ワンレン・ボディコンとは?バブル時代に生まれた言葉の意味やファッションを紹介

ワンレン・ボディコンとは?バブル時代に生まれた言葉の意味やファッションを紹介

1980年代のバブル時代に流行った、ワンレン・ボディコンを知っていますか?30年~40年前の華やかな舞台が、連日大盛況でワンレン・ボディコンが街中にあふれていました。時代を一世風靡したワンレン・ボディコン世界や、バブル時代に使った言葉の意味を解説していきます。

記事の目次

  1. 1.80年代に流行ったワンレン・ボディコンって?
  2. 2.ワンレン・ボディコンの意味
  3. 3.ワンレン・ボディコン以外で女性の間で流行ったもの
  4. 4.ワンレン・ボディコンが流行った80年代とは
  5. 5.ワンレン・ボディコンの時代は懐かしく羨ましい時代

80年代に流行ったワンレン・ボディコンって?

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今から40年~30年前、1980年~1990年代の流行りだった、ワンレン・ボディコンってどんな意味か知っていますか?近年1980年代をパロディー化して、当時の様子を再現する風潮があり、10代の方でもなんとなく聞いたことがある言葉かもしれません。

ワンレンとボディコンは、セットで使われる機会が多いですが、ワンレンとボディコンは全く違う意味です。合わせて使うとよりその時代背景が、わかりやすく伝わるので、ワンレン・ボディコンと呼ばれるようになったという事です。

今回は1980年バブル時代の言葉の意味や、ファッションなどを紹介していきます。今さら聞けない死語辞典入りの言葉もあり、歴史を少し振り返り、掘り下げてみます。興味深いその時代背景がありました。

ワンレン・ボディコンの意味

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ワンレン・ボディコンは1980年代の象徴的な言葉です。バブル時代の背景には欠かせない言葉になりました。ワンレン・ボディコンは、ファッションにまつわる言葉で、その時代を表すわかりやすい表現です。

いつの時代にも流行があり、表現する時にわかりやすく伝える、新語が出てきます。ワンレン・ボディコンと聞けば、1980年代の情景が、目に浮かぶ言葉になっています。これから、ワンレンとボディコンの意味を見ていきましょう。

ワンレンの意味

80年代のバブル時代のワンレン・ボディコンは、女性のファッションの事です。その中でワンレンは、髪型のワンレングスで、段が入らず同じ長さの髪をさしています。その時代は皆さんロングヘアのワンレンで、ストレートやゆる巻きが流行っていました。

ワンレンは80年代のロングが代表で、その後はワンレンボブ、ワンレンショートも出てきました。ソバージュも同じく人気があって、ロングソバージュのゴージャスなヘアスタイルは圧巻でした。今ではロングソバージュは、見かけなくなっています。

ボディコンの意味

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次にワンレン・ボディコンの、ボディコンはボディーコンシャスの略です。ファッション用語でボディーコンシャスは、女性の身体のラインをそのまま出す意味で、つまり身体にピッタリした服を着て、身体のラインを出す、あるいは強調する意味になります。

女性達はピチピチのタイトなボディコンの服を着て、胸を強調しミニスカートで、ヒップラインも出していました。そこにピンヒールの靴を履き、夜な夜なディスコに繰り出していました。ボディコンのスタイルは時代の反映となっていました。

ワンレン・ボディコン以外で女性の間で流行ったもの

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1980年代に女性達はワンレン・ボディコンで世に登場し、社会現象になる旋風を巻き起こしました。高校生や大学生もワンレンを真似し、OLは当たり前にボディコン姿で夜の街に繰り出しました。80年代は成田空港の開港や、円高、国政の海外旅行倍増計画で渡航者が急上昇しました。

ワンレン・ボディコン女子の一部は海外へ進出し、セレブ感を味わっていました。そしてワンレン・ボディコンの他にも、流行っていたものがあります。その内容をここから見ていきましょう。

髪型

80年代のバブル時代、女性達のブームでワンレン以外の髪型にも特徴があります。その髪型は、前髪に特徴があります。鶏のトサカの様に立ち上げて、すだれの様に前髪を垂らすスタイルです。バブル時代は前髪が命で、皆こぞって立ち上げていました。

80年代の髪型は、ワンレン・ソバージュ・トサカ&すだれ前髪、この3大ヘアは昭和のバブルの象徴です。髪型の歴史の中でも、華麗なるバブル時代に流行し、今では昭和レトロの髪型として話題になっています。

メイク

80年代のバブル景気時代のメイクは、何といっても太い眉毛が印象的です。ワンレン・ボディコンの女性たちも太眉ですが、芸能界もこぞって太眉でした。メイクの特徴は口紅の色が濃いピンク、赤、エンジと、はっきりした色が使われています。

80年メイクが気になる芸能人は、松田聖子さん、中山美穂さん、工藤静香さんが人気となっています。その時ボディコンは着ていなくても、メイクやトサカ・すだれ前髪で80年代のトレンドを、取り入れてたことがわかります。流行に敏感な女性たちからの、支持率が高いのはさすがです。

ファッション

80年代のファッションは、バブル前半はDCブランド全盛期で、BIGIやニコル、コムサデモード他が飛ぶように売れていました。その後ボディコンと呼ばれる身体のラインを強調するスタイルへ、肩パット入りジャケットと、ミニスカートの逆三角形のスタイルへと移っていきます。

