読了の意味とは?
普段の会話からはまず耳にすることがありませんが、SNSやオンラインのニュースなどで目にすることもある「読了」には、「本を読み終える」という意味以上のことは基本的にはありません。
しかし、どのような言葉にも本来の意味とは別に文章の繋がりなどから違った意味を隠し持っていることもあります。そのような複雑な意味の読み取りを含めて「読了」についてのどのような由来で発生した言葉なのかなどについて言及します。
また、読了との関連性のある類語の意味や、読破や本への感想についての注意点など、使い方も含めて読破との意味の違いについてもご紹介します。
読了の由来
読了は「どくりょう」と読み、その意味は「すっかり読み終える」というような意味を持っていますが、どうやって「読了」という言葉へと変化し成立してきたのでしょうか。そもそも読了は「読」という言葉と「了」という言葉の組み合わせで出来た言葉です。
「読」はそのまま何か本などを読むという意味を表した漢字ですから、意味も由来もそのまま捉えることが出来ます。つづいて「了」という漢字は「おわる」「しまう」「さとる」といった意味をもった漢字です。
つまり、読了という熟語は読んで時の如く、「読み了わる」「読み了(しま)う」「読み了(さと)る」という意味となるのです。漢字そのものの意味としてより深く紐解くならば、「読んでそのことごとくを理解する」という意味を由来としていると捉えられます。
読了の特徴
「読了(どくりょう)」という言葉をより深く知るにあたって、「読了(どくりょう)」がどのような使い方をする言葉なのか、またどのような場面で使われる言葉なのかについての特徴を把握することはとても大切な事です。
「読了(どくりょう)」という言葉は名詞です。動作を意味しているので動詞のように感じられがちですし、活用形も「スル」で活用するという特徴があります。ある程度の長さの本や書物を読んだ時に用いるという特徴もあります。
読了の類語
類語というのは、限りなく読了という言葉の意味と近い意味をもった言葉の事をいいます。また全く同じ意味を持つ言葉としても類語は適用されます。ここでは読了の類語についてどのような言葉があるのかをご紹介します。
次いで、その言葉と読了にどのような意味の違いがあるのか、またその類後の使い方についても解説しますので、類語から読了という言葉をより深く理解するための試金石として活用できるように一つ一つ説明します。
読了の類語「完読」の意味や使い方
読了の類語として定義されている「完読(かんどく)」には、次のような意味があります。”一冊もしくは複数の本を最後まで読むこと”もしくは”本を最後まで読み切った”という意味になります。日本語のなかでは「俗語」とされる言葉です。
辞書には記載されませんが、使い方としては「ようやくあの本を完読できた」、「これだけの本を完読した」のように使います。読了との意味の違いは本の内容や真意にまでは触れていない点と言えます。感想にまで至れない状況です。
読了の類語「読破」の意味や使い方
読了の類語として定義されている「読破(どくは)」には、次のような意味があります。”読むことが難しい本を最後まで読み切った”もしくは”非常に長く難解な本を読み切った”という意味をもちます。
読むこと自体が難しい本を最後まで読み切った時に使われます。使い方としては「あのドグラマグラを読破したぞ」というような使い方をします。
読了の類語「読過」の意味や使い方
読了の類語として定義されている「読過(どっか)」には、次のような意味があります。”本を中断せずに読み終える”もしくは”休憩することなく、最後まで一気に本を読み切る”という意味で、少々古風な言葉となります。
使い方としては「しばらくぶりに時間が空いたので、積んであった本をいくつか読過した」などの使い方となります。最初から最後まで詰まることなく読み切ることを指しますので、読了よりも狭い範囲の意味をもった言葉です。
読了の類語「卒読」の意味や使い方
読了の類語として定義されている「卒読(そつどく)」には、次のような意味があります。”本や書籍を読みおえる事”もしくは”本や書物をおおまかに読むこと”といった意味をもちます。いくぶん急いで読み切る様子を表す言葉です。
