カナダの国の歴史
北アメリカ大陸に位置するカナダは、現在では世界中からの移民を受け入れる、多民族国家として知られています。しかし、現在に到るまでには、さまざまな民族間の衝突の歴史がありました。カナダ国旗のデザインは、そういった歴史的背景と深く関係しています。今回は、カナダの歴史とともに、カナダ国旗の由来や意味をご紹介します。
1553年最初の開拓者が入植
大昔から、現在のカナダの土地には、アルゴンキン族・ヒューロン族を始めとする数多くの先住民族たちが、独自の文化で暮らしていました。
1535年、フランス人探検家のジャック・カルティエは、現在のカナダ・ケベックシティ・モントリオールの地に上陸しました。彼が最初に訪れた当時のカナダは、多数の先住民族が共存しており、まだ「国」として成立していませんでした。
ジャック・カルティエがカナダの地に降り立ったのち、彼の祖国であるフランスから、数多くのフランス人商人がカナダに移り住むようになりました。その後、本格的にカナダの地に進出してきたイギリス人商人との間で、商圏を巡った激しい闘争が繰り広げられるようになりました。両国はカナダの地を植民地化していきました。
1700年代のカナダは現在より広い
フランスとイギリスの植民地だった時代、土地の広さは、現在のアメリカ中西部まで含まれている今よりも広大なものでした。カナダの土地は2つに区分され、アッパーカナダと言われた英語圏の上部分にはイギリス移民が多く住み、ローワーカナダとされたフランス語圏の下部分にはフランス移民が多く居住しました。
現在でも、世界第2位の土地の広さを誇るカナダですが、1700年代には、北アメリカ大陸の半分以上の土地を有していたのです。
イギリスとフランスの領土争い
フランスとイギリスの両国からやってきた移住民たちは、やがて、領土をめぐって争いを起こすようになります。多くの犠牲者を出した激しい闘争の末、イギリス側が領土争いに勝利しました。こうして、カナダの大部分はイギリスのものとなりました。1763年には、カナダ全土がイギリスの植民地となりました。
それまで、イギリスとフランスの2つの勢力下に置かれていたカナダですが、領地争いに勝利したイギリス側が主導権を持ってカナダの土地を統治していくことになりました。
1841年に「連合カナダ」が成立
1841年には、いくつかに分けられていた植民地が1つに統一され、「連合カナダ」が成立しました。1867年7月1日には、「カナダの国」が正式に成立しました。これにより、植民地だった土地が自治領へと変わり、国内で独自の政治を進めていくことが認められました。
その後も、イギリス側が主導権を握り、フランス側が圧力をかけられるという立ち位置は変わらず、対立する2つの勢力の間で何度も衝突が起きました。
2つの民族によって公用語は2つ
植民地をめぐったフランスとイギリスの対立が続いた結果、カナダの地ではフランス語とイギリス語の二か国語が公用語として話されるようになりました。
1969年には、「公用語法」という法律が決定され、2つの言語のどちらか一方に偏らないことが定められています。多様性を重んじて、それぞれの民族の違いを平等に尊重するためです。カナダ国内の商品ラベルには、英語とフランス語の二重表記がされており、政府に勤める職員になるには、どちらの公用語も話せることが必須となっています。
また、州ごとの自治が許されているカナダでは、州によって第一公用語が異なることもあります。カナダ・ケベック州では、約8割の人たちがフランス語を母国語とし使っています。
これは、フランス領だった頃の名残が残っているためです。ケベック州以外の州では、英語が主要に話されています。
カナダの国旗の意味
赤と白を基調としたカナダ国旗は、カナダを象徴する大自然の恵みが由来となっています。また、カナダが辿ってきたこれまでの歴史の影響も受けています。一見シンプルに見えるカナダ国旗ですが、そこには深い意味と未来へ向けた人々の思いが込められているのです。カナダ国旗の由来と意味を見ていきましょう。
メイプルリーフフラッグの愛称
カナダ国旗は、「The Maple Leaf Flag(メイプルリーフフラッグ)」の愛称で親しまれています。国旗の中央に描かれているのは、カエデの一種である「サトウカエデ」の葉っぱです。サトウカエデの樹液はメープルシロップの原材料として使われます。
