「懺悔」の意味と使い方の例文をチェック!類義語や対義語もまとめて紹介!

「懺悔」の意味と使い方の例文をチェック!類義語や対義語もまとめて紹介!

「懺悔」という言葉の正確な意味をご存知でしょうか?実はこの「懺悔」という言葉は宗教によって意味合いに違いがあります。今回は「懺悔」という言葉の意味、類義語、対義語を紹介。その使い方も例文も交えて説明していきます。日常生活の一助になれれば幸いです。

記事の目次

  1. 1.「懺悔」の意味
  2. 2.「懺悔」の類義語
  3. 3.「懺悔」の対義語
  4. 4.「懺悔」の使い方
  5. 5.「懺悔」の例文
  6. 6.「懺悔」は宗教において悪事を告白することを意味する

「懺悔」の意味

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「懺悔」という言葉をよく耳にしますが、その意味はご存知でしょうか?この言葉、神の前で自分の行いが過ちだったことを告白し、悔い改めるという意味を持ちます。ただ神の前といっても、世界には色々な崇め奉られている「神」が存在しています。

つまり「懺悔」という言葉が持つ意味は、様々な「神」の御前によっては、その意味のニュアンスが多少異なってきます。

今回は「懺悔」という言葉の意味を様々な宗教に即した意味に当てはめ、さらに「懺悔」の使い方、類義語、対義語、例文に至るまでご紹介していきます。我が国日本に置いても様々な宗教が存在しますので、今回の記事を日常生活に役立てて頂ければ幸いです。

意味:自分の罪を告白して許しを請うこと

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「懺悔」の意味は、自分の過ちを「神の前」で告白することから始まり、最終的に許しを請い願い、悔い改めることです。告白することで罪が贖われることを告白者は期待している訳ですが、世界の宗教によってはその意味、使い方が異なります。

今回は「懺悔」という言葉が使われる宗教を、仏教、修剣道、キリスト教の3つの宗教に分けてご紹介しながら、それぞれの「懺悔」の意味を考えていきます。

仏教、修剣道、キリスト教、それぞれの宗教によって、懺悔をする対象、懺悔したことによる自己のあり方、あり様が変わっております。今までの認識とどの様に異なるか、その意味を今回を機にご理解頂ければ幸いです。

仏教の場合の意味

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仏教とは、苦(ドゥッカ)の輪廻から解脱することを最終の目的とされている世界三大宗教の一つで、原因と結果の因果の理解を基礎におき、それらの現象が縁起されることを教えます。

仏教の場合、「懺悔」は「さんげ」と読みます。自分の中の罪と悪をしっかり認識して二度と同じ過ちを繰り返さないという意味があります。

「懺悔」を過去の文献に頼って見てみると、仏教の開祖、釈迦牟尼は「もし自ら犯あることを知らば、すなわちまさに自ら懺悔すべし」という言葉からも見て取れる様に「もし、自分に過ちがあることを知るのであれば、すぐに懺悔をするべきである」と説いています。

仏教では「懺悔」をすることによって、「罪が消える」ことを意味します。そして、懺悔が深ければ深いほど、「罪が消える」ことを教えます。

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上記の罪の深さという概念から、仏教では、「懺悔」の深さを3段階に分けて考えています。この3段階の「懺悔」の意味合いを「三品(さんぼん)の懺悔」と名付けられています。

「三品の懺悔」は「下品(げぼん)」「中品(ちゅうぼん)」「上品(じょうぼん)」と分けられます。まず、「下品」は浅い懺悔に位置づけられます。これは涙や汗を流し、「私が悪かったのです」と懺悔することです。

「中品」は血の涙と熱い汗を流し、「私が悪かったのです。二度同じ過ちは繰り返しません」と誓いの言葉が発せられます。「血の涙」というのは大変な苦しみを比喩した表現で、実際に血の涙を流す必要はありません。

「上品」は最も深い懺悔に位置される意味を含む言葉です。全身から血の涙、血の汗を流し、自らの過ちを悔いる行為です。血の涙、血の汗も苦しみの比喩表現です。

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仏教の「懺悔」は、「下品」「中品」「上品」の、どの深さの懺悔であっても、仏、菩薩、自らの師の前にて行うことを意味しています。

基本「懺悔」の場所はどこでも、「懺悔」の対象は誰にでも行えるものではありませんが、僧侶同士が懺悔し合う自恣(じし)という行事も存在していました。これは夏の期間、一所に籠り修行をする「夏安居(げあんご)」の最後の日に行われました。

その他、半月に一度行われる布薩では地域の僧侶が懺悔して廻るという行事や、天台宗では懺法(せんぼう)という、自らの中に巣食う諸悪を互いに懺悔し、心を清らかにする儀式も存在します。

