「働けど働けど」の意味は?石川啄木の歌の情景に現代人も共感?

「働けど働けど」の意味は?石川啄木の歌の情景に現代人も共感?

「働けど働けど」は、石川啄木の歌でもあります。「働けど働けど」について、詳しく解説していきましょう。現代の若者にも通じる部分が多いこの「働けど働けど」には、どんな意味が隠されているのでしょうか。歌の情景について、深く理解していきましょう。

記事の目次

  1. 1.現代人も共感する「働けど働けど」の意味を解説
  2. 2.「働けど働けど」とは
  3. 3.「働けど働けど」の全文と意味
  4. 4.「働けど働けど」の作者・石川啄木とは
  5. 5.「働けど働けど我が暮らし楽にならず」に現代の若者も共感
  6. 6.「働けど働けど」は現代も続く切実な思い

現代人も共感する「働けど働けど」の意味を解説

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「働けど働けど」このフレーズを聞いたことはありますか?これは、石川啄木の第一歌集「一握の砂」に書かれた名歌になります。今回は、この有名な「働けど働けど」について意味を詳しく解説していきます。この「働けど働けど」には、現代人にも共通する部分がたくさんあります。

「働けど働けど」のどういった部分に共感するのか、迫っていきましょう。この共感する部分は、現代日本が抱える大きな問題が関わっていることが言われています。現代の社会でも共感できる「働けど働けど」について、詳しく解説していきます。

「働けど働けど」とは

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「働けど働けど」とは、どういった意味での歌なのでしょうか。「働けど働けど」の意味について、深く迫っていきます。「働けど働けど」は、現代人にも通じる部分があり、昔の人でもある石川啄木が書いた歌でもあります。どういった意味の歌であるのか、確認していきましょう。

石川啄木の「一握の砂」に収録された名歌

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「働けど働けど」は、石川啄木が書いた名歌「一握の砂」に収録されています。現代では、国語の教科書にもでているくらい有名な歌になっています。この「働けど働けど」は、労働階級の悲哀を表現した歌として、たくさんの人達の心に迫る名歌として有名になりました。

「働けど働けど」ととても短い反復のなかに、汗たらして働き続ける、人物が想像することができます。この「働けど働けど」の全文は知らないけれど、この歌の短いフレーズを読んだだけでも、どんなに辛い生活をしていたかが分かります。

とても短い歌のなかでも、たくさんのドラマを連想させる石川啄木の名歌でもあるのです。この短歌から、現代の生活にも共感できる部分が多いため、共感する若者が多くなっています。

「働けど働けど」の全文と意味

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「働けど働けど」の全文と意味から、より深く「働けど働けど」について迫っていきましょう。「働けど働けど」全文、意味、歌ができた背景について詳しく解説していきます。どういった背景で書かれた歌なのかもチェックしていきましょう。

全文

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石川啄木の書いた「一握の砂」から、「働けど働けど」の全文をご紹介していきましょう。「働けど働けど猶 我が暮らし 楽にならざり ぢつと手を見る」が全文になります。飾り気のない言葉で、憧れの東京生活が、とても辛い暮らしになってしまっていることを表している名歌になっています。

意味・解説

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「働けど働けど」には、「いくら身を削って働いても、生活が苦しいのは終わりが来ない。働く自分の手をじっと見つめる」という意味になります。この歌には、焦りとともにむなしさも伝わってきます。この「働けど働けど」は、石川啄木によって書かれた「一握の砂」に一節になっています。

石川啄木の「一握の砂」はテーマで5章に分かれている短歌集になります。当時の石川啄木の心情が、短い文章で表されていることからよく分かります。現代の人達にも通じるものがあるとして、今でもSNSで人気になっているのです。

「働けど働けど」は、働いても見合った評価が得ることができなくて、将来への不安で一杯という現代の若い世代にも共感できる歌になっています。現代日本が抱える大きい問題が、表されている短歌でもあるのです。

歌ができた背景

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「働けど働けど」は、1910年に発表されました。石川啄木は、家族を北海道に残し、東京で文芸家としてキャリアを積んでいました。なかなか貧乏から抜け出すことができずに、この「働けど働けど」を「一握の砂」で発表したのです。

いくら働いても生活に終わりが来ない

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「働けど働けど」には、いくら働いても生活に終わりがこないということを、素直な言葉で表現されている名歌でもあります。

現代の若者達にも共感できる部分があって、人間関係や家族関係で疲れてしまった人たちにも、たくさんの共感を得ています。これは、現代の日本人が抱える大きい問題でもあるのです。

