客観的の意味とは?
「客観的」とは、特定の個人的主観の考えや評価から独立して、普遍性を持っていることを意味します。何か難しいことのように感じられますが、「客観」は「客」が「観る」と書き、「自分ではない第三者が評価をしてみる」ということです。
第三者的視点で評価することを意味する
ここでいう「客」は、訪問者やお店にやって来て商品を買っていく人の意味ではなく、「自己や主たるものと別にあって対立するもの」を意味します。
また「普遍性を持っている」というのはどういう意味かというと、全てのものに通じるということです。「第三者」は特定の第三者ではなく、一般的な「第三者」が評価していることを意味します。
誰が見てもそう判断するという立場で評価すること
自分以外は他人であり、その他人にもいろいろいて、いろんな意見や考えを持っています。しかし、その中でも、誰が見てもそう判断するだろうという立場で考えてみることが「客観的」ということです。
ただし、「第三者」は必ずしも「人」であるとは限りません。コンピュータだったり、AI(人工知能)だったりします。
例えば、バレーやサッカーなどのスポーツの審判の判定で、コンピュータを用いた画像解析が使われますが、この「第三者」は「人」ではありません。第三者「的」視点と言っているのはそのためです。
客観的の対義語・類義語
「客観的」は日常会話やビジネス会話で使用することが多い言葉ですが、その反対語や類語についても同様に頻繁に使用されます。特に反対語にあたる「主観的」は、「客観的」とセットで覚えておきたい言葉です。以下では「客観的」の反対語と類語を紹介します。
客観的の反対語は主観的
「客観的」の対義語は、「主観的」です。こちらもよく使われる言葉です。「主」という言葉が使われているようになんとなく意味はわかるでしょう。「主観的」とは、第三者ではなく自分の目から見て評価することを意味します。
「それはあなたの主観」などと言われると、思いこみやエゴを指し、一般的には否定されていることになります。あまりよい意味では使われませんので注意しましょう。
客観的の類語にはさまざまなものがある
「客観的」の類語には、「厳正」「公平」「客体的」「俯瞰的(ふかんてき)」「普遍的(ふへんてき)」「一般的」などいろいろな言葉が挙げられます。
「厳正」「公平」は、「えこひいきをしていない」というニュアンスを出す類語です。「厳正なる審査の結果、○○を最優秀作品賞に選びました」という例文で使われたりします。「俯瞰的」は、「高い場所から見下ろす」「広い視野で見る」ことを意味します。山頂から下界を見下ろすイメージです。
狭い視野で議論をしているようなときに「もう少し俯瞰的に考えてみて」といった使い方をします。あまり聞き慣れない言葉ですが、ビジネスなどで使うと博学だと思われたりしますので、可能であればマスターしておくとよいでしょう。
客観的の使い方・例文
「客観的」の使い方ですが、おおかた「客観的な○○」とか「客観的に○○する」という2つの使い方がされます。「客観的な○○」という使い方の場合は、名詞を説明する形容詞として機能していることになります。
一方、「客観的に○○する」という使い方の場合は、動詞を説明する副詞として機能します。以下、よく使われる例文を挙げるので、確認してみましょう。
例文①「客観的な意見を出してほしい」
「客観的な○○」の代表例は、「客観的な意見」です。会議の場などでは、この「客観的な意見」が必要とされています。とりわけ役職が上の人は、自分の意見が会社に採用され、世間との距離は遠くなりがちになるので、「客観的な意見」が把握しにくくなるといえます。
ただ、「客観的」な意見というのは案外見つけるのが難しいものです。最近では、インターネットのニュース記事の下にあるコメント欄に「そう思う」がたくさん入っているコメントは、「客観的」であると誤解されがちです。
しかし、後述するように「客観的」とは他者に知覚できる見方かどうかという点がポイントです。この点については、「主観的」との違いでのちほど詳述しましょう。
例文②「客観的な手法で対応する」
例えば、患者がお医者さんに「風邪だと思う」と伝えて、医者がそのまま風邪薬を出したとしたら、患者の主観をそのまま採用しただけにすぎず、「客観的」な診療であったといえません。
