花魁言葉の意味とは?
「わっち」や「おいでくんまなし」といった独特な言葉遣いをする花魁言葉ですが、そもそもどういった意味や成り立ちを持つかご存じでしょうか?実は花魁言葉、廓詞と呼ばれていて、複雑な背景から生まれた言葉と言ってもいいかもしれません。
そこでこの記事では、現代にも使われている廓詞である花魁言葉の意味や、成り立ちを紹介していきます。過去から連綿と使われ続けている言葉はいくつかあるわけですが、中には、廓詞から派生していることに驚く言葉もあるのです。
別名「廓詞」
花魁言葉はとても特徴的な言葉遣いですが、別名廓詞とも呼ばれています。花魁言葉を話すような女性たちは、主に江戸の吉原遊郭限定となっていて、とりわけ関西の方の遊郭は、関西弁を使っていたことで有名なのです。
もちろん吉原には、地方からやってきた少女達もいたわけですが、とても強い訛りをカバーするために、廓詞は使われていたと言っても過言ではありません。次の項目からはそんな廓詞の歴史を取り上げていくので、気になる人はぜひ参考にしてみてください。
花魁言葉(廓詞)の歴史
この項目からは花魁言葉である、廓詞の歴史を取り上げていきます。廓詞は、ありんす詞や、里詞とも呼ばれていたのですが、とりわけ地方からやってきた少女たちの、強い訛りを隠すために使われいた言葉遣いなのです。
「ござりんした」や「おさらばえ」といった言葉を聞いたこともあるかもしれませんが、まさしく吉原で使われていた言葉となっています。もしも、花魁言葉である、廓詞の歴史に興味があるのであれば、しっかりと廓詞が生まれた背景を覚えておくことをおすすめします。
花魁言葉(廓詞)が生まれた理由
江戸時代の吉原遊郭には、都内の娘だけでなく、数多くの地方の娘が働いていました。もちろん地方特有の強い訛りをカバーする目的で廓詞は使われていたわけですが、徹底的に色っぽくて、艶のある女性であるように廓詞を使っていたと言ってもいいかもしれません。
実は花魁は、和歌や茶道、三味線などをとことん習っていて、遊女の中でも、とりわけ憧れられる存在だったのです。そんな夢のある花魁に対して、幻滅の気持ちを抱かせないように、共通の花魁言葉を使って、自分の出身を隠していました。
花魁言葉(廓詞)の成り立ち
そもそも花魁言葉は、島原遊郭で使われていた言葉遣いなのですが、江戸時代には、吉原遊郭でも使われるようになりました。やはり花魁たちは客を相手にするような商売としていたので、できるだけ丁寧な言葉遣いで、お客さんが取れるように教育されていたのです。
もちろん「しなんす」や「あちき」といった花魁言葉は、全体的に艶っぽいイメージを抱くことが多いかもしれません。そこはかとなく、吉原遊郭のイメージにふさわしい言葉遣いとなっているので、吉原遊郭が解体されるまでは、頻繁に使われていました。
花魁言葉(廓詞)を使う理由
この項目からは、遊女達が花魁言葉である廓詞を使う理由をご紹介します。やはり吉原遊郭には、数多くの地方出身の娘たちが集っていたため、そのままの地方言葉を話していると、お客さんが何を言っているか分からないと言って、十分に満足できなかったのです。
そこで、生み出されたのが花魁言葉である廓詞ですが、吉原遊郭の中でも、とりわけ遊女達が使っていた言葉遣いとなっています。実は男性は吉原遊郭の遊女にそこはかとない理想を抱いていたので、できるだけ地方出身を公言することは避けるべきでした。
当時の吉原遊郭の遊女達
当時の吉原遊郭の遊女達は様々な地方出身だったので、訛りが強い地域だと、より一層コミュニケーションが取りづらいことで知られています。もちろん遊女見習いであれば、お客さんを相手にするわけではないものの、やはりお国訛りはだんだんと矯正されていきます。
ここまで廓詞の成り立ちや、遊女たちが使っていた理由を細かく取り上げてきました。次の項目からは現代にも残る花魁言葉をいくつか説明していくので、気になる人はぜひ参考にしてみてください。
現代にも残る花魁言葉(廓詞)
基本的に花魁言葉と聞くと、「あちき」や「ありんす」といった、現代では使われない言葉を想像するかもしれません。実は、現代に残っている花魁言葉は多種多様となっていて、中には驚くような言葉も含まれています。
