「音頭をとる」の意味とは?
「音頭をとる」という言葉があります。一般的には、多くの飲み会などの祝いの席の始まりとして使ったりするこの言葉ですが、一体どの様な意味があるのでしょうか。
なんとなく意味を知っててこの言葉を使用している方が多いのではないでしょうか。今回はこの「音頭をとる」という言葉の意味や語源をご紹介するとともに、そこから派生して類語や例文をご紹介し、「音頭をとる」という言葉について、わかりやすくご紹介して行きます。
物事のはじまりにみんなの心をまとめること
「音頭をとる」という言葉について、一般的な辞書を用いて検索するとこの様な表現が記載されています。
食事会などの、公式なお酒の席では「乾杯」という恒例イベントが必ず初めにありますが、「乾杯の音頭をとる」という言葉から連想すると、上記の説明はなるほどしっくりきます。
使い方としては、上記の様な使い方をすることが多くあります。「音頭をとる」という言葉を単体で「みんなをまとめていく」という意味がありますが、多くの場合では上記の様にこの言葉の頭には名詞が付き、音頭をとる行動に至るきっかけを意味した単語を示すことが多いのです。
勝負などの場面で「他社よりも優位に立つ」こと
「音頭をとる」の言葉は、ほとんどが上記の使い方ではありますが、他方ではこの様な「他社よりも優位に立つ」事にも言い表されます。
「先頭を行く」という意味では、上記二つは似ていますが、一方では「まとめる」という意味を含み、もう一方では「優勢になる」や「リードする」という意味も含まれているのです。
雰囲気を高める
また、「音頭をとる」の言葉の意味はこれらだけではなく、ただ単に「雰囲気を高める」という意味合いも含まれています。
乾杯時に音頭をとる事は、この様な意味も含まれているのです。つまり、場の雰囲気を高めて盛り上げながらも、同時に先頭に立ってみんなをまとめる、といったような非常に重要度の高い行動であることが言えます。
「音頭をとる」の対義語・類義語
それでは、ひととおりこの「音頭をとる」の言葉の意味をざっくり知ったところで、この言葉をより使いこなすために、反対語や類語を見ていきます。
前述の様に「音頭をとる」という言葉には、乾杯の際などに代表されるように、先頭に立って「みんなの心をまとめていく」という意味があります。この様な慣用句的な使い方をするため、意味においての類語や対義語を知っておくことは非常に大切なのです。
「音頭をとる」の対義語
それでは、さっそく対義語から見ていきます。上記の意味から推察すると、反対の意味も自然と浮かんでくるものです。例えば「主導」という言葉があります。
この言葉は、その人が「先頭に立って他の人々を導く事」という音頭をとる、とほぼ同じ意味をする言葉ですが、この言葉を対義語を考えると、「追従する」といった言葉が対義語であると言えます。
このほかにも、「従属する」といった、「他者に依存し従う」といったニュアンスの言葉は「音頭をとる」の言葉の対義語にあたる、と言えるでしょう。
又、少し極端な例文を出してしまうと、単に「盛り下げる」という言葉のみでも十分に「音頭をとる」の言葉の対義語である、と言えます。
「音頭をとる」の類語
一方「音頭をとる」の類語にあたる言葉、例文はどの様なものがあるのでしょうか。前述したように、「主導」という単語は類語であると言えますし、同じような慣用表現で探すのであれば「旗振りを務める」や「発破をかける」といったような慣用表現も類語の表現であると言えます。
また、勝負事などで優位に立っている際には「先頭をひた走る」というような表現を良くしますが、この様な表現も「音頭をとる」の類語表現であると言えます。
この様に「音頭をとる」という言葉には、対義語も類語も様々な表現の仕方で多くの言葉で言い換える事が可能となっています。人々は、古代の頃から大小様々な集団同士で争ってきた歴史があるため、その分こういった語源の慣用表現は数多く存在します。
「音頭をとる」の使い方・例文
この様に、様々な対義語や類語の存在が判明したところで、実際のシーンでの使い方や例文をいくつか、ご紹介して行きます。
前述では、「音頭をとる」という言葉は公式な食事会などで良く使われる意味ですが、公式な場所でしか使えないという意味合いは全くなく、日常どの様なシーンでも使う事が可能です。
例文①「部長に音頭をとってもらい、社員の士気を高める。」
一つ目として、「部長に音頭をとってもらい、社員の士気を高める。」という例文をご紹介します。この例文では、「音頭をとる」という言葉をそのまま用いて、部長が管轄している社員の機運を高める様子を表現しています。
こういうシーンでは、音頭をとるのはその組織の長が執り行う事が多くありますが、敢えて一番の若手を指名する事で場が盛り上がることケースも多く、実情は様々です。
例文②「河内の国で代々伝わる音頭をとる。」
