「遠慮の塊」の意味とは?
「遠慮の塊」という言葉をご存じでしょうか。「遠慮の塊」の読み方は「えんりょのかたまり」という読み方とします。今回はこの「遠慮の塊」の意味や類語をご紹介していきましょう。その他、「遠慮の塊」の英語表現や英語例文や使い方を例文で分かりやすくご説明していきます。
この「遠慮の塊」は、関西の方言の1つでもあります。関西の方言として大阪や京都の人がお皿の最後の1つのことを「遠慮の塊」という方言で表すことがあります。それでは、「遠慮の塊」についてどういった意味の方言であるかご紹介していきます。
意味「お皿の最後の1つ」
「遠慮の塊」の意味には、大きなお皿にもった料理などをみんなでシェアしている場合、最後の残りの1つのことをいいます。「私はいいので食べてください」と誰もが遠慮して手を出さなくなるという意味があります。
または、その残されたものに対して使われる意味があるのです。関西の人の方言の1つでもあって関東の人には全く通じない方言になっています。
意味「遠慮して最後の1つに手を出さない人」
「遠慮の塊」の意味には人に対して使う意味もあります。飲み会であったり宴会であったりの場面で最後の1つに手を出さない人を遠慮の象徴として使い方があります。この意味の使う場面として適切な場面は周囲の人と食べ物をシェアする場合に使う意味となります。
定食のように自分の分を個別に食べる場合は、マナー違反でもあります。食べ物を残すのは日本ではマナー違反として捉えられているのです。例えば、ブッフェなどでも自分の食べたいものを食べたいだけ食べられるというシステムではあります。
かといって自分の食べきれない量をとるのはマナー違反でもあるのです。周囲の人のシェアして食べ物を分け合う場合に、「遠慮の塊」が起こりがちでもあります。食べ物が1つだけ残ってしまった場合、飲み方や宴会に参加している人達全員が「遠慮の塊」という意味での捉え方になります。
意味「遠慮する場合」
例えば、何かの集まりで係りや役員などを決める場合に、最後まで決まらないことがあります。その場合司会の人が「係りをやってくれる人がいない係り」に対して「遠慮の塊」を使うことがあります。
もちろん遠慮しているのではなく、誰もやりたい人がいない場合に「遠慮の塊」を使っているのですが、「遠慮の塊」を使うことによって奥ゆかしい印象の言葉にすることができるのです。
この場合は、たくさんの人がシェアする場合や参加する場合に、誰もやりたがらないことに対して使う意味合いになります。
例えば、合コンなどであっても、他の参加者に遠慮してしまって普段とは違う控えめな振る舞いをしてしまうことがあります。このような場面でも「遠慮の塊」になっている人を表す意味があるのです。遠慮してしまう人に対して使われる意味合いがあります。
「遠慮の塊」の由来
「遠慮の塊」の由来にはどんな由来があるのでしょうか。「遠慮の塊」の由来ついて知ることでより「遠慮の塊」について深く理解していくことができます。「遠慮の塊」の由来について分かりやすく解説していきましょう。「遠慮の塊」の由来とはどういった由来があるのでしょうか。
由来「人々が集中して出来上がった存在」
「遠慮の塊」の由来は定かではありません。しかし、人々の遠慮が集中して出来上がった存在に対して使う意味合いの言葉であると考えられています。
「遠慮の塊」の意味にはお皿などの最後に残った1つの食べ物に対して使う方言の意味や、遠慮して最後の1つに手を出さない人の方言での意味合いとして使うことができます。
更には、食べ物だけではなく遠慮していることを表す意味としても使える意味の方言でもあるのです。このように「遠慮の塊」の類語はいつくかあり地域によって同じ意味合いでも違った言い方をしているのです。
「遠慮の塊」を食べる人の特徴
合コンなどで男女で食事を一緒にする場面で「遠慮の塊」がある場合はよくあることです。こういったシュチュエーションで「遠慮の塊」を食べることができる人は実はモテるといわれています。
どうして「遠慮の塊」を食べることができる人がもてるのか、その人がどういった特徴があるので「遠慮の塊」を食べる人の特徴をまとめていきましょう。
かゆい所に手が届く
「遠慮の塊」を食べることができる人の特徴として「こういう人がいたらいいな」という人でもあります。具体的にどんな人であるのか「遠慮の塊」を食べる人の特徴をご説明していきましょう。こういう人と一緒に食事をすることができるとかゆいところに手が届くので楽しい食事会にもなります。
誰かが食べてくれるとありがたいと思っている人が多い
そもそも「遠慮の塊」は、自分以外に食べたい人がいるかも知れないのに自分が食べてしまうと恨まれるのが嫌だという気持ちや、自分だけいい思いをするのは申し訳ないという気持ちがあります。他にも誰か食べたい人に食べて欲しいという思いやりがある場合も「遠慮の塊」が残るものです。