広大な土地を有するカナダは、森林大国であり、寒い気候に強いカエデの木が多く育成しています。カエデの樹液を煮詰めて作るメープルシロップは、カナダの特産品です。メープルシロップは栄養価が高く、先住民族が暮らしていた時代から大事なエネルギー源として重宝されてきました。
どんな食材にも合うメープルシロップは、カナダに暮らす人々にとってのソウルフードのような存在です。そして、大自然の中での暮らしを象徴するものでもあります。そのため、カエデの葉っぱは、何世紀にも渡ってカナダのシンボルとして親しまれているのです。
貧困の時代を支えた樹液のカエデ
開拓時代の頃から、カエデから取れる樹液は、カナダの地で暮らす人たちの生活を支えてきました。当時、先住民の人々は、カエデの樹液をすすることで食べ物の少ない冬の時期を耐えしのいでいたと言われています。
貧困の時代から、カエデの樹液はカナダの厳しい自然と共生する上で欠かせないものでした。また、他の国にはない、カナダ独自の甘味料でもあります。
葉のとげは州と準州を表す
国旗の中央に描かれているカエデの葉っぱのマークには、ある意味が込められています。カエデのマークのとげの部分と柄の部分を合わせると12になります。これは、カナダの10の州と2の準州を表しています。異なる特色を持ったそれぞれの州が一団となって国を作っていくことを示唆しています。
現在は、ヌナブト準州を合わせると3つの準州になりますが、国旗が制定された当時はまだヌナブト準州は存在しなかったため、含まれていません。
カナダの国旗の色
カナダ国旗に使われている「赤」と「白」は、1921年にイギリスのキングジョージ5世が、カナダの国の色(ナショナルカラー)として定めたものです。カナダ国旗では、この2つの色によって、カナダの国の特徴が表されています。2つの色の持つ意味を見ていきましょう。
白は律儀・平和・雪
白色には本来、「誠実さ」や「潔白」などのイメージがあります。カナダ国旗に使用されている白色には、それに加えて、「律儀」や「平和」などの意味が込められています。また、カエデの葉っぱの周りの白色の部分は、カナダの土地の広さと、北の大地一面に広がった「雪」を表しています。
赤は大西洋・太平洋
国旗の両端の赤い太線の部分は、右側が「太平洋」を、左側が「大西洋」を象徴しています。これはちょうど、カナダの大陸の東側が大西洋と、西側が太平洋と面していることを意味しています。カナダ国旗は、日本の国旗と比べると比較的横長な作りとなっており、西から東へと広がる壮大な大地を表現しています。
戦争で戦った人達の血の色の意も
カナダ国旗の赤色には、未来へ向けた平和への願いも込められています。たび重なる民族間の闘争や第一次世界大戦で命を落とした人たちの「血」の色も由来の一つとされています。異なったルーツや人種を持った人々が、互いに協力しあい、ともに国を作っていくという人々の思いが込められているのです。
カナダの国名の由来
カナダの土地を最初に「カナダ」と呼んだのは、1535年にカナダの地を訪れたフランス人探検家のジャック・カルティエでした。彼がその土地を「カナダ」と名付けるまで、先住民族の人たちは別の名称を使っていました。「カナダ」という国名の由来と、言葉の意味を見ていきましょう。
カナダの先住民族の言葉「kanata(カナタ)」
ジャック・カルティエがカナダの地を訪れた際、そこに暮らしていたヒューロン・イロクァ族は、自分たちの住む土地を独自の言葉で「kanata(カナタ)」と呼んでいました。ジャック・カルティエは、この「kanata(カナタ)」に由来して、その土地を「Canada(カナダ)」と呼ぶことに決めました。
フランス人移民がカナダの地に入植してきた際、そこで独自の文化を築いていた先住民族の人たちに敬意を払いました。そのため、彼らの民族語に倣って土地の名称を決めました。
村・植民地・開拓地の意味
フランス人がカナダの地に入植する遥か昔から、先住民族たちは自分たちが暮らす土地を自分たちの言葉で呼んでいました。ヒューロン・イロクァ族が使っていた「kanata(カナタ)」という言葉は、民族間の言葉で「村・植民地・開拓地」といった意味を持っていました。彼らはカナダの地に親しみと威厳を持って、そう呼んでいたのです。