続いて、同じような文構成の例文ですが、また違った意味ので例文である、「河内の国で代々伝わる音頭をとる。」をご紹介します。
河内音頭という、近畿の一部地方では伝統的に受け継がれている土着的な民謡などを取り入れた雅楽があります。音頭というものは基本的には独奏である為一人の演奏者が舞い、歌う事を表してしていますが、現在では盆踊りなど、多数が一緒になって踊る事も含まれています。
上記の例文では、どちらの意味でも用いられ、音頭をとる人数が一人の場合だけでなく、多数人の場合にもこの様に表現する事が可能なのです。
例文③「乾杯の音頭をとる」
3つ目には、1つ目に挙げた例文と同じようなシーンである「乾杯の音頭をとる。」の例文をご紹介します。この例文では、会社として参加している飲み会などのお酒のある席では、必ずと言ってよいほど行われる慣例行事です。
乾杯とは
この「乾杯」というしきたりは、中世の頃から宗教的儀式の様な色味を帯び、少しづつ形を変えながら「乾杯」が続けられています。
この例文の様な宴席の場での「乾杯の音頭」とは、その宴席を一層盛り上げ、参加者の結束を乾杯によってより強固なものにするために行われることが多くあります。
通常、乾杯は参加者が概ね揃ったタイミングで酒宴の始まりの合図として機能するものですが、乾杯自体には決まったルールなどは無く、その日の酒宴のうち、複数回乾杯が執り行われることが多いと言えます。
また、乾杯のかたちは最低限のマナーが存在するのみで、国や地方によって乾杯の形は様々あります。注がれている酒の種類によっても乾杯の形はある程度決められており、そのしきたりにならって乾杯を行う事がほとんどです。
例文④「彼が音頭を取り、皆が集合した。」
最後の例文として、「彼が音頭をとり、皆が集合した。」の例文をご紹介します。この場合の「音頭をとる」という言葉も、上記の例文での意味と概ね同じ意味を表しています。
「音頭をとる」の慣用句の使い方としては、このそうな「率先して全員をまとめる」という意味の使い方をすることが多く、この使い方さえ把握できていれば概ね問題はないと言えます。
音頭と温度の違い
これまでの例文のご紹介により、「音頭をとる」の慣用句の使い方は把握できたのではないでしょうか。ここからはもう少し掘り下げ、「音頭をとる」の間違えやすい使い方の例をご紹介して行きます。
「おんど」という同じ読み方をする漢字には「温度」があります。字面をみると全く違う別の言葉である、という事は明白ですが、口頭ではどちらもイントネーションはほぼほぼ同じであるので、聞き間違えてしまう可能性は思いのほか高いと言えます。
音頭は独奏という意味
前述したように、「音頭」とはもともと雅楽などでの独奏を意味しています。その演奏者に合わせて観客などが続けて合いの手を挟む、といった様子が語源ともなっているため、その漢字を「温度」に変えてしまうと全く違った意味となります。
言うまでもありませんが、「温度をとる」というと、そのまま温度計などを使って「温度を測る」と言った意味になってしまい、全く違うものになります。
「音頭をとる」を使う際の注意点
この様に、「音頭をとる」という言葉には、全く同じ読みをする言葉も存在し、前後の雰囲気から意味を推察する必要がある、という事がわかります。但し、両者は全く違う意味を持つため、区別する事はそんなに難しいことではないでしょう。
温度では使えない
改めてご紹介しますが、「温度」では全く違う意味になることを忘れずに把握しておきましょう。「温度をとる」という慣用表現は存在しないため、油断して間違えようものなら場が凍り付く可能性もあります。
その際はギャグとして切り抜けられるよう、とっさの判断が必要になります。十分に注意して聞き取る様にしましょう。
「音頭をとる」の語源
「音頭をとる」という言葉はあくまでも慣用表現です。つまり、古来からのしきたりや、恒例ともいえる行動から、「音頭をとる」という言葉が派生して使われているのです。ここからは、そんな慣用表現の語源をご紹介して行きます。
由来
前述の様に、「音頭」とは民謡や雅楽での独奏の事を言い、それを語源としています。初めに演奏者の歌などに合わせて、観客が合いの手を入れるタイミングで復唱したりする事を語源としています。
歴史
「音頭」の歴史とは、その地域の民謡の歴史と密接に関係しています。民謡は、古来から口頭で受け継がれてきた伝統的な楽曲であり、その歴史は様々あります。地域や、その土地の風景によってもまさに千差万別と言えるのです。
「音頭をとる」とは先頭に立ってみんなをまとめていくという意味
この様に、「音頭をとる」という言葉には長く、深い歴史が関係して、慣用句という表現の形を変えていきながら、今日まで一般的に使用されています。何かを成し遂げる上では、組織が一体になりその目的に向かう事が必須である為、この言葉が親しまれていると言えます。