イマジナリーフレンドの意味
イマジナリーフレンドは、「イメージの中の友達」のような意味があります。そのため、空想の友達といった呼び方もされているのです。イマジナリーフレンドとは、具体的にはどういう存在なのでしょう?また、その存在にはどのような意味があるのでしょう?それについて詳しく知れば、おかしく見えた子供の行動にも説明が付くのかもしれません。
自分にしか見えない空想の友達
イマジナリーフレンドは空想の友達です。そこにしか存在しないので、その人の目にしか見えないのが特徴です。子供が、目の前にいない誰かと話している、遊んでいる。そんな現象に出くわしたことはありますか?大人はそれに何か原因があるのかと驚いてしまいますが、子供は、自分にしか見えない空想の友達とコミュニケーションを取っているだけなのです。
イマジナリーフレンドは空想の中に住むものですが、頭の中にいるだけではありません。時には現実世界に登場し、あたかも目の前にいるような感覚で接することも出来るようです。人によっては、イマジナリーフレンドに具体的な容姿が備わっている場合もあります。子供が目に見えない相手と遊んでいるのも、この擬視化によるものだと考えられています。
イマジナリーフレンドとイマジナリーコンパニオンは同義
イマジナリーフレンドと同じ意味で、イマジナリーコンパニオンという言い方もあります。共に同じ意味を持つ言葉であり、その意味にほとんど差はないように思われます。敢えて言うと、コンパニオンは「何かを共に行う相手」「仲間」の意味合いがあります。イマジナリーコンパニオンの場合は、何はともあれ何かを一緒にやる相手であるということなのです。
一方でフレンドとは、距離や時間を超越した繋がりを持つ相手のことを意味します。遠くに住んでいて、長い間連絡も取っていないような相手はコンパニオンではありません。それでもそこに繋がりを感じるなら、それはフレンドなのです。イマジナリーフレンドに関わる文献では、コンパニオンという表現が優勢のようではあります。
物の擬人化はイマジナリーフレンドではない
子供はぬいぐるみやお人形を友達のように扱い、仲良くすることがあります。これも空想による行動ですが、実は、イマジナリーフレンドとは別物なのです。イマジナリーフレンドは本人以外の目に見えない友達なのですが、ぬいぐるみなどの物体に人格があるように想像するというのは、イマジナリーフレンドとは一線を引いた現象のようです。
人格を入れる対象があっての空想の友達はPO(Personified Object)と呼ばれ、日本人に多く見られるという調査結果もあります。西洋圏では物体をを擬人化するということはあまりなく、多くが目に見えない存在だということです。日本は物を大切にし、魂や神が宿ると考える文化です。そんな背景が、空想の友達の持ち方にも影響しているのかもしれません。
イマジナリーフレンドを持つ原因は?
多くの場合、子供がイマジナリーフレンドを持つことには何らかの原因があるわけではなく、発達の過程で起こる一過性の現象です。しかし、ケースによっては、ただ楽観視するわけにはいかない状況が原因となっていることもあるのです。人はなぜ、イマジナリーフレンドを持つのか?その原因について、様々な観点から詳しく見ていきましょう。
健全な発達過程の一部
心理学者マージョリー・テイラーによる3~4歳児を対象にした調査では、60%以上もの子供たちがイマジナリーフレンドを持つということが分かっています。また、2~6歳頃までの間にイマジナリーフレンドを持っているということは、不審な原因のないごくごく一般的なことだとされています。空想の友達を持つ子供は特別な子供、というわけではないのです。
イマジナリーフレンドの研究をしてきた心理学者や精神科医によれば、それは子供の発達過程で現れる一般的な現象で、心配な原因が必ずしもあるわけではないとのこと。子供が持つイマジナリーフレンドが研究対象である発達心理学者たちは、そういう結論に至っています。子供だけが持てる不思議な友達、それがイマジナリーフレンドだとも言えます。
現実と空想が混同しているわけではない
現実と空想の混同が原因で、子供の中にイマジナリーフレンドが生まれるわけではありません。イマジナリーフレンドの存在は、以前はそこが原因だと考えられていましたが、現在では子供の健全な発達過程の一部であることが分かっています。子供が空想の友達と遊ぶのは、その子が健康に発達している証だと言うことも出来ます。
大人でイマジナリーフレンドを持っている人は病気?
