「吝嗇家」の意味とは?
「吝嗇家」という言葉、意味云々以前に「どんな読み方をするのかかわからない!」という方が大多数ではないでしょうか。それもそのはず、この「吝嗇家」という言葉は漢字検定一級に出題されるほどの読み方が難しい漢字なのです。
「家」という文字が付くので、何かの専門職かと考える方もいるでしょう。ですが、「吝嗇家」は意外に身近にいるかもしれない存在です。
この記事では、「吝嗇家」という言葉の意味・読み方、対義語・類義語、使い方や由来などを網羅的に解説していきます。雑学の一つとして「吝嗇家」という言葉のことを深く知ってみましょう。では「吝嗇家」の読み方・意味から解説していきます。
「吝嗇家」は「りんしょくか」と読む
まず、言葉の正しい読み方から知っていきましょう。「吝嗇家」という漢字は「りんしょくか」と読みます。「吝嗇」の部分は「りんしょく」という正しい読み方の他にも、主に文学作品の中で違った読み方をされる場合があります。
小説家・梶井基次郎の作品「泥濘」の中では「買いたいものがあっても金に不自由していた自分は妙に吝嗇(けち)になっていて買い切れなかった。」のように「ケチ」という読み方をされています。
また、歌人・石川啄木の作品「雲は天才である」の中では「吝嗇(しみったれ)な金持の爺が己の財産を勘定して見る時の樣に(一部抜粋)」といったように「しみったれ」と読ませています。
「吝嗇家」は「度が過ぎた倹約家」
さて、文学作品の中で「吝嗇家」という言葉の「吝嗇」が「ケチ」「しみったれ」と読まれていたように、「吝嗇家」にはそのような意味があることは明らかになりました。辞書で調べると「吝嗇家」「吝嗇」には具体的に以下のような意味があります。
「吝嗇家とは、吝嗇な人。自分の金品を提供するのを渋る人。」「吝嗇とは、ひどく物惜しみすること。好ましくないもの、節約、倹約の内、または度が過ぎたものを指して言う言葉。」
「倹約・節約」といった言葉には「無駄を省いて出費をできるだけ少なくすること」という意味がありますが、その行為の度が過ぎている場合には「吝嗇家」と表現するのが適切になります。
必要な分にもお金を出し渋る、他人にお金を出させて自分のお金はできる限り出したくない。とにかくお金やものへの執着が激しい人、一般的な感覚からはかけ離れたほどに自分の金銭を出し惜しみする人に「吝嗇家」という言葉が当てはまります。
「倹約家」であれば、無駄を省き慎ましい生活を送る人というポジティブなイメージを抱きます。ですが「吝嗇家」となると、その度が過ぎている、卑しいネガティブな使い方をされるのです。
「吝嗇家」の対義語・類義語
「度が過ぎた倹約家」「ケチ」という意味があることがわかった「吝嗇家」という言葉ですが、似た意味を表現する言葉(類語)、また反対の意味を表現する言葉(対義語)にはどのようなものがあるのでしょうか?
ここからは「吝嗇家」の「類語・対義語」についてご紹介していきます。ネガティブなイメージのある「吝嗇家」を柔らかく表現する方法や、「吝嗇家」とは真逆の人を指す場合の言葉を覚えることで語彙力をアップさせていきましょう。
類語①
「吝嗇家」の類語一つ目は「守銭奴」です。この言葉は「吝嗇家(りんしょくか)」より聞き馴染みのある言葉で、学校で習った方も多いでしょう。「しゅせんど」と読み、「金をため込むことばかりに執心する、けちな人。」という意味があります。
「守銭奴(しゅせんど)」については、特に「金銭」について執着し、ケチな人という意味の使い方をされます。「吝嗇家」の場合には「金銭、もの」のどちらにも執着する人という意味の使い方をされるので、その点で使い分けると良いでしょう。
ですが、「守銭奴」「吝嗇家」のどちらもポジティブなイメージで使われることはありません。人としてマイナスなイメージがある場合に使う言葉なので気をつけましょう。
類語②
「吝嗇家」の類語二つ目は「倹約家」です。「倹約家」は「けんやくか」と読み、前述した通りですが「倹約」には「むだを省いて出費をできるだけ少なくすること。また、そうするさま。」という意味があります。
「倹約家」の場合、吝嗇家とは異なり「無駄遣いをしないようにする人」という意味になり、お金を使わないようにするという点では共通していますが「倹約」は合理的で良い印象、「吝嗇」は合理的云々は関係なしにとにかく出し渋るという悪い印象を与えます。
