「徒然」の意味とは?
「徒然」と言うと「徒然草」を学生時代に古文で習って記憶に残っている方も多いでしょう。しかし「徒然」の意味を説明できる方は少ないのではないのでしょうか。そこで「徒然」の意味を詳しく紹介しましす。
「徒然」は「同じ状態が続く」こと
「徒然」は「つれづれ」と読みます。「徒然」の意味は「長い時間、同じ状態が続くこと」や「何もすることがなく退屈すること」です。古文で習った「徒然草」の冒頭、「つれづれなるままに」は「することもなく、手持無沙汰なのに」という意味になります。
「徒然」は「物思いにふける」という意味もある
「徒然」を使うときの多くは「同じ状態が続き退屈なさま」の意味で使われますが、古文の「紫式部日記」ではもう一つの意味で使われています。「紫式部日記」の一文、「年ごろ、つれづれに」は「長年、しんみりと物思いにふけって」という意味で使われています。
「同じ状態が続き退屈なさま」と言うとネガティブな意味合いのように感じますが、「徒然」のもう一つの意味である「物思いにふける」という意味だと情緒溢れる素敵な意味になります。
どちらの意味でも時が止まったような同じ状態が続くというさまでは同じですが、文の前後を読み、「退屈」の意味なのか「物思いにふける」という意味なのかを自分で判断して読み解く必要のある言葉です。
「徒然」の由来
「徒然」の意味を理解した上で「徒然」の由来を紹介します。「徒然草」に出てくるほど昔から使われている言葉なので由来を知ることで更に深く意味を理解できます。では「徒然」の由来を紹介します。
「徒」の漢字の意味
まず「徒」から解説していきます。「徒」は音読みが「と」、訓読みは「かち」、「いたずらに」、「むだ」、「あだ」、「ただ」と読みます。「徒」は読み方がたくさんある漢字で意味もたくさんあります。
「かち」は「乗り物を使わず歩くこと」、「いたずらに」は「役にたたないさま。手持ち無沙汰。」、「むだ」は「無益」、「あだ」は「無駄」、「ただ」は「無料」という意味がそれぞれあります。
「然」の漢字の意味
「然」の音読みは「ぜん」、訓読みは「しかり」、「しかるに」、「しかし」、「しかも」、「しか」、「さ」、「さる」と読みます。「ぜん」は「すべて、まったく」、「さ」や「しか」は「そのように」という意味があります。
ちなみに「然」は古文でよく使われます。例えば「然あれば」は「そうだから」、「然言う」は「そのように言う」という意味があり、古文でもよく出てくるフレーズになります。
「徒然」の由来
「徒」と「然」の漢字の意味を紹介しましたが、続いては「徒然」の由来を「徒」と「然」の漢字から紐解きます。まず「徒」の意味である「手持無沙汰」が「徒然」の意味と繋がります。
「然」の漢字の意味は「そのように」と紹介しましたが「前に示されていることを受けて、その事態を示す」という意味もあり、「徒」の「手持ち無沙汰」の状態を示し、「徒然」は「手持ち無沙汰」という意味になります。
元々は「徒然」を「とぜん」と音読みしていましたが、「徒然草」を「つれづれぐさ」と読んだことから「つれづれ」と読む方が一般的になりました。
「徒然」の特徴
「徒然」の意味や由来を解説しましたが、「徒然」をもっと深く知るために「徒然」の特徴を紹介します。「徒然」と深く関わりのある「徒然草」について解説します。「徒然」のことを深く知ることで「徒然草」などの古文にも興味が湧くでしょう。
「徒然草」について
まず「徒然」の特徴として「徒然草」について解説します。「徒然草」は鎌倉時代の末期に「吉田兼好」によって書かれたものとされています。「吉田兼好」によって書かれた「徒然草」は日本の三大随筆の一つです。
ちなみに日本三大随筆の後2つは「清少納言」が書いた「枕草子」、「鴨長明」が書いた「方丈記」です。この2つの随筆も学生時代に古文で必ず習う有名な作品です。
「徒然草」は「吉田兼好」によって書かれてから100年間は注目されませんでした。しかし江戸時代に「徒然草」に記された教訓が町人などにも親しまれ身近な古典として江戸文化にも影響を与えた古文の一つです。
「徒然草」の内容