使い方としては「一通り論文を卒読してはみたものの、難解すぎて理解が今一つ及ばないという感想をもった」のように、理解よりも読むことに比重を置いたことを指して使われます。読了のように理解を伴った読み方ではないと言えます。
読了の類語「通読」の意味や使い方
読了の類語として定義されている「通読(つうどく)」には、次のような意味があります。”書籍や本をひととおり読むこと”もしくは”書籍や本などの書物にざっくりと目を通すこと”という意味をもちます。
通読の使い方としては「部下から報告のあった書類を通読した」、「どうも習慣的に本とか書籍は通読する癖がある」のような使い方ができます。読了との意味の違いは、卒読と同様に理解度の深さに違いがあると言えます。
読了と読破の違い
類語の項目でも解説していますが、読了には極めて似た意味を持つ言葉としてよく読破と言葉の意味を比べられることがあります。読了という言葉には、何かしらの本や、書籍や書類のようなものを、ある程度の理解を伴って読み終えるという意味があります。
しかし読破という言葉は、読み終えることに共通点はありますが、理解や納得といったところに言葉の主観を置かないと言う違いがあります。
読破は難解な本を読み切るという意味
読破という言葉の本質的な意味は「非常に難しい本」もしくは「非常に難しい論文」のような極めて困難な文章や内容を理解することが難しい文献を一通り読み終えることを意味します。
そのため単純な意味合いとして読み終えてその内容を吟味することができた、という意味を表す読了とは根本的に言葉が持つ意味の方向性に違いがあるのです。
ですから読破という言葉を、読了という言葉と全く同じような意味合いで使うのは間違いであると考えられます。使用のタイミングや場面には注意しましょう。
読了の使い方
読了の意味について類語やその使い方、そしてそれぞれの意味の違いなどから本質的な意味についてある程度の理解が行えたのではないでしょうか。続いてはそんな読了の具体的な使い方を例文を用いて解説します。
使い方の中で注意したいことも含めて、具体的な例文の中からより深い読了の意味合いについて理解を深められるような例文をご紹介します。
例文①
「感想としては悪くなかったと言うべきかな。そんな独り言が増えに口から溢れてる程度には、面白かったと言えるのではないだろうか。職業柄色々な本を読むことがあるが、久々に爽快な気分で読み終えることができた。そうして私は読了した本をそっと傍らに置いた。」
読み終えた後にふと一息つく瞬間を表した例文です。読み終えた直後に本の内容を思い返して、感想を思い描きつつその本を自分のすぐそばに置くシーンを例文として表現しています。極めてシンプルな読了の使い方といえます。
あえて最後に読み終えた書物に対しての考え方を読了として表現することで、読んだ書物の内容について一定の理解が得られたことを示唆しています。
例文②
「”読了したら、一人一人最後まで読んだ上での感想を提出するように”、そう言って3年1組の教師は私たちに宿題となる本を図書館で一人一人に選ばせた。読了って何だろう?そんな疑問がふと脳裏に浮かんだ。感想文を書くからきっとそれに関係することだろう。」
教師が生徒に読書感想文の課題を出すという例文です。校舎の中に併設されている図書室で、読書感想文の課題となる本を一人一人に選ばせ、本を最後まできっちりと読み終えたらその感想文を書くようにという意味で読了という言葉を使っています。
教師が読了という表現をあえて使っていることで、生徒に読了という言葉の意味についても考えさせようとしている意図を感じさせる例文です。
例文③
「”読了、読了!”意気揚々と私は読み終えた本をパタリと閉じた。読了後にじっくりと読み終えた本の内容を吟味し直すこの瞬間が私は好きだ。感想について思いを馳せたりその感想を思い至った経緯について考えを巡らすその瞬間がどうしようもなく好きなのだ。」