「遠慮の塊」があることで、次の注文がしにくかったり、お皿を下げてもらえないので邪魔というデメリットもあります。料理もどんどん冷めて美味しくなくなってしまうので、味が落ちてしまうという心配もあるでしょう。
このようなデメリットがあることを考えてしまうのはその場にいる人が少なからず思っていることでもあるのです。「遠慮の塊」を食べてくれる人は、みんなのこのデメリットを打開してくれる勇気のある人でもあるのです。
誰もが「食べにくいなあ」と思っているものを「遠慮の塊」を食べてくれる人はかゆい所に手が届く人になっているのです。もちろん人によっては、自分勝手な人と思われてしまうこともありますが、それよりも「誰か食べてくれないかな」と思っている人の方が圧倒的に多くなります。
そういうことからも「遠慮の塊」を食べられる人は、周りのために自分を犠牲にして明るく「遠慮の塊いただきます!」といって食べてくれる人でもあるのです。
受け取り上手
日本人に多い特徴として誰かに何かしてもらう場合に、感謝する気持ちと同時に申し訳ないという気持ちをもってしまうことが少なくありません。例えば、電車で席を譲ってもらったとしても「自分に席を譲ってもらって申し訳ない」という風に感じてしまうことがあるでしょう。
具合が悪かったりする場合、席を譲ってもらえて助かるという気持ちがありながらも、どこかで「自分よりも困っている人はいるだろうに申し訳ない」という気持ちや「恥ずかしい」という気持ちを抱いてしまいがちになってしまっているのです。
この気持ちは、自分の自信のなさからもきていることが多くなっています。自分がこの人の好意を受け取るのは申し訳ないという気持ちが強くなってしまっていることが考えられるのです。
しかし、相手も好意を表すにはそれなりの勇気を出してくれていることが多くあります。相手のことを思って勇気を出して声をかけてくれているのです。ですので「遠慮の塊」を食べることができる人の特徴として「受け取り上手」という特徴があります。
愛される受け取り上手
「遠慮の塊」を食べることができる人の特徴として「遠慮の塊だから食べちゃって」と勧められることがあります。これはこう言った相手も「遠慮の塊」を食べてもらいたいという好意を表してくれていると考えられます。
この場合に笑顔で「ありがとう」と受け取ることができれば、「遠慮の塊」を勧めた方もホッとして喜んでくれることでしょう。周りの人のそうやって好意を受け取ることができる「遠慮の塊」の人に対していい印象をもってくれるものなのです。
もしも、「遠慮の塊食べちゃって!」と言われたとしても「いいです」と恐縮してしまってはその場は白けてしまうこともあります。1人が恐縮して遠慮してしまうと「遠慮の塊」は誰も食べてもらえないことになることになってしまいます。
受け取り下手な人がいると、どうしても「遠慮の塊」は残ってしまうのです。「遠慮の塊」を食べることができる人というのは、そういったことから受け取り上手という特徴があります。そのため、目上の方からも可愛がられて、何かと気にかけてもらえるという特徴もあります。
いろいろなことを教えてもらいやすかったり、何かと構ってもらえるという特徴があります。また、男女の関係であっても、「ごめん」というよりも「ありがとう」といえる女性の方がモテるという特徴もあります。「ごめん」という言葉はどうしてもネガティブな印象のある言葉でもあります。
それに対して「ありがとう」は感謝の言葉でもありとてもポジティブな言葉でもあります。「ありがとう」を言われるといわれた相手も暖かい気持ちになるのです。もしも相手に何かを勧められたのであれば、自分も嬉しいのであれば素直に「ありがとう」と受け取ることも大切になってきます。
自分の気持ちをストレートに表現できる
「遠慮の塊」の食べる人の特徴として自分の気持ちを直接伝えることができるという特徴があります。人によっては自分の気持ちを相手にストレートに伝えることが悪いことであると受け取ってしまっている人が少なくありません。
自分の気持ちを相手に伝えてしまうと「自己中に思われてしまわないだろうか?」「嫌われてしまわないだろうか?」という心配する気持ちがあります。これは自分に対して自信がないことが理由になっています。
「遠慮の塊」を食べることができる人というのは自分の気持ちをどんなにたくさんの人がいたとしても伝えられる人でもあるのです。現代社会では自分の気持ちを直接的に伝えることは恥ずかしいことであったり、子供っぽいと思われてしまうことでもあります。
特に日本人は、周りとの和を大切にする部分が多く、自分の意見をはっきりいうことを悪いという捉え方をしてしまっている人が少なくありません。大人になってくると、たくさんの人と関わる機会も多くなってきます。