ここまで、イマジナリーフレンドは子供が持つものであるという前提で話をしてきました。しかし、実はそうでもないのです。子供ほど多くはありませんが、大人になっても空想の友達がいるという人も存在します。子供の発達過程の一部であるイマジナリーフレンドが、なぜ大人の中にも存在しているのでしょうか?その理由について、例を挙げてご説明します。
解離性障害の場合
自分が持つ意識や記憶というのは、当然ながらひとつにまとまっているものです。解離性障害というのは、そういったものをまとめる感覚が失われている状態のことです。この状態が原因で大人の中に生まれるイマジナリーフレンドは、解離が引き起こす自分の中の別人格(解離性同一性障害=多重人格)である可能性があります。
創造性が強い人の場合
子供がイマジナリーフレンドを持つ能力は、大人が架空の世界を創造する力と関連があるとも考えられています。フィクションを描く小説家や映画監督、役者などの職業に就く人には、創造性の強い人が多いのも事実です。では、強い創造性があるがゆえに、大人になってもイマジナリーフレンドを持つということになるのでしょうか?それは少し違います。
そうであるというよりは、イマジナリーフレンドを大人になっても持ち続けている人が、創造性を必要とする職に就くことが多いと考えられます。「登場人物が独り歩きする」と言うことがありますが、これは登場人物がその人の中のイマジナリーフレンドだと考えることも出来ます。作家には、自分とその友達とのやり取りを記すに過ぎないと考える人もいます。
イマジナリーフレンドを作る子供の心理
空想の友達を作る子供たちは、一体どんなことを考えているのでしょう?どういう心理を持っているからこそ、彼らの中にイマジナリーフレンドが現れるのでしょう?大人が考えている以上に、その心理は複雑なものかもしれません。ここからは、イマジナリーフレンドを持つ子供の心理について触れていきます。
子供の心理①コミュニケーションが取りたい
子供がイマジナリーフレンドを持つ意味に、「情動的補償説」というものが挙げられるそうです。これは、子供が誰かとコミュニケーションを取りたい寂しさを紛らわせよう、足りない部分を補おうとすることです。現実に感じている寂しさを埋めたくても傍に誰もいないとき、その助けをしてくれるのがイマジナリーフレンドというわけなのです。
イマジナリーフレンドを持つ子供は一人っ子が多い
家族の中に兄弟という遊び相手がいない一人っ子、あるいは一番上に生まれた子に、イマジナリーフレンドを持つ子が多いと言われています。また、兄弟のいない子は、イマジナリーフレンドを相手に思考や理解といった認知機能を発達させるのではないかと考えられています。そして事実、その発達を示す効果も認められているようです。
子供の心理②安全な環境に居たい
寂しさを紛らわせてくれるだけが、イマジナリーフレンドの存在の意味ではありません。そこにはもっと大きな、その人が安心していられる場所を提供するという意味もあるのです。子供が安全な場所に居たいと思うのは、どのような時なのでしょう?どんな原因があって、イマジナリーフレンドがその役割を担うことになるのでしょうか?