何事も成し遂げた直後に成し遂げたことを意気揚々と声に出す瞬間というのがありますが、そのような行為を読了したことで表現している例文です。本を読み終えた直後に感じる達成感と、本の内容にひどく満足している様子が伺えます。
読了という言葉の意味の中には、本の内容を正しく理解したことを指し示すという意味合いも含まれています。そのため思い返すことができるようなシチュエーションへと繋がるという点も読了という言葉の持つ特性と言えます。
例文④
「かなり時間が掛かったものの、ようやくあの奇書を読了した。複雑な言い回しが多く、一つ一つの文節が他の松の文節と繋がっていたりとなかなか読解に労力を必要としたが、読み終えてみれば何のことはなかったと言える。」
この例文は読了を間違って使っている例文となります。読むことが難しかったり困難であるとされる文章や本を読み終えたときは、読破を用いるのが正しい使い方と考えられます。そのためこの例文では「あの奇書を読了した」ではなく、「読破した」とするのが正解です。
読み終えた直後は、どうしても達成感の方が先に来てしまうので思わず読了と表現してしまうこともあるかもしれません。消して文章として絶対的に間違っているというわけではないので、そのままでも構いませんが可能であれば読破の方が美しい文章と言えるでしょう。
読了の注意点
続いては、読了という言葉を使うにあたって注意したいことをいくつか補足として説明します。読了という言葉が持つ意味として「理解しつつ読み終える」という意味に繋がることが最も大切なポイントとなってきます。
類語にも紹介していますが「通読」や「卒読」のようにざっくりと目を通すだけという意味を持った言葉ではないので、最後までしっかりと目を通した上でその内容を深いところまで吟味し、反芻することによってよりその理解を深めている状態を指します。
そのため、類語ではあっても全く同じ意味で使うことができないということで、読了という言葉の使いどころには注意が必要といえます。
読了感は誤用
一通り最初から最後まで本を読み終えた上でその内容をしっかりと理解した、という意味を表す言葉として読了という言葉がありますが、その言葉に感じるの「感」を付け加えて「読了感」と表現するのは、誤った使い方、つまり「誤用」となります。
読後感のように読み終えたということに対しての感想や感情を表す言葉は、言葉として辞書などで解説がありますが、読了感という言葉は辞書などでの解説がなく、俗語としても見当たらない言葉となっています。
そもそも読了が「すっかり読み終えること」という意味を持っていますので、読了感という言葉が意味することとして、読み終えることに対しての感覚や感想という言葉になってしまいます。ですので誤った使い方をしないように気をつけましょう。
読了感を正しく言い換えるには
では読了感という言葉を正しく使った日本語で言い換えるにはどのような表現が良いのでしょうか。その例として「読了後の感想」という表現が最も適切です。例えば、「半日かけて読了した本の感想を述べる」というような使い方が適切です。
また、誤用の説明でも解説しましたが、読後感という言葉に言い換えると読了という言葉を使っても違和感がない表現をすることができます。「読了後の読後感想」というような表現であれば、少々言い回しが古臭いものの適切な表現といえます。
読了感という言葉そのものは、ニュアンスとして意味が伝わりにくいものの伝わらない言葉ではないので誤った言い回しに聞こえないという部分はあります。しかし日本語としては成立していないので、誤った使い方には注意しましょう。
読了とは読み終えたという意味
読了という言葉は、たんに読み終えただけということを指し示す意味の言葉ではありません。読んでそして了解したことを意味する言葉だということを忘れずにおきましょう。しっかりと読んでその意味を理解していることを読了と表現します。
ですので、ざっくりと読んだことを読了として表現するような間違いを犯したり、読了感という誤った使い方をしてしまわないように、用法用量を守った上で読了という言葉を正しく使って美しい日本語で表現しましょう。
そして、あらゆる書籍や書物をしっかりと読了できるような、正しい日本語の理解を深めて正しく使えるようにしていきましょう。