「不憫」の意味とは?
最近は使う人が減っている言葉ですが、「不憫」という言い方があります。その意味をご存じでない人もいるでしょうから、解説します。意味を聞けばそれほど難しい言葉ではないことはわかるでしょうから、実際に使ってみることもできるでしょう。
かわいそうという意味
「不憫」とは、「かわいそう」「気の毒である」「哀れだ」という意味です。「不憫な動物」「不憫でならない子」などのような使い方をします。この「不憫」は年配の人が使うことはありますが、若い人にはなじみない言葉かもしれず、意味を知らない人も多いでしょう。
古文での意味
ところで、「不憫」の古文での意味は違っています。詳しくは「不便」との違いのコーナーで解説しますが、古文では、「都合が悪い」と「かわいい」という意味での使い方が主となります。もし古文を読む機会があれば、そのような意味で解釈してください。
「不憫」の対義語・類義語
「不憫」の対義語と類義語(類語)を並べてみましょう。「かわいそう」「気の毒だ」「哀れだ」という意味の「不憫」にはいくつか対義語と類語がありますが、代表的なものを選んで紹介します。それを見れば、より明確に「不憫」の意味をつかめるようになるでしょう。
対義語①
「不憫」の意味の対義語を探すのは少し難しいですが、「多幸」はいかがでしょうか。「多幸」とは、「幸せな出来事が多いこと」という意味です。つまり「不憫」な状態とは正反対です。そこで、これを対義語としても差し支えないでしょう。
ただ、使い方自体は「不憫」と「多幸」では違います。「不憫な子」などのような使い方ができますが、あまり「多幸な子」などとは言いません。「多幸」という言葉は主に手紙などで「ご多幸を祈りしています」のように使います。
対義語②
「幸運」も「多幸」と同じように「不憫」の対義語でしょう。「幸運」とは「運が良いこと」「巡り合わせがいいこと」という意味ですが、かわいそうな人とは対照的な状態です。「幸運な人」には、哀れんだり、気の毒に思ったりする必要はありません。
類語①
「不憫」の対義語に比べると、類語のほうが見つけやすいです。いくつか候補がありますが、まずは「同情」です。「不憫」とは、相手を哀れんだり、気の毒に思ったりした時に使う言葉なので、「同情」しているということになります。
類語②
「いたわしい」も「不憫」の類語です。「いたわしい」とは、「相手の境遇や立場に同情して、かわいそうに思う」という意味だからです。「いたわしく思う」は「不憫に思う」とほとんど同じ意味で、言い換えが利きます。
類語③
少し難しい言葉になりますが、「憐憫」も「不憫」の類語です。「憐憫」とは、「憐れむ」「同情する」という意味で、「かわいそうに思う」という意味の「不憫」と重なります。ただ、使用頻度としては、「不憫」以上に少ない言葉です。
類語④
「かわいそう」「気の毒である」「哀れだ」という意味の「不憫」を別な表現にすると、「見るのも忍びない」「見るのもつらい」ということになります。ただ、これらの表現は類語ではありますが、より憐みの意味が強くなっています。
類語⑤
気の毒で見ていられない状態をよく「痛々しい」とか「痛ましい」と言いますが、これも「不憫」の類語です。相手をかわいそうに思い、つらい気分になっているところが「不憫」の意味と共通します。このような気分にはだれしもなりたくないでしょうが、そういうことは時々あります。
「不憫」の使い方・例文
「不憫」の意味、対義語・類語がわかったところで、実際の使い方を例文を通して見てみましょう。意味がわかっても使い方もわからなければ、勉強したことの意味も薄れてしまいますから、この際使い方をマスターしてしまいましょう。
例文①
最初に紹介する「不憫」の使い方の例文は以下の通りです。「保健所ではいまだに殺処分されるペットがいるらしい。それを思うと不憫でならない」。この例文では、殺されるペットに同情して、かわいそうだと思う気持ちが強くにじみ出ています。
例文②
次の「不憫」の例文は、「田中さんは学芸会で不憫な子供の役柄を演じることになったが、見事に演じきった」です。これは田中さんに同情しているという意味ではなく、田中さんが演じる役柄がかわいそうな子供ということです。子供に「不憫」という形容を付ける使い方は多いです。
例文③
給料が少なく、生活が苦しいと、家族にも不憫な思いをさせることがありますが、そのような場合はこんな使い方ができます。「俺の稼ぎが少なくて、みんなには不憫な思いをさせている。申し訳ない」。お父さんが家族に謝っている光景が浮かんでくるような例文です。
