オランダという国とは
オランダはドイツの西に位置し、ライン川とマース川の河口に国土が広がっている国です。国土の4分の1はポルダーと呼ばれる堤防で守られている海面より標高が低い干拓地で、運河と排水路とで区画されている平坦な土地からなっています。
主産業は酪農と園芸で、その中でもチューリップとチーズは特に有名です。オランダに本社を置いている多国籍企業も多く、ハイネケンやユニリーバ、Booking.comがその一例です。またロッテルダムにあるユーロポートは世界一の貿易港で、EUの玄関口として重要な役割を担っています。伝統的に貿易の中心国だったため、銀行や保険業も発達しています。
文化面でも著名な芸術家を多数輩出しており、特に画家として非常に有名なレンブラントやフィンセント=ヴァン=ゴッホや、日本でも人気のある「ミッフィーシリーズ」の作者であるディック=ブルーナの出身地としても知られています。
日本人のオランダのイメージ
日本人から見たオランダのイメージというと、チューリップや風車が並んだ風景や、運河の近くに所狭しと並んでいる可愛らしい建物が並んだ国というところでしょうか。またオランダは自転車大国としても知られており、首都アムステルダムでは人間の数よりも自転車の数の方が多いとも言われており、自転車専用道路もきっちり整備されています。
一方、日本との歴史的な関わりを見ると、オランダは日本が鎖国をしていた江戸時代に、交易を許された唯一の西洋の国としても知られています。長崎には交易の舞台であった出島があるのに加え、オランダの街並みをイメージして作られたハウステンボスがあります。
また日本は鎖国中もオランダと交易をしていたので、オランダ語の書物も輸入されてきました。この書物を通じて日本人は西洋の学術に触れ、これが後の日本の近代化に大きく貢献します。このことからもオランダは日本にとって最も身近な国の一つと言えるでしょう。
オランダの国旗の色
オランダ国旗は横縞の三色旗で、色が上から「赤・白・青」という構成です。歴史的にはオランダはハプスブルク家に所属していたスペインの植民地でしたが、16世紀にそのスペインからの独立運動を起こした際に使われた三色旗が現在のオランダ国旗のベースとなっています。なお、この国旗は縦長に掲揚することが禁じられています。
国旗を縦に掲揚するのが禁止されている理由ですが、これは「19世紀初頭にナポレオンの侵攻を受けた際に縦に掲揚された(=フランス国旗と配色を同じにされた)から。」つまり忌々しい歴史を思い出させる行為であることに由来しているのではないかと考えられています。
オランダの国旗の由来
オランダという国がどのような歴史を持ち、どのように発展してきたのか、また日本人にとってのオランダのイメージについて触れてきました。ではその国のシンボルともいうべき国旗はどのようにしてデザインされ、またその由来はどのようなところから来ているのかについて、ここでは説明していきます。
なぜ「赤・白・青」なのか
オランダ国旗は横縞の構成で、色が上から「赤・白・青」ですが、この色は国旗にそれぞれ意味を込めて使われています。その各々の意味についてはオランダ国歌にも歌われており、「赤は多くの戦いにのぞんだ国民の勇気を、白は神の永遠の祝福を待つ信仰心を、青は祖国への忠誠心をあらわす」とされています。
オランダ国旗は最初から「赤・白・青」ではなかった?
