味
「乾坤一擲」の読み方は「けんこんいってき」で、非常に難しい漢字を使った四字熟語のことわざです。「運を天に任せて大勝負に出る」という意味があり、「人事を尽くして天命を待つ」と同様に非常にポジティブな表現です。
「乾坤」とは易(占い)の卦(け)にあたる「乾」と「坤」をいい、天と地を意味します。「一擲」とは、一度に全てを投げうつという意味があります。
つまり「乾坤一擲」とは、一度に全てを投げ出して、結果は占いの易のように運を天に委ねる、つまり覚悟を決めて大勝負に出ることを比喩したことわざです。
大勝負とは、ギャンブルだけではありません。スポーツでもビジネスでも人生でも大勝負をかける場面は必ずあります。結婚相手にプロポーズをするのも、マイホームを購入する決断も人生の大勝負です。
そんな時に「乾坤一擲」という言葉が勇気を与えてくれるかも知れません。また読み方が難しいことわざの意味や使い方を知っていることは、ボキャブラリーの豊富さを証明することになりビジネスでも一目置かれ自信にもつながります。ぜひ覚えておいてください。
「ルビコン川を渡る」の意味
「ルビコン川を渡る」は「彼は会社を辞め脱サラで商売を始めるつもりだけど、ルビコン川を渡るようなものだよ」のように「賽は投げられた」の言い換え表現として使いますが、前述の古代ローマの英雄ユリウス・カエサルのエピソードを知らない人には何を言っているのか全く理解できません。
つまり「ルビコン川を渡る」ということわざの意味は、カエサルのエピソードに由来する「川を渡ったらもう後戻りはできない」という覚悟を比喩した言葉で「賽は投げられた」の言い換え表現です。
「ルビコン川を渡る」を初めて聞く人に「ルビコン川はイタリアに流れる川で、古代ローマの英雄カエサルが軍隊を率いてこの川を渡るときに賽は投げられたと言ったことが由来です」と説明できれば少し鼻が高くなります。
このように「賽は投げられた」の類語・言い換え表現には、読み方が難しく意味が難解なものが多いのです。「賽は投げられた」そのものも読み方や意味が難しいので、当然といえば当然です。
「人事を尽くして天命を待つ」や「乾坤一擲」「ルビコン川を渡る」のように読み方が難しく難解なことわざの意味と由来を知っていることは、知識とボキャブラリーの豊富さをアピールできるので、ちょっとした優越感が味わえて自信がつくので是非覚えておきましょう。
対義語
「賽は投げられた」の対義語は「白紙に戻す」で読み方は「はくしにもどす」です。対義語とは反対の意味を持つ言葉のことで、「賽は投げられた」は後戻りできないという意味なので、その反対は後戻りができることです。
「白紙に戻す」とは、何もなかった状態に戻す、または何もなかったことにして水に流すという意味です。何もない状態なら後戻りができるので対義語になります。
白紙とは、何も書かれていない白い紙のことです。「白紙に戻す」とは、何も書かれていない白紙の状態に戻すということで、取り決めていた事柄などを取り消すという意味もあります。
例えば「今回のプロジェクトは、中途ではありますが一旦白紙に戻すことが決定しました」また「御社との契約は、検討の結果白紙に戻させていただきます」の例文のような使い方をします。
しかし「白紙に戻す」には、それまでかけてきた労力や努力を全て捨てることになります。白紙に戻すには、それなりの覚悟とパワーが必要です。「賽は投げられた」を遂行するにもパワーが入りますが、対義語の「白紙に戻す」にもパワーが必要ということです。
「賽は投げられた」の英語表現
「賽は投げられた」を英語ではどのように表現するのでしょう。「The die is cast. We can’t turn back.」という例文があります。意味を直訳すれば「サイコロが投げられたので、もう後に戻ることはできません」という意味です。
「die」の読み方は「ダイ」で、サイコロという意味です。日本ではサイコロのことをダイスと言いますが「die」は「dice(ダイス)」の単数形です。日本語では「賽は投げられた」と過去形で表現しますが、英語では「The die is cast」と現在形で表現するのが通例です。
現在形と過去形の違いはあっても「賽は投げられた」と「The die is cast」は、後戻りはできないという比喩表現で意味も同じです。これにはサイコロにまつわる古代より伝わるギャンブルの歴史とエピソードが影響しているのではないでしょうか。
「賽は投げられた」の使い方・例文
「賽は投げられた」の意味には、始まったからには後戻りができないので全力でやり通すというポジティブな面と、始まってしまって後戻りができない状況を打破するためにやむなく前進するというネガティブな面の両方が混在しています。
「賽は投げられた」の使い方や例文にも当然両面があります。ポジティブとネガティブとは意外に判別しにくいものです。自分ではポジティブと思っていても実際にはネガティブな使い方をしている場合があります。
ポジティブとネガティブとを正しく確認できるように、例文で仕分けして紹介していきます。これらを参考にして「賽は投げられた」の使い分けができるようにしましょう。
例文①
「今月の売上目標を昨年の20%増と高めに設定したのは、士気を高めるためです。賽は投げられたのだから目標に向かって邁進しましょう」の例文では「売上目標20%増」を掲げることでポジティブに士気を高める使い方ですが、始まったからには邁進しましょうというネガティブな部分もあります。
「先日の商談では、企画の変更の提案がなされたけれど、すでにプロジェクトは進行中で賽は投げられているのだから、全面的な変更は不可能ですが、できる限りの検討は努力しましょう」の例文のような使い方をします。
この例文での「賽は投げられた」の使い方には、「全面的な変更は不可能」というネガティブな部分と「できる限りの検討・努力」というポジティブな部分が混在しています。これが「賽は投げられた」が本質的に持つ意味です。
例文②
「Jリーグの天王山ともいうべきA・B両チームの対戦が、国立競技場を舞台にAチームのキックオフで勝負の幕が落ち賽が投げられた」「東京国際マラソンは、外国招待選手6名と国内有力選手20名を含む総勢80余名で、号砲とともに勝負が始まり賽が投げられました」のような使い方をします。
これらの例文の「賽が投げられた」は全力で勝負にかけるという意味で非常にポジティブに見えますが、始まったからには後には退けない、前に進まなければというネガティブな面もチラホラとかいま見えます。
「賽は投げられた」は「後戻りはできない」という意味
「賽は投げられた」は、サイコロ(賽)を振った後には賭けを止めることができない、また古代ローマの英雄カエサルの言葉に由来して「後戻りはできない」という意味です。
しかし、後戻りができないので全力で突き進むというポジティブな面と、突き進むしかないというネガティブな面の両方が混在することわざです。
ここまで「賽は投げられた」の意味や使い方、類語や言い換え表現などを紹介してきました。類語の中には読み方や意味が難解なものが多くあります。
難解な言葉の意味や使い方を知ることは、ボキャブラリーという頭の図書館の蔵書を増やすことです。「賽は投げられた」にまつわるこれらの記事を参考にして、ぜひ頭の図書館を豊かにしてください。