家庭環境が大きく影響する
何らかの原因で辛い家庭環境に身を置かなければならない場合にも、子供はイマジナリーフレンドを作るといいます。こういう子供にとってのイマジナリーフレンドは、直面している現実からの逃避を手助けしているのです。空想の中で遊ぶことで辛さの原因を忘れたり、イマジナリーフレンドによって保護されていると感じることもあるようです。
子供の心理③理解者が欲しい
人というのは、誰だって他人に理解されたいと願うものです。発達が進むにつれ、子供にもそんな欲求が芽生えてくるのでしょう。ちょっとおかしなことを言ったとしても、それを笑って受け入れてくれるような存在がいればと思うこともあります。そういう心理からか、イマジナリーフレンドは、基本的にはその人にとっての良き理解者であることが多いのです。
決して否定せず、共感し、慰めてくれる。そして悪いことの原因に対処し、自分のことを理解してくれる大切な存在。そんなイマジナリーフレンドは、その人が現実の世界で生きる手助けをしてくれていると考えられています。自分の中にイマジナリーフレンドという存在がいるからこそ、子供であっても臆することなく世界へ飛び出して行けるのでしょう。
自分を100%受け入れてくれる存在を作り上げる
理解者が欲しいという心理は、自分の存在を完全に受け入れてくれる存在が欲しいと言い換えることも出来るのではないでしょうか。イマジナリーフレンドは、子供のそんな願望を限りなく叶えてくれる存在であると言えるでしょう。イマジナリーフレンドは、決してその人を攻撃したり排除したりしようとはせず、マイナスな感情の原因となることもありません。
イマジナリーフレンドの作り方
持つ人に様々な恩恵を与えてくれそうなイマジナリーフレンドですが、その作り方に興味はありませんか?作り方があるのかという問いに対しては、ある意味ではある、ある意味ではないとも言えます。イマジナリーフレンドには「出会う」ものであって、作り方などはないというのが、学術的な見解です。しかし、自分で作る作り方がないとも言えないのです。
イマジナリーフレンドを持つ必要が生じたときのため、作り方は知っておきたいものです。いざという時に助けてくれる存在の作り方は、誰でも覚えていたいと思うことでしょう。では、イマジナリーフレンドの作り方に関するアドバイスをお教えしましょう。この作り方によって必ずしも持てるわけではありませんが、何らかのヒントにはなるのかもしれません。
理想の友達・恋人を思い浮かべる
作り方で重要なのは、自分が持ちたいのはどういう友達なのか、その理想をはっきりと思い浮かべることです。男か女か、年下か年上か、背は低いか高いかなど、思い浮かべることはたくさんあるでしょう。人である必要はありません。理想がそうなら、エイリアンや動物であってもいいのです。それが、イマジナリーフレンドの作り方の、最初の工程になります。
被害者の自分を思い浮かべる
大人になってからイマジナリーフレンドを作ろうと試みるのは、逃げたい現実に直面している可能性があります。そんな人には、そういう現実の被害者である自分を思い浮かべるのも、ひとつの作り方の手順なのです。そうやって生まれたイマジナリーフレンドには、どんな役割を持たせることが出来るでしょうか?
被害を自分ではなく、仮想の自分に背負わせる
被害者である自分を反映させるという作り方をしたイマジナリーフレンドには、その人の苦痛を代わりに受けるという役割が生まれます。仮想の自分に被害を背負わせるような作り方をすれば、当の本人はたとえ少しでも負担を軽くすることが出来るでしょう。苦痛を誰かに背負わせるのは気が咎めますが、イマジナリーフレンドにはそのような意味もあるのです。
イマジナリーフレンドの存在はどういったもの?
イマジナリーフレンドには、既存のキャラクターの影響を受けているものも多いです。もっと言えば、そういったものを自分の中に取り込み、無意識的にイマジナリーフレンド化しているケースもあります。そのものに対する理想を形にしたいという思いが、その結果を生むと考えられています。どういったものが、イマジナリーフレンド化しやすいのでしょうか。
アニメや漫画のキャラクター
アニメや漫画のキャラクターと会話するようになり、それらがいつの間にかイマジナリーフレンドとなっていたということは多く聞かれます。理想的な部分を多く持ち、悪の原因を断つキャラクターに憧れを抱くのは、ごく当然のことでしょう。その憧れがキャラクターを内に取り込み、無意識にイマジナリーフレンドへと発達させていると考えられています。
好きな動物や他の生き物
現実にいる動物、あるいは架空の生き物がイマジナリーフレンドである例は多いようです。イマジナリーフレンドを持つ発達途中の子供を調査すると、男の子は力のある生き物、女の子は可愛がり世話を焼いてやるような生き物を友達にしているという結果も浮かび上がってきます。こういった生き物は、擬人化されたものである場合が多いという話もあります。
イマジナリーフレンドを自分の子供が持っているのか知りたい!