修験道の場合の意味

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修剣道とは、森羅万象に命や神霊が宿る古神道に山岳信仰と仏教が融合された日本独特の宗教です。仏や菩薩が信仰の対象となる仏教に対し、修剣道は、や「山々」が信仰の対象になります。

修剣道はこの様な山岳信仰の意味を持つことから、「懺悔」の対象も「山々」であり、山岳が持つ「霊性」を身につけるため、艱難辛苦の苦行を行います。

この様な「山々」に対し踏破することで、自らの霊力を高める行者を「山伏(やまぶし)」と呼び、「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と言われる念仏が修剣道における「懺悔」に当たります。

この「六根清浄」は山伏が、山々を谺させる「さーんげ、さーんげ(懺悔懺悔)、ろっこんしょうじょう(六根清浄)」と掛け念仏を唱えて修行することを指します。

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仏教の「三品の懺悔」とは違い、修剣道の「懺悔」は険しい山々に分け入って、命懸けの修行をし、疲れている時にこそ「六根清浄」を一斉に唱え、己の罪を悔い改めることを意味します。これによって、苦難に打ち勝ち、「山々」の霊力を我が身をするのです。

このように修剣道は、すでに顕れている「山々」が信仰の対象となっている以上、仏教よりも信仰の対象が直接的であります。

キリスト教の場合の意味

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キリスト教は、ナザレのイエスをキリスト(救世主)として信仰している宗教です。イエス・キリストが罪なき自己を犠牲にして、罪ある人間を救済し、後に復活したことを教えとしており、世界三大宗教の一つとして、位置付けられています。

キリスト教では、「懺悔」を「ざんげ」と読みます。この読み方は今日日本では、最も馴染みのある読み方となっております。

「懺悔」は聖公会などで使われる語彙で、宗派によって表現が異なります。カトリック教会では「ゆるしの秘跡」という表現で知られ、正教会では「痛悔機密」という表現で知られています。

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聖公会での「懺悔」は洗礼を受ける前に、自らの罪を悔い改め、悪の力を退けてイエスを救い主と信じ、自らをキリストに捧げることを意味します。

カトリックの「ゆるしの秘跡」の本質はその名前からも想像できるように「赦し」にあります。つまり、回心する人間の行為に対して、司祭が、キリストの名によって罪を償うことを意味します。

正教会の「痛悔機密」は正教徒が罪を犯したことにより教会生活から離れた時、神との和解のための儀礼を指し、神と人に対して謝罪し、再び神との交わりを復帰することを目的としています。

プロテスタントでは「懺悔」を「罪の告白」という言い方をします。しかし、プロテスタント教会では、この告白自体を神の恩寵(サクラメント)として認められておりません。

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世界で約22億人の信者が存在するとされるキリスト教。上記のように、信者の数のみならずその宗派も多岐に渡ります。宗派により「懺悔」に位置付けられる言葉が、他の言葉に変わっています。一概に「懺悔」の意味を説明することができないのでご注意ください。

「懺悔」の類義語

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宗教または同じ宗教の中でも宗派により、意味合いが異なる言葉である「懺悔」ですが、この「懺悔」の類義語は存在するのでしょうか?

「懺悔」が宗教色の強い意味も含まれることから、「神仏」「聖なる」存在が介在しない類義語を以下にご紹介いたします。

改悛

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類義語の一つに「改悛」という言葉があります。この類義語は過去の行いや態度があやまちだったことを認め、心を入れ替えることを意味します。「改悛の情を示す」などの熟語でよく用いられます。我が国日本でも、この類義語「改悛」は刑法の世界でも用いられます。

悔悟慙羞

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「悔悟慙羞」は「かいござんしゅう」と読みます。「悔悟」は過去のあやまちに気づくこと、「慙羞」は後悔することを意味します。すなわち、この類義語「悔悟慙羞」は「過去のあやまちに気づき、後悔すること」を意味します。

この類義語「悔悟慙羞」という言葉は四字熟語で、坪内逍遥(つぼうちしょうよう)の小説神髄などでも使用が確認できる古くから存在している言葉です。

慚愧

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「慚愧」は「ざんき」と読みます。「自分の言動に対して恥ずかしく思い、その過ちを反省する」という意味です。現在でも「慚愧に堪えません」や「慚愧の至り」などの用語で見かけます。こちらの「慚愧」も古くから多くの小説、評論などで登場する言葉です。

「慚愧」の「慚」も「愧」も仏教語で、その意味は「恥ずかしいというこころのあり方」を指しています。「自らの罪の深さに対して恥じている」という観念です。

「懺悔」の対義語

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次は「懺悔」の対義語についてです。「懺悔」が「神仏」や「聖なる」存在の御前で、己の過ちを悔い、告白し改める意味なので、対義語はその意味から対立軸に位置する言葉となります。

そして対義語となる言葉は、「懺悔」が道徳心に訴える言葉である以上、道徳心に反する意味を持つ言葉になります。マイナスの意味となるので、人間としての「負の側面」を垣間見ることができます。