他にも渋カジと言われる、渋谷センター街を拠点とするファッションが栄え、その流れから肩パット入りの、金ボタン付き紺ブレ(ブレザー)が流行りました。後半はコンサバファッションが流行し、女子大生やOLはお嬢様風で、肩パット入りのジャケットに身を包んでいました。

W浅野

80年代W浅野のトレンディードラマは、一世を風靡しました。時代のファッションリーダーは、浅野温子さんと浅野ゆう子さんでした。ワンレン、トサカ前髪の彼女たちはドラマの中でおしゃれな家に住み、バブル時代の大ヒットドラマを何本も演じています。

ドラマの内容はもとより、彼女たちの髪型や、服装、豪華すぎる家の家具やレイアウトなどを、研究していた人たちも多かったようです。浅野温子さんはソバージュヘアでもお手本になっています。W浅野に憧れる女子大生たちは、キャンパスやディスコで長い髪をかきあげていました。

アッシー君

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今では死語となっているアッシー君は、1980年代の女性を取り巻く、一つの代名詞です。足代わりに使える、便利な男を意味します。80年代、女性はお財布がいらない時代だったと言われるくらい、ワンレン・ボディコンの女性達を取り巻く男たちがたくさんいました。

ワンレン・ボディコン女性達は、アッシー君は当たり前で、他にはご飯をご馳走してくれるメッシー君、何でも買ってくれるミツグ君、彼氏として本命じゃないキープ君がいました。女性には都合よく、時と場合で呼びつけ、言う事を聞いてくれる男達がいました。バブルの時代だからこそです。

ワンレン・ボディコンが流行った80年代とは

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1980年代は日本の歴史の中でも、もうあの様な時代は来ないと言われています。80年代を知る人たちは、ある意味いい時代だったと語ります。ワンレン・ボディコンは80年代のファッションを表し、遊びにも朝まで一生懸命力を注いでいました。

ワンレン・ボディコンが流行った80年代は、東京ディズニーランドが開園、任天堂の家庭用ゲーム機ファミリーコンピュータ(ファミコン)発売、現在使われている紙幣発行などがあります。1980年はどんな時代だったのか見ていきましょう。

バブル景気

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ワンレン・ボディコンが流行った80年代は、世の中の景気が良く、1986年から1990年頃日本では、株価や地価などの資産価値が急激に上昇し、それに伴う好景気の事をバブル経済と呼びます。その急激な膨張ぶりと後の崩壊が、泡が膨らんではじけてしまう様子によく似ていることから、バブル景気と名が付きました。

バブル期の頃は、高級住宅地、高級車、ゴルフ会員権が飛ぶように売れました。テーマパーク、高級リゾート地、スキー場、高級ディスコは常に満員でした。企業は海外企業や資産をどんどん買収し、財テクブームになり、接待費や交際費も大盤振る舞いで、近くでもタクシーを利用してました。

そして1990年にバブルは崩壊の道をたどります。株価が急激に下がり、地価も下がり始め、どちらも長い低迷期になりました。これがバブル崩壊です。現在の日本経済では、1980年代のバブル経済は、再び起こることはないとされています。

バイトの時給も高かった

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ワンレンボディコンの時代は、とにかくバブルでお金の価値が違っていました。コンビニのアルバイト代は時給700円~900円、クリスマスシーズンはファストフード店は時給1,500円を掲示しても、人が来ない超売り手市場でした。仕事の内容によっては、時給4万円のアルバイトが存在しました。

ワンレン・ボディコン女性達は、そのお金で洋服や美容院と、自分磨きにお金を使い、交通費、外食代、遊ぶお金は使わずに暮らせ、タカピー(高飛車な人)という言葉もありました。就職活動は交通費やお弁当を支給する企業もあり、内定者には、50万もする英会話教材を支給する企業もありました。

ディスコが大盛況

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ワンレン・ボディコンが流行った80年代は、ディスコに通うのが当たり前なほど、大ブームになりました。なかでもお立ち台で有名な、ジュリアナ東京が一大ブームを起こしました。マハラジャやキングアンドクィーンも、80年代を代表するディスコで、クラブという名の社交場として、時代を支えていました。

ワンレン・ボディコンの知名度も上がり、独立した「ワンレン」「ボディコン」の名前もすっかり当たり前になったのも、ディスコブームあってこそで、ジャパンブランドとなりました。

さかのぼると、70年代のサタデー・ナイトフィーバー、アース・ウインド・アンド・ファイアーのディスコ大全盛期時代があり、さらにそれ以前に、六本木には無限・メビウスなどクラブディスコが栄えた時代がありました。

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ワンレン・ボディコンの時代は懐かしく羨ましい時代

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今ではあり得ないほどの栄華の時代、ワンレン・ボディコン黄金期を見てきました。その時代にまだ生まれていない方達は、近年の80年バブル期のレトロブームで、メディアで見る機会も多くなりました。ワンレン・ボディコンを真似たダンスも登場し、ボディコンはお母さんの服との事でした。

そういった意味で、1980年のバブル時代は、ワンレン・ボディコンを多いに楽しみ、一生懸命はじけて遊び、良い時代だったのかもしれません。その時代にワンレン・ボディコンをしていた人には、懐かしい思い出かもしれません。

Sasaki vivien
ライター

Sasaki vivien

美容・食・健康関連の仕事をしています。 食と心と美容・ライフスタイルに関する記事など、 生活に役立つ執筆をしていきたいと思っています。 料理を作って皆様が喜ぶのを、幸せに感じています。 ワーケーションの受入れを始めました。

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