カナダの国旗の変遷
今ではすっかり馴染み深い国旗の一つとなっているカナダ国旗ですが、現在のデザインに落ち着いたのは、1965年と割と最近のことでした。1867年に「カナダの国」が誕生してからの100年余りは、デザインの変動を繰り返していました。今とは全く異なるデザインだった、カナダ国旗の変遷の歴史を見ていきましょう。
16世紀はフランスの国旗を使用
16世紀、ジャック・カルティエが現在のカナダ・モントリオールの地に降り立った際には、その土地に当時のフランスの旗を用いました。彼がフランスの旗を用いた目的は、そこがフランス領であることを宣言するためでした。当時のフランスの旗は、青色の背景に、フランス王家のシンボルである百合の花の紋章が3つ描かれたものでした。
17世紀はイギリスの国旗を使用
イギリスの植民地だった17世紀には、イギリスの国旗を使用していました。現在のイギリス国旗にも使用されている、白地に赤色で十字を描いたユニオンジャック(またはユニオンフラッグ)と呼ばれるデザインです。カナダでは現在でも、カナダ国旗と並んでイギリス国旗が飾られている場所が見うけられます。
1957年~1965年までの国旗
1957年〜1965年までの間は、非常に混沌としたデザインの国旗が使用されていました。何度もデザインの変動を繰り返し、その回数は10回以上に及びました。
赤地の背景にイギリスを象徴するユニオンジャックのデザインとフランスの紋章が入り混じったものに、カナダ独自の特色に由来する動植物などが加えられるなど、まとまりのないデザインが使用されていました。
また、その頃からすでにカエデの葉っぱが装飾の一つとして加えられていました。風土や風習は違えど、カナダに暮らす人々の意識の中には、カエデの葉っぱがカナダのシンボルであるという共通のものがありました。
現在の国旗は1965年に制定
1965年2月15日、赤・白・赤の並びに、中央にサトウカエデの葉っぱが描かれた、現在のカナダ国旗が制定されました。制定されてからはまだ50年あまりしか経っておらず、実は歴史が浅い国旗なのです。
1945年から約半年間ものあいだ、カナダ議会で国旗を決定するための話し合いがされてきました。カナダ国民への意見調査も行われました。その結果、他の国と全く違うデザインであることと、カナダのシンボルであるカエデの葉っぱを用いることが重要視されました。
さまざまな変動を遂げたカナダ国旗ですが、最終的にはカナダの歴史や特色に由来した、とてもシンプルで親しみやすいデザインへと落ち着きました。カナダ国旗が制定された2月15日は、「カナダ国旗の日(National Flag of Canada Day)」とされ、各地でセレモニーが開催されます。数年前から、この日を祝日にする動きも出ています。
建国記念日を彩るカナダ国旗
カナダの建国記念日である7月1日は、「Canada Day(カナダデー)」とされ、国民の祝日となっています。カナダデーには、仕事や学校は休みになり、ほとんどの店が定休日になります。そして、各地で盛大なお祭りやパレードが催されます。
毎年この時期になると、デコレーション用のカナダ国旗や、カナダ国旗をモチーフにしたグッズがたくさん販売されるようになります。カナダデーが近づくと、カナダ国旗を家の庭やベランダに飾る人たちが増え、街全体が赤と白で彩られます。
ちょうどクリスマスのデコレーションをするように、カナダ国旗で街や家を盛大に飾りつけます。カナダデー当日は、カナダのナショナルカラーである赤と白の衣装を身にまとい、国民が一体となって建国記念日をお祝いします。
カナダの国旗は貧困時代のカエデが大きく関係する!
いかがでしたでしょうか。カナダ国旗に描かれるカエデの葉っぱには、カナダで生きるたくさんの人々の思いが込められていました。そして、現在のカナダ国旗が完成するまでには、さまざまな民族間の衝突を乗り越えた歴史がありました。
何世紀も前の貧困時代から、カナダで暮らす人たちの生活を支え続けてきたカエデの葉っぱは、カナダを代表するシンボルです。そんなカエデの葉っぱが由来した国旗が作成されたのは、カナダ国民一人一人が自国の恵みを愛し、誇りに思っている証です。
旅行などでカナダを訪れた際には、カナダの辿ってきた歴史を思い起こしながら、カナダの大自然を堪能してみてください。