自分を押し殺して、ほかの人に合わせることが社会で生き残る手段となってしまっている人も少なくないのです。
そういう生活が当たり前になってしまって、自分の意見をだすことが出来なくなってしまっているのです。「遠慮の塊」を食べることができる人というのはそういった価値観を打開してくれる人でもあるのです。
「遠慮の塊」は自分の意見を出せる魅力的な人
日本ではこのように自分の意見をはっきりと言えない人が増えています。自分の意見を言わずに周りの意見を受け入れたり、同じ意見にすることで衝突もないですし、はじかれることもありません。ただ、それがストレスとなっている人は少なくなりのです。
ですので、自分の意見をはっきりと周りに伝えられる人に対して魅力を感じる人も少なくないのです。みんなが食べられずに残してしまっているお皿の上の1つを「食べたい」と素直に言える人というのは、魅力的でもあります。
ただ、「遠慮の塊」を食べることができる人というのは、周りの人の「誰か食べて欲しいな」「どうにかしたいな」というのを解決するべく行動に移してくれる人でもあるのです。それをわざわざ周りに違和感を与えることなく上手に食べることができるのです。
「遠慮の塊」の類語
それでは、「遠慮の塊」と同じ意味で使う言葉である類語をご紹介していきます。「遠慮の塊」は関西で使われる方言の1つでもあります。
方言でもあるので地域によって「遠慮の塊」の意味の方言があるのです。それぞれの地域の「遠慮の塊」の意味の方言にはどんな方言があるのかご紹介していきましょう。
類語「一つ残し」
関東では「遠慮の塊」の類語として「一つ残し」という方言があります。関東でも関西と同じようなシュチュエーションで「遠慮の塊」の類語「一つ残し」という類語を使うことがあります。お皿に1つだけ残った食べ物に対して使う割れる意味としての方言になります。
標準語や関東地方では「一つ残し」「関東の一つ残し」という使い方があります。この由来には、江戸っ子は、おなかが減っても全部食べてしまわないのが「粋」とされていました。
「粋」とは「江戸時代の美意識の1つで、ものによく通じていること、あるいは通じている人をいい転じて色の道によく通じていること、よく通じている巧者」という意味がありました。遠慮意して食べ物を1つ残しているのではなくて、見栄を張っているから残していることが考えられます。
類語「肥後のいっちょ残し」「越後の一つ残し」「日本人の悪い癖」
この方言は熊本で「遠慮の塊」の類語として使われている意味の類語になります。地域名を頭につけることで「遠慮の塊」を同じ意味の類語として使える方言になります。他には、「越後の一つ残し」という類語で表すこともあります。
ほかに国際的な視点として「日本人の悪い癖」という類語の意味として使うこともあるのです。この使い方の場合は地域を特定するわけではありません。特に海外で指摘されることがあります。仕事でも海外で働く人が増えたことによって生まれた言葉でもあるのです。
青森では「津軽衆」という使い方で「遠慮の塊」の1つだけ残っているものを食べる人のことを「津軽の英雄」という使い方もします。方言での「遠慮の塊」の類語の言い方として「地域名」に「一つ残し」という形が一般的になっています。
「越後の一つ残し」「信州人の一つ残し」「越中の一つ残し」「遠州の一つ残し」のようなパターンがあります。どの方言も明治以前に使われていて旧国名の使い方になります。
「遠慮の塊」の英語表現
「遠慮の塊」を英語で表現するとどんな英語表現があるのでしょうか。英語で「遠慮の塊」を表す例文があります。どういった英語表現が「遠慮の塊」として使われるのか、例文でご紹介していきましょう。英語での「遠慮の塊」の使い方を英語例文を見れば大変よく分かります。
last piece left due to everyone's hesitation
「遠慮の塊」を英語で表すと「last piece left due to everyone's hesitation」となります。例文を使っていくつか英語表現をご紹介していきましょう。
例えば日本語で「この遠慮の塊、もらってもいい?」という表現を英語で表現すると「Can I have this last piece?」となります。また、「遠慮の塊を食べちゃって!」という日本語を英語表現にすると「Please finish that up!」という英語表現になります。
「遠慮の塊」の使い方
それでは、「遠慮の塊」の使い方にはどんな使い方があるのでしょうか。例文をご紹介しながら分かりやすく解説していきます。「遠慮の塊」は方言でもあるので、微妙なニュアンスがあります。正しい「遠慮の塊」の使い方を理解しておきましょう。それでは、「遠慮の塊」の正しい使い方とは?
