至極真っ当の意味とは?
ビジネスシーンなどで稀に耳にする言葉の意味が理解できないと、とても恥ずかしい思いをすることがあります。「至極真っ当」という言葉はそうした言葉の一つで、そうそう耳にする事のない言葉です。
意味は「非常に正しい」「きわめて正しい」もしくは「とても理に叶っている」「いたって真面目である」という意味をもつ言葉です。正しいことやとくにおかしな事を行ったり述べたりといったことがないさまを表して「至極真っ当」と表現した言葉です。
ここではそんな至極真っ当という言葉の意味や使い方、そして英語表記や類語など、至極真っ当にまつわるあらゆることを紹介します。また至極全うという言葉との意味の違いにも言及していきます。
至極真っ当の対義語・類義語
至極真っ当という言葉の「類義語・類語」と「対義語」についてそれぞれご紹介します。言葉という物は基本的に意味をもち、その意味はあらゆる方面において意味の方向性を含んでいます。
至極真っ当という言葉がもつ方向性やその意味の深度などをおしはかるバロメーターとして役立ってくれるのが対義語であり類義といえます。
対義語とは
対義語というのは、特定の言葉にたいしてまったく反対の意味の方向性をもった言葉のことや、限りなく反対に近い意味をもった言葉の事を「対義語」として定義しています。意味の反対という方向性と、その意味に対してのズレという深度の差が定義の該当のあり無しを決めます。
至極真っ当という言葉の対義語というのは、かぎりなく至極真っ当ではないという意味に近い言葉が対義語として定義されます。ここでは至極真っ当の対義語のご紹介と、その意味についてや使い方についてもご紹介します。
至極真っ当の対義語「全くの誤り」の意味・使い方
至極真っ当の対義語「全くの誤り」(読み方/まったくのあやまり)です。意味は、「完全無欠にまちがっている」「どうあがいても正しくない」「最初から最後まで間違い」などのような意味をもっている言葉です。
至極真っ当という言葉の意味が「とても真面目」「至って正しい」などの意味から、正しいにたいする反対の意味をもつ対義語として紹介されています。使い方としては「その主張は全くの誤りである」のような使い方をします。
類語とは
対義語がまったく正反対の方向性を意味するのであれば、類語や類義語には対象となる言葉に対して同一方向性もしくはかぎりなく同じ方向性や深度をもった言葉であることが認められます。類語とはいえども同じ意味であることもあれば、そうでないこともあります。
ここではそんな「至極真っ当」という言葉と類語関係にある言葉と、その意味、そして類語である至極真っ当という言葉がどのような意味を持つ言葉で、類語との言葉の意味のへだたりについても言及していきます。
しかし、至極真っ当という言葉は二つの意味をもつ言葉の熟語です。そのため「至極」と「真っ当」という言葉に分けて考えることが必要ですが、限りなく近しいという意味での類語でご紹介します。
至極真っ当の類語「至高の正当性」の意味・使い方
至極真っ当の類語「至高の正当性」(しこうのせいとうせい)の意味は、至高という意味と正当性という言葉の意味とにそれぞれの類義性が認められる言葉です。「究極の」という意味で「至極」との類義性があり、「正しさ」という意味で「真っ当」との類義性があります。
至高の正当性は評価としての概念的な位置づけのことばですので、至極真っ当のように目の前に存在するものに対しての言葉として使われることはありません。ですから使い方の例文としては「至高の正当性という指針によって法はさだめられる」のように使います。
至極真っ当の類語「ごく当然」の意味・使い方
至極真っ当の類語「ごく当然」(ごくとうぜん)です。意味は「とてもあたりまえ」「いたって普通のこと」などの意味をもちます。至極真っ当との意味の違いとして、至極真っ当は「正しい」という意味が込められているのに対して、「あたりまえ」という意味があるという違いがあります。
ごく当然の使い方の例文として、「そのように考え至るのはごく当然のことだ」、「わたしはごく当然のように土足で母屋へと足を踏み入れた」というような使い方となります。
至極真っ当の類語「極めて正しい」の意味・使い方
