「ふつつかもの」の意味とは?
「ふつつかもの」という言葉の響きには、物事にへりくだったり、自らを卑下しているかのように伝わってきます。ふつつかものの意味は「気の利かない人」や「行き届かない人」と説明されています。
ビジネスなどで初対面の人や上司になどに向かって「ふつつかものですがよろしくお願いします。」などと儀礼的な挨拶の言葉として使われたりもしています。
そんな「ふつつかもの」という言葉は、近頃ではあまり使われない様です。しかし使い方次第で、相手に対して好印象を与えるという深い意味もあるようです。そんな「ふつつかもの」の使い方など紹介します。
「ふつつかもの」の対義語・類義語
「ふつつかもの」という言葉の意味は、相手に対してへりくだって相手の気持ちを高め、謙譲の気持ちを伝えるなどのこともあります。簡単に言えば、下手に出て相手を持ちあげるということの様です。
日本語には一つの言葉に対する語源があり、意味が反対になる言葉や対照的になる言葉「対義語」や造型が違っても同じような意味を持つ言葉「類義語(類語)」があります。
そんな「ふつつかもの」の対義語と類語について触れてみます。このことだけでも、日本語の一つの言葉に対する幅の広さを知るとができます。対義語と類語の一例を紹介します。
対義語
「ふつつかもの」という言葉は、気が利かない人や行き届かない人のことを意味するという様に使われたりします。しかしこの言葉は使い方で、相手への気遣いや逆に批判になるということもあったりします。
そんな「ふつつかもの」にも、対照的な意味を持つ言葉があります。例えば、気が利く人や心優しい人・気立ての良い人・機転が利く人などの言葉があります。
「ふつつかもの」の対義語ですが、どちらかというと能動的で、アグレッシブな人の性格を表すような言葉の意味に伝わります。そんな、ふつつかものの対義語の意味を紹介します。
気が利く人の意味
ふつつかものの対義語に「気が利く人」という言葉があります。気が利くという言葉の意味は、物事をするのに、細かなところまでよく気が付く、心が行き届く、機転が利く。と説明されています。
ほんの些細なことでも、他の誰よりも先に気づき或いは行動するという常にアグレッシブな気持ちを持った人で、周りへの気遣いが半端ない人のことを指しています。
ややもすると、細かい人だなどと揶揄されることもありがちですが、一般的には、気が利く人で頼りになるなどと高評価を得たりしています。そんな、ふつつかものに対する対義語です。
親切な人の意味
ふつつかものの対義語に「親切な人」という言葉があります。親切という言葉の意味は、好意を持って人のために、あれこれと計ってくれること。という様に説明されています。
計るという言葉に、引っ掛かりを感じるのですが「人のためにつくす」という様に読み替えることができます。親切とは、他人のために何事にも行き届いた行いをして、喜ばれるということの意味があります。
この様に、ふつつかものの対義語としての親切な人は、やりすぎると親切の押し売りなどとも言われかねませんが、普通に自然体で人のためにつくすという点では、気の利いた人の評価と同じ様です。
類語
「ふつつかもの」という言葉に似た言葉は、たくさんあります。いわゆる類語(類義語)というものです。手が届かないやまだ若いなど、達成半ばの状況や状態を言い表す言葉があります。
そんな「ふつつかもの」の類語として、未熟者とか若輩者・不調法者などがあります。その様に、相手に対してへりくだった物言いのたとえとして使う似た言葉です。
「ふつつかもの」の類語は、ややもすると人を非難したり、誤解を招くような言い回しになったりもします。へりくだることや相手への謙譲の気持ちを十分に考えて使います。ふつつかものの類語を紹介します。
未熟者の意味
ふつつかものの類語に「未熟者」という言葉があります。不慣れで技能が身についていない者という様に説明されています。この意味は、勉強中で未だ発展途上という様にも理解できます。
実際、その状態の人には的を得た言葉ですが、いつまでも成長しないという様にとらえると、その人を非難するようにもなりかねない、誤解を生みそうな雰囲気のある言葉です。
そんな「ふつつかもの」の類語として使う未熟者には、物事に行き届かないという、相手に対してへりくだった物言いの意味としての使い方がります。一歩下がって、他人を高めるというときなどに使ったりします。