「徒然草」の内容を紹介します。先ほど「徒然草」が江戸時代に人気があることを紹介しましたが、現代の人が読んでも面白い内容になっています。「徒然草」の内容を現代の人向けに翻訳して出版された本も人気があります。
「徒然草」は全224段からなっています。第3段は「よろづにいみじくとも」ではどんなに素敵な男性でも恋を知らなければ魅力に欠けるので女性にいつも好意を持たれるように節度を持って行動するべきだなど、男性の魅力について書かれています。
更に第7段は「あだし野の露」では死があるから生が輝くというテーマで書かれていて、人間が死ぬことがなければ人生の深い感動は生まれてくるわけがないという内容が書かれていています。
このように吉田兼好が生き方や恋愛、友人関係などについてユーモアや皮肉を交えながら書かれたものが「徒然草」の内容になっています。生き方や恋愛など「徒然草」に書かれている内容は時代が変わっても共通する部分が多くいつの時代に読んでも楽しめる内容になっています。
「徒然草」の題名である「草」は植物の草でなく「ノート」を意味しています。「徒然草」は吉田兼好がやることが無く手持無沙汰なので思いつくままにノートに書いたものになります。
「徒然草」の内容に興味がある方や古文の勉強をしたい方などは「徒然草」を分かりやすく翻訳してくれている本を取り扱っている本屋もあるので是非手に取ってみて下さい。面白いだけでなく人生観にも影響を与えてくれるかもしれません。
「吉田兼好」とは
「徒然草」の作者、「吉田兼好」を紹介します。「吉田兼好」は「よしだけんこう」と読みます。別名、「兼好法師」とも呼ばれていました。吉田兼好は1283年から1352年の鎌倉時代末期から南北朝時代を生きたと言われています。
吉田兼好は歌人、古典学者、能書家など様々なことをしていたと言われています。吉田兼好の本名は「卜部兼好」、「うらべかねよし」と言います。「吉田兼好」と呼ばれたのは江戸時代からで「吉田兼好」が死んだ後に呼ばれていた呼び名になります。
「徒然草」を書いたのは「吉田兼好」と言われていると紹介しましたが実際、「吉田兼好」が書いたという証拠は何もありません。「徒然草」を書いた時期も定説あり、確信を持てる証拠はありません。
「徒然」の文法
「徒然草」は「徒然」をどのように使ったのか「徒然」の使い方と「徒然草」の中で「徒然」がどのような文法なのかを解説します。まず、「徒然草」の冒頭を紹介します。
「つれづれなるままに、ひぐらし硯にむかひて」が「徒然草」の冒頭で意味は「やることもなく手持ち無沙汰に、一日中硯に向かって」となります。「徒然」の意味は先ほど紹介した通り「退屈、手持無沙汰」の意味で使われています。
続いて品詞を紹介します。「つれづれなる」は形容動詞でナリ活用「つれづれなり」の連体形です。「まま」は名詞、「に」は格助詞、「ひぐらし」は副詞、「硯」は名詞、「に」は「格助詞」、「むかひ」は動詞のハ行四段活用「むかふ」の連用形、「て」は接続助詞となります。
「つれづれなり」とは
「徒然草」で使われた「つれづれなり」が形容動詞のナリ活用の連体形であることを紹介しましたが、形容動詞、ナリ活用、連体形とは何なのかを解説します。学生時代に習った古典を思い出してみて下さい。
形容動詞とは
形容動詞とは物事の状態や性質を説明し、「だ」の言いきりの形で終わる語です。更に形容動詞は自立語であり、言葉そのものに意味があります。そして語尾を変えられ、活用するのが形容動詞の特徴です。
「徒然なり」も「徒然」に「退屈」の意味があり、「なり」が活用できるので形容動詞と言えます。更に「徒然だ」と言い切ることも可能です。
ナリ活用、連体形とは
続いて「ナリ活用」を紹介します。「ナリ活用」とは「なら、なり・に、なり、なる、なれ、なれ」と活用されます。古典の授業で呪文のように覚えた記憶がある方も多いでしょう。
活用は未然形、連用形、終止形、連体形、未然形、命令形となり、「つれづれなり」の「なり」は連用形になります。連体形はその名の通り「名詞などの体言に連なる形」という意味があります。
「徒然」の類義語
「徒然」の特徴や古文を知ったところで次は「徒然」の類義語を紹介します。古文では良く出てくる「徒然」ですが、現代ではあまり使う機会のない言葉です。そこで「徒然」がどんな言葉に置き換えられているのか紹介します。