至極真っ当の類語「極めて正しい」(きわめてただしい)の意味は「すばらしく正解の方法」「まがいようもなく正当」などの意味をもった言葉です。至極真っ当という言葉に比べると、言い換えといった方が適切な言葉と言えます。
正しいというのは真っ当と同じ意味をもっていますので、至極もまた極限に至ると書くこともあり、極めて正しいは言い換えと言えます。使い方も後述する使い方と同様となります。
至極真っ当の使い方・例文
至極真っ当という言葉をより本質的に理解するには、実際の使い方を見ることがより適切な把握に繋がります。そこで例文を通して至極真っ当の意味や用法を学んでいきましょう。
至極真っ当という言葉を使った例文をいくつかご紹介します。実際に使用している中で、間違った用法の例文も掲載しておきますので、なにがどう間違っているのかについても知っておきましょう。
例文①
「かれらのビジネスは我々にとっても彼らにとっても至極真っ当なビジネスだと言える。無論、それをよく思わないビジネスの競合相手が存在することも間違いはないが、そんなことをいちいち気にかけていても仕方がないとは思わないか?」
ビジネスに関しての競合相手との関係性やパートナーシップにおける在り方について、それぞれの捉え方を真っ当かそうでないかという見解で語っている例文です。ビジネスにおいて相互互助が理想とされていますが、競争化社会において理念と理想はたびたび食い違うものです。
至極真っ当という言葉の使い方としては、とてもオーソドックスな使い方と言えます。至極真っ当という言葉は、何かしらの動作や行動に対しての評価に使われることが最も多い使われ方となっています。
例文②
「至極真っ当な考え方ができるのであれば、このような事態に至る前にあらかじめできることはしっかりとしておけたはずだ。そうした結果になっていないから、やはりあの時点での考え方が甘かったというのだ。」
なにかトラブルが発生したときの対策や対応について問題があったために、至極真っ当では無かったことについて追及をしている例文になります。何をもって至極真っ当であったのかどうかについて言及する場合にこのような例文のように表現することがあります。
あくまでも仮定の場合としても、何が正しくて何が間違っていたのかを指導する立場としての見解を述べているシーンと言えます。ビジネスシーンにおいても度々見られる光景です。
例文③
「どうもこうも、私はこれまで私が思うなりに至極真っ当に生きてきたつもりだ。その結果今の私があるのだからそれに関してどうこう言われるいわれはない。それでも尚私の生き方に関して言い募るのであればそ、相応の対価を求めることになるだろう」
至極真っ当という言葉の前後には基本的に対象となる物事が述べられます。至極真っ当という言葉だけでは意味が通じないので、至極真っ当という言葉とセットで、今回の例文であれば「生き方」を対象にした例文として挙げています。
例文④
「どうあがいても私たちの在り方は至極真っ当とは言えないのだろう。それが例え、自然の摂理の一部の話であったとしても、彼らにとって私たちは異質な存在であることに変わりはないのだ」
やや文脈上では不自然な表現方法と言えます。こうした状況を表現するのであれば至極真っ当という言葉を使うのではなく、「在り方は不自然なのだろう」のような使い方をするほうが自然です。
下手に打消しの言葉をもちいて表現すると、至極真っ当とい言葉はかえって不自然な使い方になってしまうので注意しましょう。
至極真っ当と至極全うの違い
至極真っ当に似た言葉、もしくはよく別の書き方として「至極全う」という書き方があります。どちらもおなじように「しいごくまっとう」と読みますが、至極真っ当とはどのような違いがあるのでしょうか?至極真っ当との意味の違いを知るには、至極全うについて知ることが先決です。
至極全うは至って完遂するという意味
至極全うの「全う」には「ものごとを完了する」や「なしとげる」もしくは「完遂する」などの意味があります。至極が「極点に至る」という意味ですから、全うでは究極の成し遂げ、完了などといった不可思議な意味になってしまいます。