オランダ国旗の3色の色にはそれぞれ「国民の勇気・信仰心・忠誠心を表す」という意味が込められているとされていますが、実はこの国旗が制定された当初は国旗の色が「赤・白・青」ではなかったのです。当初の国旗の色と現在の国旗の色が違う理由を、国旗が制定された時代の背景とその歴史についても触れながら以下で述べていきます。
オランダ国旗の歴史
現在のオランダ国旗の由来を知るべく歴史を辿ると、宗主国であったスペイン支配からの独立戦争(1568年~1648年)にまで遡ります。独立戦争を導いたオラニエ公ウィレムの紋章の色がオレンジであったことにちなみ、オランダ国旗の色は当初はオレンジ・白・青の3色が使用されていました。
しかし、交易やその他の理由で船で海に出た際に、海上ではオレンジの色が色褪せやすく、遠くからは色で識別することが難しい事態に直面する機会が多かったようです。
それで遠くからでもはっきり識別できる色に変える方が望ましいということで、国旗のオレンジの縞の色は赤へと色が変更されたと言われています。
その後18世紀末から19世紀はじめにかけて、ナポレオン統治下のフランスがヨーロッパで強大な勢力をふるっていた時代には、赤・白・青の縞の旗がフランス国旗と紛らわしいという理由で禁止されたこともありました。ナポレオンの失脚により、また赤・白・青の三色旗の旗が国旗として復活しました。
ナポレオン戦争後のウィーン会議(1814~15)により、オランダはオラニエ家が統治する王国となりました。前述の通り、この時期は赤・白・青の三色旗が復活していましたが、国民の間では、オラニエ家を慕ってオレンジ・白・青の旗を掲げる人達もいれば、赤・白・青の旗を掲げる人達もいて、国民の間でも国旗の捉え方にはばらつきがあったようです。
しかし月日が流れて1937年、ヴィルヘルミナ女王の勅令によって、赤、白、青の三食旗が正式なオランダの国旗として制定されるに至りました。国際的にも赤・白・青の三色旗がオランダ国旗と示されることとなったのです。
ただその当時でもオラニエ家に対して特別な思慕を持っている人々の間では、旗の色に赤の代わりにオレンジを用いた旗が使われていることがあったようです。オランダのナショナルカラーがオレンジと言われる由来はこのオラニエ家にあったという訳です。
フランスとオランダの国旗は似ている
オランダと同じ「赤・白・青」の色から構成される国旗を持つ国として真っ先に思い浮かぶのはフランスでしょう。「赤・白・青」の色の組み合わせはトリコロールカラーとも呼ばれ、トリコロールカラー=フランスのイメージの人も多いのではないでしょうか。ここではフランス国旗のデザインが表す意味と国旗制定までの歴史について触れていきます。
フランスの国旗の意味
フランス国旗は、オランダ国旗が横縞のデザインであるのに対し、縦縞の三色旗というデザインです。この色が表す意味は、青が自由、白が平等、赤が友愛とされており、1789年7月に制定されました。この当時はフランス革命真っ只中という状況で、国民軍総司令官のラファイエット将軍がこのデザインを将兵の帽章に採用したのがフランス国旗の始まりです。
王政を廃止に追い込んだ革命後も、国家と国旗のをめぐる状況は不安定で、ナポレオン統治時代を経た後に再び王政を興したルイ18世は復古主義政治を行い、国旗を「三色旗」から王政のシンボルである白旗に変え、フランス革命の成果に逆行する行為を行いました。
こうしたルイ18世の統治方法は国民の支持を急速に失うこととなり、更にこの頃に景気が悪化したことや、自由主義勢力が代議員へ選出されて政治の場へ進出したことで発言力を増した事等から、ルイ18世によって興された復古王政は倒され、その後の1830年憲章に基づく王政では再び三色旗に戻されたのです。
復古王政後のフランスでは、その後の国旗の変更やデザインのリニューアルはなく一貫してこの三色旗が使われています。
オランダ・フランス以外の「赤・白・青」の国旗の国
上の記事でフランスとオランダの国旗が似ていることとその由来、またフランスの国旗の持つ意味について述べてきましたが、オランダの国旗と似ている国旗を持つ国は実はまだ他にもあります。以下の記事ではその国の国旗のもつ意味と、また国旗制定に至った背景や歴史についても触れながら説明していきます。
ロシア
現在のロシア国旗のデザインの原型ができたのは、17世紀末のピョートル大帝の治世にまで遡ります。当時諸外国との交易を行うためには欠かせない技術であった造船を学ぶ為、ピョートル大帝がオランダを訪れましたが、このオランダ訪問時に国家にとって国旗を制定することの必要性に目覚めたと言われています。