とりわけ現代でよく使われている「モテる」といった言葉は、江戸時代から残っている言葉となっています。どのような言葉にも成り立ちや語源があるので、次の項目からは江戸時代から使われ続けている「モテる」について細かく説明していきます。
「モテる」の語源
もちろん様々な諸説はあるのですが、現代人がよく使っている「モテる」は、「遊女に丁寧にもてなされる」といった意味を持っていました。今では、異性に好かれるといったシンプルな意味を持っている言葉ではあるものの、こういった成り立ちがあります。
実は花魁言葉は本当に多岐にわたっているので、ハンドブックなどが販売されている事実があるのです。吉原遊郭とひとえに言っても、「松葉屋」や「丁子屋」、「角玉屋」、「扇屋」などの場所によって言葉も違うので、気になる人はチェックしてみるといいかもしれません。
有名な花魁言葉(廓詞)
上記では、有名な花魁言葉である廓詞の「モテる」の成り立ちを取り上げてきましたが、他にも有名な廓詞があります。もちろんドラマや映画で聞くことの多い「ありんす」や「しなんす」についても説明していきます。
実は、花魁言葉は時代とともに変遷していた言葉遣いなので、「江戸初期」、「江戸中期」、「江戸末期」といった時期によって、まったくもって違った言葉遣いをしていることがあるのです。もしも、こういった有名な花魁言葉が気になる人は、ぜひ参考にしてみてください。
上品
上品なイメージのある「ありんす」ですが、「あります」が変化した言葉となっています。他の言葉も同じように変化が付けられていて、とりわけ「します」は「しんす」、「しなさいます」は「しなんす」といった変化が見られます。
もちろんどれも語尾に付ける言葉となっていて、全体的に大人っぽくて艶のある雰囲気のある言葉遣いかもしれません。どの花魁言葉も訛りを隠すための言葉づかいではあるものの、遊郭を訪れるお客さんをもてなせるように、しっかりと上品な雰囲気を醸し出していたのです。
艶っぽい印象
花魁言葉は上品なイメージが強いかもしれませんが、とりわけ艶っぽい印象を付けるために使われていたと言ってもいいかもしれません。色っぽい雰囲気を持っている「おいでなんし」といった言葉は、「いらっしゃい」という意味を持っています。
江戸時代初期には、なかなか聞いたことのない言葉も使われていて、とりわけ「お客様」を「ぬし」といった呼び方をしています。本当に「江戸初期」、「江戸中期」、「江戸末期」によって違いがあるので、気になる人はぜひチェックしてみてください。
遊女にまつわる逸話
この項目からは遊女にまつわる逸話をご紹介します。子供の時に、「ゆびきりげんまん。嘘ついたら針千本飲ます」といった約束事をしたことのある人も多いかもしれませんが、実は吉原遊郭の遊女が元になっていることをご存じでしたか?
次の項目からは、そんな吉原遊郭にまつわる「ゆびきりげんまん」の逸話を詳しく説明していきます。なかなか「ゆびきりげんまん」の由来を知る人はいないので、せっかくなら一緒に覚えてみるといいかもしれません。
「ゆびきりげんまん」
子供の時は冗談で「ゆびきりげんまん。嘘ついたら針千本飲ます」といった約束事をするわけですが、実は吉原遊郭の女性に由来しています。やはり遊女にも意中の相手ができてしまうことがあるのですが、とりわけ愛情の証として、小指の第1関節を切って渡していたのです。
もちろんシンプルに爪や髪を渡していた遊女もいるのですが、二度と生えてくることのない小指を渡すことによって、それだけ強い愛があることを主張していました。一方で、模造品の指が出回っていた事実もあるので、実際のところ自分の指を切るような遊女は少なかったのです。
花魁言葉(廓詞)から花魁を知ろう!
この記事では、現代にも使われている廓詞である花魁言葉の意味を紹介してきました。現代で使われている「モテる」は、「遊女に丁寧にもてなされる」という意味を持っています。
合わせて、花魁言葉の成り立ちを取り上げてきました。花魁言葉は地方の訛りを隠すために使われていた言葉遣いですが、現代にも残る言葉がいくつか残っているのです。