不調法者の意味
ふつつかものの類語に「不調法者」という言葉があります。何かと細かいことに気づかず、配慮の行き届かない者という様に説明されています。
ある意味、礼を知らない不届きな人という様にも、捉えられかねないという意味合いもある様ですが、行き届かないということでは「ふつつかもの」の類語として使われます。
何分にも不調法でしてなどと使ったりしますが、こんな場合の不調法は、何事にも行き届かないという様に、へりくだった時の言い回しとして使ったりします。
「ふつつかもの」の使い方・例文
ビジネスの場面における「ふつつかもの」という言葉の使い方は、名刺交換や交流の場で自らを紹介するときの謙遜する言葉として使ったりします。
しかし、この「ふつつかもの」という言葉には、不届きものなどと言って、他人をいさめる強い言葉としての使い方もある様です。しかし、一般的には謙遜とか謙譲とかの場面で使われています。
実際の場面を想定した「ふつつかもの」を使った例文を、いくつか紹介します。へりくだり、相手への謙譲の気持ちを持った誠心誠意の文書は、謙遜や謙譲するという意味を伝えるものです。
例文①
初めてにもかかわらず、大事な仕事をお任せいただきありがとうございます。何分にもふつつかもの(不束者)ですが、精いっぱいの努力をもってご期待に応えられるように頑張ります。
という様に、仕事を任された感謝と自分の実力を認められたにも関わらず、へりくだった姿勢は崩さないという決意の表れを表現しています。
相手に対する謙虚さを失わず、謙譲の気持ちを込めた挨拶文としては、決意表明も含まれるなどしています。ふつつかものを使った例文でした。
例文②
ふつつかもの(不束者)の私に与えられた仕事の重要性は、今後のビジネスチャンスにもつながる確信が得られました。苦しみの中らはいあがられるよう、不束者の私に与えられた試練として誠心誠意頑張ります。
この様に、自分の実力のレベルを自覚して死地回復の努力をするというへりくだった物言いと、自らの試練に立ち向かうという姿勢を表現しています。
謙虚な気持ちを持って、自ら力足らずという様に謙遜するという気持ちが表れた内容の例文です。不束者という言葉を2度使いしている点は、ビジネスチャンスに食らいつくという姿勢の表れでもある様です。
例文③
この度の仕事のご依頼に感謝いたします。ふつつかもの(不束者)ではありますが、ご期待に添える様に頑張ります。行き届かないこともあるかと思いますが、不束者の私を指名くださり深謝申し上げます。
この様に、仕事の依頼を受けた礼状の例文ですが、感謝の気持ちと謙虚さが伺える内容になっています。前の例と同じように「ふつつかもの」という表現を2度使いしています。
相手に対する謙譲と感謝を十分に込めた例文といえます。不束者という、他人に対する自らの謙遜した姿勢と謙虚さを伝えるには効果的な例文の様です。
例文④
ふつつかもの(不束者)の私ですが、皆様の支えを受けながら日々精進しています。ご期待にお応えできるには、あと少しかかる見込みです。懸命な努力を重ねておりますので、今しばらくお待ちください。
ある意味、力足らずで申し訳ありません、という様にもとれる内容の例文ですが、支援してくれている人たちの期待に応えようとする努力伺える例文です。
謙譲する心根や行き届かないところを努力でカバーして、結果を求めるという姿勢が表れています。謙虚に謙遜の気持ちを正直に表現してる例文です。
「ふつつかもの」と「太束(ふとつか)」の違い
「ふつつかもの」には、行き届かないとか未熟者などと言う意味があるということや相手に対して謙譲の気持ちを持って接するときに使うなどと紹介してきました。
しかし、この言葉には歴史とともに使い方が違ってきたという説明がされています。その違いの対象となった語源が「太束(ふとつか)」と言われています。
「ふつつかもの」と「太束者」という語源の意味には、根本から違いがあったようですが、同じように昔使われていた言葉が、今では全く違う意味で使われている様です。
太束は「太くて頑丈なさま」という意味
太束という語源の意味は「太くて頑丈なさま」という様に説明されています。そして、その語源は誉め言葉として使われたということとも言われています。