ピョートル大帝が国旗を制定するにあたり参考にしたのがオランダ国旗という説があります。しかしその当時のオランダ国旗は赤色ではなく、オレンジが入っており、オレンジ、白、青の三色旗だったので、この説の信憑性については疑わしいとする学説もあります。
ロシア国旗の「赤・白・青」はモスクワ大公国の紋章に使用されていた色で、この紋章のデザインを参考にしたという説が有力とされています。
その後時代が流れて1917年のロシア革命によってロマノフ王朝が倒され、1922年にソビエト連邦が成立すると、「赤・白・青」の三色旗は廃止され、「鎌と槌の赤い旗」が新たにソビエト連邦の国旗として制定されました。
第二次世界大戦後はアメリカとの冷戦の当事者となったソビエト連邦ですが、1991年12月25日にソビエト連邦は崩壊し、ロシア共和国の連邦から離脱後、1992年にロシア連邦が発足します。このソビエト連邦崩壊で「鎌と槌の赤い旗」は廃止され、1993年12月11日に帝国時代の「赤、白、青」の三色旗が復活し、以後これがロシアの国旗と定められました。
ルクセンブルク
ルクセンブルクは、オランダを含めたいわゆる「ベネルクス三国」の一つですが、かつてはオランダの統治下にあった影響を受け、ルクセンブルクの国旗はオランダのそれと良く似ています。
国旗のデザインはオランダの赤・白・青の国旗と配置の仕方は同じですが、ルクセンブルクの国旗はオランダ国旗の「青」の部分が「明るい水色」となっています。元来はルクセンブルク公家の紋章に描かれた「白と青の縞模様の地に描かれた赤いライオン」が国旗のデザインの由来であると言われています。
また国旗の縦横の比率もオランダ国旗とルクセンブルク国旗とでは若干異なり、オランダ国旗は2:3であるのに対し、ルクセンブルク国旗は3:5となっています。
クロアチア
クロアチアの国旗の赤・白・青のそれぞれの色が表す意味ですが、赤が尊い血の犠牲、白がまばゆく輝く光明、青が澄みわたる空を表現しています。そしてこの真ん中に位置する赤白チェックのマークは「国章」です。これはクロアチアの国王トミスラヴ王が925年の戴冠式に使用し、その後、国のシンボルとして使われるようになったものです。
更にその上には5つ紋章が描かれており、この紋章は10世紀に建国されたクロアチア王国の紋章です。それぞれクロアチア、ドブロヴニク、ダルマチア、イストラ、スラヴォニアの5つの地域から構成されています。
パラグアイ
パラグアイは1811年にスペインから独立して間もなく「赤・白・青」の横均等の三色旗を国旗として制定しました。この配色にはパラグアイが自由を求めてスペインから独立・建国されたことに加え、当時の世界情勢の影響も多分にあったことが推測されています。
場所を移すとこの頃のヨーロッパはナポレオン支配に対する不満が渦巻き、自由を求めて打倒ナポレオンの機運が高まっていた時代でした。独立間もないパラグアイが求めていたものもまさにこの「自由」であり、国旗の制定の由来は「自由を求めて」という思想にあったと言えます。
パラグアイの国旗の赤・白・青の色はそれぞれ意味を持っており、赤は正義を、白は平和を、青を表します。そしてパラグアイの国旗の大きな特徴の一つが、国旗の表と裏とでデザインが異なっていることです。国旗の表にはパラグアイの国章が描かれており、一方国旗の裏には隷従からの自由を意味する自由の帽子とライオンの絵が描かれています。
オランダ国旗には「勇気・信仰・忠誠」の意味が込められている
これまでオランダの歴史を辿りながら、国旗のデザインやその由来について触れてきましたが、国旗のデザインの原型は宗主国スペインからの独立戦争時の中心人物であったオラニエ公ウィレムのオラニエ家の紋章からオレンジ・白・青の色が使われ、この三色はオラニエ家の紋章の中心にあった角笛からと言われています。
現在のオランダの原点を作った人物のゆかりの色が使われ、それが転じて「オレンジは勇気、白は信仰、青は忠誠という意味がある」という解釈がなされるようになり、国旗に込められた意味として広がっていくこととなりました。
時代に翻弄されたり、その時々の社会情勢により、国旗に対する捉え方やそのデザインも変遷を辿ってきました。この記事をご覧になった方も、自国の国旗の由来を知り、その意味を考えてみるのも面白いので、是非調べてみることをお勧めします。