同じような意味合いを持ちますが、実は似て非なる言葉です。使い方には気をつけて、正しく用いるようにしましょう。
対義語①
「吝嗇家」の対義語一つ目は「気前が良い」です。「吝嗇家」が「ひどく物惜みする人」という意味であるのに対し、「気前が良い」の「気前」という言葉は「さっぱりした気性。特に、金銭などを出し惜しみしない性質。」という意味があります。
吝嗇家が「出し惜しみする人」であるのに対して、気前が良い人は「出し惜しみしない人」ということで対義語になっています。
対義語②
「吝嗇家」の対義語二つ目は「鷹揚」です。「鷹揚」は「おうよう」と読み、鷹が悠然と空を飛ぶように「小さなことにこだわらずゆったりとしているさま。おっとりとして上品なさま。」という意味があります。
他に似た意味の単語として「闊達(かったつ)」「太っ腹」などがあります。直接的に金銭面での性質を表す言葉ではありませんが、「ケチケチして小さなことを気にする性格」ということと逆の性格を意味する言葉として用いられることがあります。
「吝嗇家」の使い方・例文
続いて、「吝嗇家」の詳しい使い方を例文と合わせてご紹介していきます。「ケチ」と表すとあからさまな表現になってしまいます。「吝嗇家」となれば、周りに聞かれたとしても意味を知っている人は多くないのでオブラートに包んだ表現が可能です。
ただし、本人を目の前にして「吝嗇家ですね」と言うことは適切ではありません。また、場合によっては「吝嗇家」と誰かを表現するのは批判・非難していると取られかねないので注意しましょう。
例文①
使い方の例文一つ目です。「倹約も行き過ぎてしまえば吝嗇になってしまうので注意が必要だよ。」意味や類語の部分で説明してきましたが、「倹約」と言うものの度が過ぎてしまうと「吝嗇」と表現されてしまうものです。
例文②
使い方の例文二つ目です。「私の上司は仕事ができる人だけど、ひどい吝嗇家なので勿体ない。」仕事ができる人だとしても、あまりにケチな人だと心から尊敬できない場合があるでしょう。
「いくら才能があったとしても、傲慢な態度を見せ、さらに『吝嗇』であるならば、その他のことは見るまでもない」
孔子が残した「論語」には上記のような一節があります。仕事ができたとしても、傲慢で吝嗇であるならば他の部分でカバーすることはできないといった意味でしょう。それほどまでに「吝嗇家」と言うのは良いとは言えないのです。
例文③
使い方の例文三つ目です。「彼は素敵な人だと思ったけれど、食事に行った際に吝嗇家な一面を見てしまい気持ちが冷めてしまった。」このようなこと、よくあるのではないでしょうか。
素敵だなと思っていた相手でも、食事や買い物などに行った際、あまりにけち臭く1円単位でお金に細かい。そんなところを見てしまうと気持ちも冷めてしまうでしょう。お金は大切ですが、加減というものが大事になってきます。
「吝嗇家」の由来
「吝嗇家」と言う言葉の意味は、どこに由来しているのか解説していきます。吝嗇家の「吝嗇」の部分に注目して見ましょう。
「吝」には「惜しむ、物惜みする、やぶさか」と言う意味があります。「吝しむ(おしむ)」「吝か(やぶさか)」と書くことができるように、この一文字に「けちけちする、おしむ」と言う意味があるのです。
一方「嗇」にも「おしむ。ものおしみする。やぶさか。けち。」と言う意味があります。「吝」と同じように「嗇しむ(おしむ)」「嗇か(やぶさか)」と書き、どちらにも「物惜みする」と言う意味があります。
以上、「吝」「嗇」のどちらにも「おしむ、物惜みする」と言う意味があるため、似た意味の漢字二文字を合わせてそれぞれの意味をさらに誇張した熟語が「吝嗇」と言うことになります。「極度に物惜みする」を表現しているのが「吝嗇」ということ熟語です。
「吝嗇家」は「ケチ」という意味
いかがでしたか?この記事を読み始めるまでは、読み方すらわからなかったであろう「吝嗇家」と言う言葉のことがだいぶ理解できたのではないでしょうか。
「行き過ぎた倹約家」「極めてけちな人」を表す言葉が「吝嗇家(りんしょくか)」と言う言葉でした。昨今はお金をできるだけ貯めようという風潮がありますが、あまりに行き過ぎて「吝嗇家」と言われてしまわないように気をつけましょう。