「働けど働けど」の作者・石川啄木とは

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それでは、石川啄木という人はどんな人だったのでしょうか。「働けど働けど」の作者石川啄木について、詳しく解説していきましょう。石川啄木という人がどういう人であったのか、確認していきます。あなたのもつイメージと同じであるか、チェックしていきましょう。

渋民尋常小学校を首席で卒業

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石川啄木は、1891年に通常では入学する年齢よりも1歳も早く5歳で小学校に入学します。とても頭のいい子どもで、成績の優秀でした。小学校も主席で卒業して、12歳で盛岡尋常中学校に入学しています。中学校という名前ではありますが、現代では岩手県立盛岡第一高等学校になります。

金田一京助との出会いから文学青年に

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この盛岡尋常中学校で金田一京助と出会います。この出会いこそが、天才歌人でもある石川啄木の原点になったとされています。ここでは、金田一京助のほかに、後の奥さんになる堀合節子との出会うこととなります。

3年先輩であった近代知京助から、文学の面白さを教わることとなります。石川啄木は、その文学の深みにどっぷりとはまり文学青年へとなっていったのです。

文学と恋愛に傾倒し学業が疎かに

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中学生になった、石川啄木は、3年先輩の金田一京助から、文学を教わりました。文学雑誌「明星」を好んで読んで、その中でも与謝野晶子の「みだれ髪」の歌にも傾倒していました。それと同時に、堀合節子との恋愛も始まったとされています。

石川啄木は、1901年12月に「岩手日報」で短歌の投稿を始めます。そこでは「翠江」というペンネームで投稿されていました。しかし、文学と恋愛に夢中になってしまったため、学業は疎かになってしまっていました。

授業を疎かにしてしまったため、テストをカンニングしてしまったこともあったそうです。石川啄木は一気に退学へと追い込まれていってしまいました。

上京し結核にかかり帰郷

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1902年11月10日与謝野晶子を訪ねるために、上京しました。石川啄木は、上京したにも関わらず就職できずに、住む家もありませんでした。挙句の果てに、結核にかかってしまい1903年2月、父親に連れられて盛岡に帰ってきました。

そこで、石川啄木は堀合節子と恋愛を重ねることで、心を癒していくこととなります。17歳で「明星」で短歌を掲載し、岩手日報でも評論を連載するようになりました。

19歳で発表した短歌「あこがれ」で注目

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19歳で短歌「あこがれ」が一気に注目され、「天才詩人」と呼ばれるようになりました。そんななか、苦しいときに支えてくれた堀合節子との、結婚が決まりました。

しかし、石川啄木は、結婚式をドタキャンしてしまいます。堀合節子との結婚は、石川啄木の奔放さから波乱万丈なものになってしまいました。貧乏なのに、新しい環境を求めて北海道に住んでみたりもしていました。

再度上京し借金と遊びの貧乏生活

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石川啄木は、文筆家として、成功するために22歳にして、再び上京することになったのです。しかし、貧乏な生活から抜け出すことができず、金田一京助を頼りながら、作品を書いていました。評価されることはなく、貧乏なままの生活を送ることになります。

その時に書いたのが「一握の砂」だったのです。この頃から、友人たちに借りたお金で花街に行き、媚妓との遊びに夢中になってみたり、飲み歩いたりとしていました、金田一京助を始めとして60人もの人に借金をしていたといわれています。

しかも、その時期の日記は、奥さんである節子にばれないようにとローマ字で書かれています。節子は、才女であったので、それを知っていたのかは、未だに不明ではあります。現代でいう「駄目男」は石川啄木だったのかも知れません。

生活が安定してきた矢先に肺結核で夭折

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石川啄木は、「働けど働けど」で貧乏な青春を短歌や歌にこめた作品が認められることとなりました。けれども、貧乏から抜け出せたと思った矢先に、肺結核に侵され26歳の若さで夭折します。東京朝日新聞の校正係の仕事が決まった石川は、北海道から家族を呼んで、創作を続けていました。

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石川啄木は、類稀なる歌人として天性の才能を持っていました。しかし、実際に私生活は遊びによる借金と全国各地を渡り歩くという波乱万丈な生活を送っていたのです。家族を顧みることをしないで、自分の感情のまま歌を書いていました。

生活のために小説を書くこともありましたが、お金にならないこともあったそうです。憧れの東京での生活も貧乏なままの生活が続いていました。

成功したいという希望をもつ日もあったでしょうが、「働けど働けど我が暮らし楽にならず」の歌のように、全く生活がよくあんらないという状況はとても辛く悲しい生活だったことが分かります。この実際に生活からも分かる石川啄木の辛さが、現代の私達の気持ちにも、ぐっとくるものがあるのです。