以下に紹介する対義語は先述した「慚愧」という言葉の漢字を使用しております。「慚愧」とどのように異なるか、対立する意味を意識してご覧いただければ幸いです。

無慚

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「無慚」は「むざん」と読みます。この対義語「無慚」とは仏教語で、「煩悩」という心のあり方のひとつで、恥じらいのないこころのあり方を意味します。簡単に言うと罪深い自分を恥じるこころが無い、という意味になります。

転じて、対義語「無慚」は罪を犯しながら恥じないこと、戒律を破りながら恥じない様を意味します。無頼なならず者なども「無慚」に当てはまります。

無愧

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「無愧」は「むき」と読みます。この対義語「無愧」も仏教語で、「煩悩」という心のあり方のひとつで、破廉恥で、自らの悪事に対して恥じらいのないこころのあり方を意味します。簡単に言うと悪事を働いても恥じない様を意味しています。

この対義語「無愧」はさらに、客観的に反省する心がなく、世間体も他人の思惑も意に介さない様という意味も併せ持ちます。

「懺悔」の使い方

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「懺悔」という言葉を本来の意味合いのまま、日常生活で使うことができるのでしょうか?上記のように、各宗教の正統な使い方以外にもよく見かける以上、「懺悔の対象」を厳格に条件づけなければ、普段の日常生活でも使用できる言葉です。

では「懺悔」を日常で使える時とは具体的どんな時なのか?本来の意味を損じることのなく、以下で使い方を紹介いたします。

何かに対し悔い改めたい時に使用

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「懺悔」は「何か」に対し、自分の過ちや非を認め、さらに改める意思を示していきたい、そんな時に使えます。もちろんこの際の「懺悔」される対象は「神仏」や「聖なる」存在に限定せず、より噛み砕いたシーンで使うことができます。

では具体的にどんなシーンに「懺悔」の使い方が活用されるのか、実際の例文で「何か」を見ていき、その使い方を紹介していきます。

「懺悔」の例文

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「懺悔」は本来、「神仏」や「聖なる」存在の前という条件がつけられ、使い方が絞られますが、日常生活に照らして活用されるケースを鑑みると、もう少し柔軟に活用していくことも間違いではありません。以下に2つの例文を紹介いたします。

懺悔をしたい

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「懺悔をしたい」という文を例文の中に当てはめてみます。1つ目の例文としては「今日は彼女とのデート約束を忘れてしまった。(彼女に)懺悔をしたい。」また別の例文を挙げると「いままでの自己の過ちを、神の御前で懺悔をしたい」こんな使い方が可能です。

前者の例文は日常生活に落とし込んだ使い方で、後者の例文は「懺悔」の本来の使い方になります。自己の過ちを悔い改めるという意味は両者とも同じになります。

上記のように、「懺悔」本来の意味を損なわず、懺悔の対象を柔軟に解釈することにより、日常生活でも活用することが可能です。

懺悔の手紙

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「懺悔」は告白するという行為を伴います。告白という行為は自らの口で言うことで意味をなします。一方手紙で「懺悔」するということは本来の「懺悔」の行為ではありませんが、書面にて、己の過ちを悔い、改めるという行為も現代では表現されています。

まさに「懺悔の手紙」などは、みずからの遍歴を吐露し、それに悔恨し、改める心のありようを文章で表現しております。

例えば、罪を犯した者が、刑務所から、被害者や被害者の遺族、親族に向けて、送る手紙などは、「懺悔の手紙」です。受取人はその文面を読んで「懺悔の手紙」であると、その手紙の意味を認識することになります。

その際は、例文として受取人は関係者に「懺悔の手紙を先日受け取りました」と言います。このように「懺悔の手紙」という言葉で日常使われるケースが存在します。

「懺悔」は宗教において悪事を告白することを意味する

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「懺悔」の意味、類義語、対義語、使い方を例文を踏まえて紹介してきました。「懺悔」は日常生活で垣間見る言葉ではありますが、実は宗教の本質に迫る意味を持つ言葉であります。

「懺悔」は宗教の垣根を超えて、自分の悪事を告白することを意味します。懺悔する対象が「仏」、「山々」、「神」、「イエス」、と様々ですが、自分の過ちを悔い、そしてその過ちを改めるという前向きな心あり方を意味した言葉であることに変わりはありません。

上記の意味をご理解いただいた上で、日常生活で活用していくことで、「懺悔」の意味の本質に迫ることができます。ご参考いただければ幸いです。

SDA
ライター

SDA

本記事をお読みいただきありがとうございます。近頃はイベント自粛で何かと我慢な日々ですね。ただ最近は、家の中でも新たな発見があるものだと気づかされました。今後はインドアならではのお役立ち情報があれば、記事の通じてどんどん発信していきたいです。明るく取り組んでいきますのでよろしくお願い申し上げます。

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