「億劫な」の意味
「徒然」の類義語として「億劫」の意味を紹介します。「億劫」は「めんどくさい」という意味です。例えば「宿題をするのは億劫だ」という使い方をします。この場合は「宿題をすることが面倒くさい」という意味です。
「徒然」との違いは「徒然」の場合は何もすることがなく退屈という意味ですが、上の例文のように何かしなくてはいけないことがあるがしたくないという意味で使われるので若干意味が異なります。
「退屈極まりない」の意味
「徒然」の類義語として「退屈極まりない」を紹介します。「退屈極まりない」の意味は「退屈でこの上ないさま」です。「極まりない」は形容詞で「この上ない、はなはだしい」という意味があります。
「徒然」の「退屈」という意味とぴったりな言葉です。例えば「退屈極まりない毎日だ」などという使い方ができます。
「物臭な」の意味
「徒然」の類義語として「物臭な」を紹介します。「物臭な」は「何かすることを面倒がること」という意味です。「物臭な人」という使い方もでき、「面倒そうな人、ぐうたら」という意味で使われます。
「徒然」は「退屈」という意味で「物臭な」の「ぐうたら」な意味とは少し違いますが、何もしないでいるさまが同じなので類義語として紹介しました。
ちなみに「物臭な」も昔から使われていた言葉で古文では「物臭し」という使い方で「臭い」、「怪しい」、「面倒くさい」という意味で使われていました。
「徒然」の使い方
「徒然」の意味や由来を紹介しましたが、実際の日常会話で「徒然」を使う機会があまりありません。そこで「徒然」を使った例文を紹介します。例文は古文から現代で使える「徒然」の使い方を紹介します。
例文①
「徒然」の例文の1つ目を紹介します。「入院の徒然に本を読む」という「徒然」の使い方ができます。意味は「入院の退屈な間に本を読む」という意味になります。
入院中という文から「退屈」が想像でき、意味が分かりやすい例文になっています。退屈な時間を表現したいときに「徒然」を使うと良いでしょう。
例文②
続いての例文は「徒然」を使った古文を紹介します。「徒然も慰めがたう、心細さまさりてなむ」という「源氏物語」の一文です。意味は「つくづくと物思いにふけて気を晴らせそうもないが、心細い気持ちが一層勝ってしまう」となります。
この場合の「徒然」は「物思いにふける」という意味の使い方をしています。「慰め」は「慰める、心が晴れる」という意味があり、「がたう」で否定しているので「気持ちが晴れない」という意味の使い方をしています。
「気持ちが晴れない」の文脈から「退屈」よりも「物思いにふける」の方がこの場合は合っています。古文の場合は「徒然」が「物思いにふける」という意味の使い方が多く見受けられます。
例文③
「徒然」を使った3つ目の例文を紹介します。「徒然とこもり居けり」という伊勢物語の一文を解説します。意味は「しんみりと寂しくこもっていた」となります。この場合の「徒然」は「しんみりと寂しいさま」を表します。
上の2つの例文は「徒然」が動詞や形容動詞の働きをしていましたが、この例文の「徒然」は副詞の働きをしています。「けり」は助動詞で過去を表し「~た、~たそうだ」という意味になります。
ちなみに「伊勢物語」も学生時代に古文で習い聞いたことがある方も多いでしょう。「伊勢物語」は平安時代の歌物語です。主人公の男の生涯を恋愛中心に描かれたものになっています。
例文④
「徒然」の4つ目の例文を紹介します。「徒然日記を書く」は「手持無沙汰なので日記を書く」という意味になります。「徒然」の「退屈、手持無沙汰」という意味で使われています。
退屈なので日記でも書こうという気持ちが込められています。日々の日常や日記の題名が決まらないときは「徒然日記」という題名を付けるとカッコよく感じられます。「徒然日記」は現代でも使えて便利な言葉です。
「徒然」は「同じ状態が続く」という意味
「徒然」は「退屈、手持無沙汰」という意味で使われることが多いですが、他にも「物思いにふける」や「寂しいさま」など様々な意味もあります。意味がたくさんあるほど前後の文脈で意味を想像するのが楽しい言葉でもあります。「徒然」を理解して現代でも使ってみましょう。