例文①
「遠慮の塊」の使い方例文①として「最後の1つを食べるときに使う使い方」です。例えば、最後の1つを食べる場合に「遠慮の塊」ということで最後の1つを食べるのも食べやすくなります。何も言わずにたべると食べる人も周りの人も気まずくなってしまうことになります。
そういう場合に「遠慮の塊」を宣言する使い方があります。具体的な使い方としてお皿に残った残り1つを食べる場面で「遠慮の塊をいただきます!」と宣言する場合に使われる使い方になります。
例文②
「英語の塊」の使い方例文②として「最後の2つを勧める場合の使い方」があります。具体的な使い方シーンとして何かお皿に1つ残ってしまった場合に「遠慮の塊があるので、食べてください」というように声かけをすることで食べ物を勧める使い方になります。
この場合「一つ残し」という使い方であれば残していることを非難している意味合いになってしまうかも知れません。けれど、「遠慮の塊」という使い方をすることで柔らかい印象で勧められるメリットがあるのです。
例文③
「遠慮の塊」の使い方例文③として「遠慮深い人を表す使い方」があります。具体的な使い方として「○○さんはいつも人のことを考えて行動していますよね。遠慮の塊のような人ですね」という使い方をします。「○○のような人」「○○みたいな人」という使い方をすることが多くなります。
例文④
「遠慮の塊」の使い方例文④として「遠慮する必要がないことを伝える使い方」があります。例えば、誰かを何かのイベントに誘う場合「遠慮の塊みたいにならないの!○○ちゃんも参加しようよ」という使い方ができます。
関西ならではの使い方として「遠慮の塊か!」というつっ込みとしての使い方もできます。遠慮する必要がないことを楽しく伝えることができる使い方でもあり、面白い雰囲気にしながら相手も参加しやすくしてくれるのです。
「遠慮の塊」の注意点
「遠慮の塊」は、食べ物に対して使うことが多い言葉でもあります。ただ、方言であるので意味が分からない人もいますし、人によっては失礼な印象を感じられる場合もあるので注意しましょう。使う人によって使い方には十分注意しましょう。
「あなたの気配りに感謝します」という気持ちを込めて使える言葉でもあるので、相手によって使い分けていくことが大切です。また、時として太っている人に対して「残飯処理」として「遠慮の塊」を与えられることがあります。
これは見た目によって「遠慮の塊」を食べさせられていることも考えられるので、今回ご紹介したような「遠慮の塊」を食べられる人の特徴には当てはまることではないのでご注意ください。
人によってはこのように「自分が太っているから残飯を食べさせられているんだ」と思ってしまう人もいるのです。ですので、人の見た目で判断するのは大変失礼なことでもあるのでご注意ください。
「遠慮の塊」は「お皿の最後の1つ」という意味
「遠慮の塊」は関西の方言になります。食事会などでたくさんの人と料理をシェアする場合に最後に残った最後の1つのことを意味した使い方をします。「遠慮の塊」を食べられる人の特徴としては、他人のかゆいところに手の届く人であったり、自分の意見をストレートに表現できる人でもあります。
ただ、人によっては不愉快に感じてしまう場合もあるので、使うシーンや使う人はよく考えて使うことが大切です。安易に太っている人に「遠慮の塊食べてください」というのは大変失礼でもあるのでご注意ください。