ということは、至極真っ当の言い換えとした稀に言われる至極全うとは誤った言い方、という事になります。至極真っ当こそが正しい言い方であり、ビジネスシーンなどで稀に見かける「至極全う」という言葉や表現はあやまり、ということになります。
ですので、至極真っ当を全うとして言い換えるのはビジネスにおいても私生活においても誤って使ってしまわないように注意が必要です。
至極真っ当を使う際の注意点
至極全うが誤りなので、一つ目の注意点としては、至極真っ当をビジネスで間違って使ってしまわないようにすることが大切です。さらに加えると、至極真っ当を使ううえで注意しておきたい事がまだあります。
それは、至極真っ当という言葉がもつ意味というものをしっかりと理解していなければならないという事です。つまり「至極真っ当」な状態でなければ使えないという事です。
真っ当でなくては使えない
ビジネスのワンシーンで真っ当な事を言ったり行っていない状況で「至極真っ当である」などという表現を使ってしまうのは間違いですので、相手や対象がまともなことや正しいことをしていない場合には使わないように注意しましょう。
あきらかにビジネスの相手方が間違った行動をしているのにも関わらず「その行動は至極真っ当だ」なんてことを言ってしまえばあなた自身の良識を身内から疑われることにも繋がります。
正しくないことを正しいとして表現していることに等しいので、そのような誤った表現にならないためにも「至極真っ当」としての正しい意味を理解した上で使いましょう。
至極真っ当の由来・歴史
至極真っ当という言葉がどのようにして誕生して、どのような歴史を辿ってきたのかについてご紹介します。至極真っ当という言葉を構成する語句がもつ意味もそうですが、至極真っ当には至極真っ当としての意味を与えられるまでに相応の歴史があります。
そうした由来や歴史について、少し踏み込んだ形で一つ一つ内容を知ってみましょう。至極真っ当という言葉のより本質的な意味について知ることが出来るでしょう。
由来
至極真っ当には「至極」と「真っ当」のそれぞれの言葉で由来を探ることが出来ます。まず至極には「至る」「極める(きめる・きわめる)」という文字で表された言葉です。頂点や極点といったある種の到達点であり、これ以上ない、という意味が由来となった言葉と言えます。
続いて「真っ当」ですが、こちらは「真」に「当」という言葉で構成されています。真には「ほんとうの」「自然のままの」「まったくそのままの」といった意味があります。次いで当には「当たる」「当てはまる」「うけもつ」「この・その」「まさに」といった意味があります。
「真っ当」と組み合わせた場合に適切とおもわれる意味として、「まったくそのままにあてはまる」という意味から由来していることがわかります。
歴史
至極真っ当という言葉の来歴ははっきりと分かっていません。むしろ、至極真っ当という言葉よりも「至極まっとう」としてひらがなで表現されている場合が多いというのもその理由のひとつと言えます。
至極真っ当という言葉がビジネスシーンにおいて当たり前のように使われるようになった経緯や歴史については、現存する詳しい資料がない、という状況となっています。
至極真っ当の英語表記
至極真っ当という言葉を英語で表現した場合はどのような表記になるのでしょうか。英語での表記やビジネスシーンなどにおける至極真っ当の使われ方について知っておきましょう。
至極真っ当を英訳した場合「utmost justice」(最大級の正義)」もしくは「quite correct」(きわめて正しい)」として表現できます。
英語での例文として、「Your opinion is quite correct.(あなたの意見は極めて正しい。)」や「The reason for your action is the utmost justice.(あなたの行動の理由は至極真っ当だ)」といった使い方ができます。
至極真っ当は理に叶っていて正しいという意味
至極真っ当という言葉は、「俯瞰的にみて理解できる理由に基づいていて、極めて正しいと判断できる」という意味があります。注意事項もふくめて、あやまった使い方をビジネスの大事な局面でしないように、しっかりと理解した上で使いましょう。