しかし「野暮ったい人」「面白みがない人」などと言う様にも太束が使われたりしていました。この太束とは、意味が異なり「行きとどいていない、不足している」などのことを含めて、不束者に変わりました。
この様にして、太束は「誉め言葉」不束者は「謙譲の言葉」という様に意味の違いや使い方の違いが説明されています。太束は「太束ですね。」とか「太束だ。」などと誉め言葉としても使われます。
「ふつつかもの」を使う際の注意点
「ふつつかもの」という言葉を使う場面は、様々あります。しかしこの使い方を間違うと、自分の思う気持ちと真逆に伝わってしまうということがあります。
自分がへりくだって、相手に謙譲の気持ちを伝えるという様に使ったつもりが「あの人は、ふつつかものだ」という様に伝わると、避難した使い方になってしまいます。
この様な使い方は、あまりない様ですが「ふつつかもの」という言葉の使い方には、注意すべき点があります。この辺が、ちょっとしたことで真逆の意味のなるという日本語の難しさの様です。
謙譲の気持ち以外では使えない
「ふつつかもの」という言葉の使い方は、少し間違うと真逆の意味になってしまうという様に言いました。「あの人はふつつかものだ」などと言うと、気が利かない未熟者だなどという様になってしまいます。
「ふつつかもの」は、自分の気持ちを相手に伝えるへりくだった使い方が本来です。「ふつつかものですが、よろしくお願いします。」などの様に、へりくだり相手に謙譲の気持ちを伝える以外には使えないのです。
「ふつつかもの」の由来・歴史
「ふつつかもの」という言葉には、歴史・由来があります。ふつつかものの語源をたどると、平安時代初期にまで遡るようです。その語源は「太束者」にある様です。
そして、その時代には「太束者」という様に言われていて、その後に「ふつつかもの」という様に変化してきたというふうにも伝えられています。そんなふつつかものの由来・歴史を紹介します。
由来
「ふつつかもの」の由来は、前の項でも触れましたが、語源の「太束者」とのかかわりが強くあります。平安時代には、太くて柱の様に丈夫な人のことを「ふつつかもの」と言っていたようです。
その語源が太束者であり、細い方が美しいという美意識が生まれ、太束者が「太くて不格好」という意味に変わりました。そして「ふつつかもの」は、現在の様な意味に変わってきたという由来があります。
歴史
「ふつつかもの」は、現在の意味になるまで様々に変化をしてきました。柱の様に太くて丈夫な人という意味から「不格好な人」「無骨な人」「下品な人」などと移り変わりがありました。
この変遷が、平安時代前後から続いているという長い歴史を経て、語源の太束者から現在の「気が利かない人」「配慮が行き届かない人」などの意味を持つふつつかもの(不束者)に変わったという歴史があります。
「ふつつかもの」の英語表記
「ふつつかもの」の英語表記ですが、日本語の様に自分を謙遜するような言い回しは英語ではない様です。そして英語圏では、へりくだった物言いは自信がないという様に受け取られるようです。
しかし、こんな英語表記があります。I'm an unmarried person(ふつつかものですが)やI'm not mach good at anything, but please bekind to me(ふつつかものですが、よろしくお願いします。)という表現です。
「ふつつかもの」の漢字
「ふつつかもの」の漢字ですが、ふつつかものの歴史とともに漢字ができてきています。そもそも「ふつつか」とは、太くて短い柱の意味を持つ太束(ふとつか)が語源で、その当て字と言われています。
「不束者」と言う漢字表記になり、平安時代に太くて丈夫な人のことを指して不束者と表記していました。そして、不束者が現在の意味を成すようになり、漢字で「不束者」と書くようになりました。
「ふつつかもの」は行き届かない者という意味
「ふつつかもの」漢字では、不束者と表記します。この不束者という表現は、日常生活の中でもビジネスの場面などでも、挨拶の時などに使われたりします。
「不束者ですがよろしくお願いします。」など相手に対して謙譲の気持ちを伝えるときなどに使います。この不束者には、行き届かないという者という意味がありますので、参考にしてみてください。