発達過程にある子供がイマジナリーフレンドを持っているか、親ならぜひ知りたいと思うものです。イマジナリーフレンドが存在することで、子供が健全に発達していることを確認出来ます。将来的に創造性を必要とする仕事に就くのではないか?そんな期待をすることも出来るかもしれません。では、どのようなことに注意して子供を見ればよいのでしょうか。
子供が会話をしている様な独り言を言う
自分の子供がイマジナリーフレンドを持っているのかを探るには、子供の様子を観察しましょう。例えば分かりやすいのが、何かを話している時です。明らかに独り言だけれど、まるで誰かと会話しているように見えることはありませんか?会話は、言葉のキャッチボールと言うことも出来ます。複数人の間で言葉を投げ合うのが、会話の作り方だからです。
自分が話したことには相手の反応がありますし、その逆もまた然りです。そこが、会話と独り言を分けるラインなのです。子供が何かに対して相槌を打っているようならば、そこには会話が発生している可能性があります。そしてその相手が大人に見えないのであれば、それはその子のイマジナリーフレンドかもしれないのです。
存在しない友達の話をしてくる
子供の口から、聞き慣れない友達の名前を聞くことはありませんか?それが、イマジナリーフレンドかもしれません。空想の友達は、強いリアリティを持っています。その子にとっては、イマジナリーフレンドも現実の友達も同じように存在しているのです。それゆえに、現実の話として、イマジナリーフレンドとのことを話すことがあるかもしれません。
何もない方向を指さす時がある
子供は、急に何もない方向を指さしたりして、大人を怖がらせることがあります。もしかしたらそこには、その子のイマジナリーフレンドがいるのかもしれません。少しオカルトチックな状況ですが、落ち着いて子供の話を聞いてあげるといいでしょう。大人が変に不審がって叱ったりすると、まだ心が発達中の子供はショックを受けるかもしれません。
作品を通してイマジナリーフレンドに触れる
誰もが知る文学作品や、子供が気軽に読める絵本の中にも、イマジナリーフレンドが登場するものは多くあります。そんな作品を通して、イマジナリーフレンドに触れてみませんか?それらは、あなたがより一層イマジナリーフレンドを理解するのに役立つかもしれません。そしてそれは、あなた自身やあなたの周りにいる人への理解に繋がるのかもしれません。
赤毛のアン
女の子なら誰でも一度は手にしたことのあるだろう赤毛のアン。カナダ人作家モンゴメリによって描かれるアンは、孤児院からやって来た空想の大好きな女の子です。作中に、アンが窓に映った自分に名前を付けてコミュニケーションを取るという下りがあります。これは、モンゴメリ自身がイマジナリーフレンドを持っていたことから着想されたものでした。
またアンは、幼いながらも辛い人生を送ってきました。それを忘れるため、自分が美しいと思い込もうとし、様々な空想に耽ったりします。このことは、現実でイマジナリーフレンドを持つ子供の心理によく当てはまります。窓に映ったイマジナリーフレンドは、やがて姿を消します。それはアンが成長した証でもあり、現実で良き友を得たからでもありました。
アンネの日記
ユダヤ系ドイツ人のアンネが、ナチスから隠れて暮らした家で記した日記です。彼女は、日々の出来事を綴った日記に「キティー」という愛称を付け、キティーに手紙を書くような文体で日記を書いていました。これは先にご紹介したPOである可能性がありますが、アンネにとってのキティーはイマジナリーフレンドのような側面を持っていたとも考えられます。
「辛抱強いキティーになら、言いたいことを最後まで聞いてもらえる」と、アンネは日記中にも記しています。事実、アンネは他の誰にも言えないようなことを、日記の中でキティーに告白したりもしています。アンネにとって自分を支持し理解してくれるキティーは、日記そのものではなく、その中に住むイマジナリーフレンドであったのかもしれません。
いけちゃんとぼく
漫画家・西原理恵子による絵本作品で、主人公の「ぼく」と物心付いたときから彼と一緒の「いけちゃん」について描かれたものです。色も形も自由自在に変えられて、怒ると赤くなるいけちゃんは女の子。基本的にはぼくを優しく見守るという立ち位置は、まさにイマジナリーフレンドに当てはまる性質です。
作者の西原さんも、かつてイマジナリーフレンドを持っていたといいます。作品は、そこから着想を得て生まれました。この物語のいけちゃんには、実はイマジナリーフレンドではない別の正体があります。しかし、その人にしか見えない良き理解者という姿は、イマジナリーフレンドのそれと共通しています。それを踏まえて、ここで紹介させていただきました。
イマジナリーフレンドの存在を考慮して子供をもっと理解しよう
子供には、子供の時にしか出会えない特別な存在、イマジナリーフレンドがいる。それを持つ子は時として奇妙に見えたり、親を怖がらせたりすることもあるでしょう。しかしそれは、子供が非常に貴重な体験をしていることに他ならないのです。大人がそのことを分かっていれば、子供は空想の友達と共にしっかりと成長していくことでしょう。