このケースでは、体温を測ったり、血圧を測ったり、採血したりするなどの方法を用いて病名を判断することが「客観的」な手法です。
例文③「客観的な事実」
「客観的な事実に基づいて評価する」「客観的な事実を提示してほしい」のような使い方がされることがあります。「真実はいつも一つ」という有名なアニメのセリフがありますが、事実は誰にとっても一つであり、客観的です。
一方で、意見や判断はそれを行う人の考えが入り込むため、「客観的」に行っているつもりでも、それが必ずしも正しいとは限りません。また、第三者的視点で見たところで、その第三者自体は実在しないものであるので、実際そのような意見や判断なのかは確認のしようがありません。
例文④「客観的に判断する」
「客観的に○○する」の代表例は、「客観的に判断する」です。何かを判断する場合において、「客観性」があるのとないのとでは、説得力が異なります。
例えば、どの販売店が人気店であるかを判断する場合の根拠として、「自分が毎回来店するときに客が多いこと」と「毎月の統計データ」で判断する場合を考えてみます。
前者はあくまで自分が来店しているときだけ多く、ほかの人が来店したときも同様に多いとは限りません。これでは、「客観的」であるとはいえません。一方で、「毎月の統計データ」の場合は、誰の目でも共通の数字で判断されます。この場合は、「客観的」であるといえます。
例文⑤「客観的に見る」
「客観的に見ると、わがままを言っているのがわかる」「あの人は、客観的に見てオシャレだ」など「客観的に見る」は、「客観的に○○」の最頻出の使用例です。
「客観的に見る」は、「客観的視点」と言い換えることもできます。「客観的」視点は判断の選択肢がどんどん広がることから、ビジネスシーンでは大切にしたいところです。
客観的と主観的の違い
「客観的」という言葉が使われるときは、常に「主観的」ではないということが意識されています。それだけ、「主観的」と「客観的」は密接にかかわっているのです。ここでは、「主観的」と「客観的」の違いについて説明します。
主観的は自分の目で見て考えるという意味
上述したとおり、「主観的」は自分の目で見て考えるという意味です。そこでは、おのずと個人の好みや価値観などが反映されます。したがって、「主観的」なものはその人にはあてはまるが、ほかの人にはあてはまるとは限らないということになります。
意見は主観的・事実は客観的
このことは「客観的」に意見を言ったり、判断したりしていたとして同様です。それが本当に客観的な意見や判断であるのかの疑問は、消えません。しかし、事実は違います。誰にとっても共通なのです。
わかりやすい例を挙げれば、「Aくんはハンサムである」「Bくんは背が高い」というのは「主観的」な意見や見方です。それに対し、「Aくんは男性である」「Bくんは慎重180センチである」というのは「客観的」な事実です。
このように考えると、「主観的」な意見・見方と「客観的」な意見・見方との境界は、極めて不明瞭であいまいであることがわかるでしょう。
客観的を使う際の注意点
いままで「客観的」について説明してきましたが、日常会話で「客観的」を使う際、実はある種の枕詞のように使われているので注意が必要です。例えば、「客観的に見ると」という場合の「客観的」には「正しい見方をすると」という程度の意味であり、文脈上深く考える必要はありません。
同じような言葉に「一般的に」「論理的に」「科学的に」にあり、これらの言葉が使われるケースではそれほど意味の違いを深く考える必要はありません。
頭の中で理解される意味では使えない
頭の中で理解され、判断されるものは他者が知覚できません。他者が知覚できないものは共有することができないので、第三者的な視点には立てないということです。
例えば、「ハンサムである」「背が高い」というものの見方は、頭の中で理解されていることです。頭の中で理解されているものである以上、「主観的」の域を出ず、「客観的」を使うことはできないので注意しましょう。
客観的は第三者的視点で評価するという意味
「客観的」の使い方や類語、「主観的」との違いについて解説してきました。「客観的」な視点を身につけることはビジネス上大切です。まずは意味を理解して、どういう見方が「客観的」であるか、訓練していきましょう。その際「主観的」と「客観的」はセットで覚えておくと効果的です。