「働けど働けど我が暮らし楽にならず」に現代の若者も共感

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現代でも「働けど働けど我が暮らし楽にならず」という石川啄木の歌の意味を共感する人は少なくありません。どういったポイントに、現代の若者は「働けど働けど我が暮らし楽にならず」を共感しているのでしょうか。

100年も前の石川啄木が詠んだ歌「働けど働けど我が暮らし楽にならず」の共感ポイントについて詳しく解説していきましょう。現代の日本人にも、たくさんの共感を得ているポイントでもあります。

ワーキングプア問題

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ワーキングプア問題という言葉をご存じでしょうか。ワーキングプアとは、「貧乏以下で労働する人々」という意味があります。「働く貧困層」とう解釈もあります。「ワープア」と省略されて使われることもあります。

「働けど働けど我が暮らし楽にならず」は、現代の世の中との共通点を捉えて歌でもあります。ワーキングプアは、派遣社員や契約社員、アルバイトと呼ばれる働き方と思われがちではありますが、雇用形態には関係していません。現代では、正社員であっても貧乏な人はいます。

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働けど働けど我が暮らし楽にならずと同じような貧乏ななかで給料は増えずに支出が、増えている人は増えているのです。現代の日本は、アメリカと同じ資本主義の国でもあります。

資本主義からきた「個人の選択は、自己責任」という考え方で、お金持ちはよりお金持ちになって、貧乏な人は、どんなに頑張っても貧乏なままという負のスパイラルに巻き込まれてしまっているのです。

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「働けど働けど我が暮らし楽にならず」には、いろいろな解説が存在しています。身を削って働いても貧乏な生活から抜け出すことが出来なかった、石川啄木の心境が率直に歌われています。

「働けど働けど我が暮らし楽にならず」のなかの「ぢっと手を見る」から、もうこれ以上どうしていいか分からないという気持ちも分かります。この状況から抜け出すことができず、手を見つめるしかないというのも、現代に通じる部分でもあります。

ワーキングプラとよばれる人は一般的に「年収が200万円以下の人」という意味になっています。この10年で300万人にも増加しているのです。これは決して珍しいことではないのです。

希望を持つのが難しい状態

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「働けど働けど我が暮らし楽にならず」には、短い短歌のなかに、ワーキングプアとよばれるリアルな人々の状況が映し出されています。これは希望を持つことが難しい状態を表しているのです。それは、日本はワーキングプアに対して、対策がとられていないことも原因として挙げられます。

そんな中で働けど働けど我が暮らし楽にならずは、自分の手をじっと見つめていては、そのまま希望も持てずになってしまっているのです。自分でなんとかしていく希望を持てるような志を持っていきましょう。

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「働けど働けど我が暮らし楽にならず」は、現代の若者世代にも親しまれています。過剰な残業、負担の大きい仕事、働いた分だけ見返りがあるのかというとそれがかなわないのが現状です。この歌を詠んだ石川啄木と同じような境遇の人が増えていることを、表しているのでしょう。

夢のためにいくら頑張っても、評価されることがなく、生活は苦しくなるだけという生活は、疲れてしまい夢や希望もなくなっていまうでしょう。さらに、現代では命を絶ってしまう人も、問題になっているのです。

生きている時には、なかなか評価されないために、借金を背負いながら貧乏な生活を送っている人はたくさんいます。この歌が、出回れば出回るほど、現代の日本が関わる問題が浮き彫りになっていることを表しています。

「働けど働けど」は現代も続く切実な思い

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「働けど働けど」で有名な石川啄木の歌について解説してきました。石川啄木は、「一握の砂」で有名になるまで、波乱万丈な生活を送っていました。現代では、教科書に載るくらいの有名人ではありますが、借金を抱えて貧乏のなかで生活していたのです。

石川啄木の、「働けど働けど」に共感する現代の若者も、石川啄木と同じような境遇にいる人が多くなっています。ワーキングプア問題について、考えていく必要があります。現代の若者にも共感される「働けど働けど」について今一度考えてみてください。

大原 悦子
ライター

大原 悦子

食べることと、貯金が大好きです。最近は、断捨離をするのにはまり、本当に必要なもので暮らす生活に憧れる毎日です。断捨離のお陰で、生活のなかに「面白い」「楽しい」と思えることを発見することができるようになりました。

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