例文④
戦争でひどい目に遭った人に対して「不憫」という言葉を使えます。その場合の例文は、「あの人は戦争で家族を失ったそうだ。不憫な人だ」です。戦争という厳しい状況では、気の毒な人はたくさん出てきます。
例文⑤
年を取って子供に先立たれることほど悲しいことはありませんが、そのような人にも「不憫」という形容ができます。その場合は、このような使い方になります。「木村さんは子供に先立たれて、さぞかし気を落としていることだろう。不憫な人だ」。
例文⑥
気の毒だと感じながら目を向ける様子を「不憫なまなざしを送る」と言います。その例文は、「不幸な目に遭っている外国の子供たちに不憫なまなざしを送らざるを得ない」です。この場合は、かわいそうだと思いながらもどうしてやることもできないもどかしさも感じられます。
「不憫」と「不便」の違い
「不憫」と発音が似た言葉に「不便」があります。「不憫」は「ふびん」と読み、「不便」は「ふべん」と読みます。発音が似ているので、意味も似ているように思えますが、全く違う意味です。では関係が全然ないのかというとそうでもないので、違いとつながりを見てみましょう。
不便は「便利でないこと」という意味
「不憫」に比べると、「不便」という言葉は誰でもよく使います。それだけに意味はおなじみでしょうが、一応解説しておくと、「便利でないこと」「都合が悪いこと」ということです。したがって、「不憫」の「かわいそう」という意味とは違います。
古文では「不憫」を「不便」と書く場合がある
古文では、「不憫」を「不便」と書く場合があり、本来はそれが正しい書き方です。というのも、「不憫」では「憫」の字を否定している意味になりますが、「憫」とは「かわいそう」ということです。したがって、これでは「かわいそうでない」という意味なってしまいます。
では、どうしてそう書くのかというと、当て字として使っているからです。意味上はおかしくても、当て字なので問題ないというわけです。
ただし、古文では「かわいそう」という意味だけでなく、「都合が悪い」という意味でも使います。つまり、「不便」という意味がそのままになっているのです。その使い方の例は、代表的な古文である『大鏡』にも載っています。
「不憫」を使う際の注意点
「不憫」の使い方の例文をいくつか取り上げましたが、実際に使う場合には注意点があります。あまり使う機会がない言葉だけにどこに注意すればいいのかわからないでしょうから、ポイントをお教えしましょう。
目下から目上という状況では使えない
「不憫」という言葉は、目下から目上の人に対しては使えません。これは当然と言えば当然ですが、目下の人が目上の人に「かわいそう」というのも変です。ただ、最近は「かわいそう」という表現に限っては、目上の人に使う若者もいるようです。
「不憫」の英語表記
「かわいそう」「気の毒だ」「哀れだ」という意味がある「不憫」を英語に訳したらどんな表記になるのか考えてみましょう。これは、「不憫」を名詞として見るか動詞として見るか形容詞として見るかで違ってきます。
名詞として見た場合
「不憫」を名詞として見た場合の英語訳は、「compassion」や「pity」がいいでしょう。ともに「同情」「憐れみ」という意味で、「不憫」の意味とダブります。名詞としての使い方が要求された場合は、この英語訳で大丈夫です。
動詞として見た場合
動詞としての「不憫」の訳語には、先ほど紹介した「pity」を動詞で使うことができます。これで「憐れむ」という意味になるので、「不憫に思う」ということになります。たとえば、「He pitied the motherless child.」と言えば、「母親のいない子を不憫に思った」ということです。
形容詞として見た場合
形容詞として「不憫」を使う場合が最も多いでしょうが、この場合にはぴったり合った英語表現があります。「poor」や「pitiful」です。「かわいそうに」「気の毒だ」という意味です。「poor」を「貧乏な」という意味で覚えている人もいるでしょうが、「不憫な」という意味でも使われます。
「不憫」はかわいそうだという意味
ここまで、「不憫」の意味、対義語・類語、使い方・例文、使用上の注意点などについて解説しました。「不憫」とは「かわいそう」「哀れだ」という意味ですが、だんだん使う人は減っています。もし使う機会があるようなら、正しい使い方を心がけてください。