「メーデー」の意味とは
5月のカレンダーを見ていると、時々「メーデー」と書かれたものを目にすることがあると思います。しかし、「メーデー」とはいったい何でしょうか?
「クリスマス」などとは違い、街がお祭り気分になるわけでもなく、テレビで特集が組まれるわけでもありません。
ですが、「メーデー」というのは社会の中では重要な役割を持っている日です。今回はそんな「メーデー」の意味や由来を解説していきます!
また、救助要請の際に出てくる「メーデー」とは何か、「SOS」とは違うのかということについても、ご紹介します。
労働者の祭典・労働者の日
「メーデー」は英語をカタカナに置き換えている言葉ですので、英語に直すと「May Day」になります。「May」とは、5月のことです。
直訳だけを見ると、「メーデー」は5月にあることしか分かりませんが、実際は毎年5月1日になります。では、この日に何をしているのかというと、労働者たちが権利を主張するためのデモや集会を行っています。
このため、「メーデー」は「労働者の祭典」とか「労働者の日」と呼ばれることがあります。いずれにせよ、「メーデー」とは労働者たちが自分たちのために行動を起こす日だということができます。
運動は世界各国で行われており、当然日本でも行われますが、日本では運動日が5月1日でないことも多いです。この理由については後述します。
「メーデー」の由来とは
ところで、そもそもなぜ「メーデー」が誕生したのでしょうか。実は「労働者の日」としての「メーデー」の歴史は長いわけではありません。
「メーデー」の由来を探すと、古代ローマ時代付近にまで遡れると考えられています。神様に供え物をしながら、春や夏の訪れを祝う日という意味で5月は古代から大事にされてきたと言われており、現在でも「五月祭」というかたちでこの日が残っています。
したがって、今でもヨーロッパでは労働者の日としてではない「メーデー」の意味も人々の間で受け入れられています。日本にはこの歴史がありませんので、「労働者の日」としての意味のみが輸入されて今に至っています。
この素朴なお祭りであった「メーデー」が、なぜ「労働者の日」としての意味を持つようになったのでしょうか。
これはアメリカでの悲劇的な事件が由来となっています。今度はその部分についても見ていきましょう。
1886年のアメリカでの長時間労働が起源
「メーデー」が「労働者の日」になったのは、アメリカの長時間労働が由来です。1886年当時、アメリカでは1日の労働時間が12時間~14時間という状態が当たり前になっていました。
今の社会から見れば非常にブラックな状態ですが、当時は労働者の権利が弱く、このような劣悪な労働条件が世界のあちこちで見られました。
この状態に対して、現在のアメリカ労働総同盟・産業別組合会議(AFL-CIO)、当時のアメリカ合衆国・カナダ職能労働組合連盟が5月1日に8時間労働を目指して統一ストライキや集会を行いました。
これが「労働者の日」としての「メーデー」の直接の由来です。なぜ5月1日だったのかですが、先ほども書いたようにお祭りの日であったため、労使の争いも停戦にしようという日だったことが逆に影響したのではないかと考えられています。
しかし、このストライキだけが「メーデー」を現在にまで続く国際的な労働者運動の日としたわけではありません。この運動にあわせて起きた事件が由来としては非常に重要でした。
ヘイマーケット事件がメーデーを「労働者の日」へ
先ほども書いた8時間労働を目指した運動の中では、労働者側と警察の衝突が起こりました。このとき、労働者4名が警察官に射殺されるという事態になりました。
その後、これに抗議するために行われた集会にも警察がやってきて、解散を命じました。その際、何者かが投げた爆弾が爆発して、警察官と労働者に死者が出ることになりました。
警察はこの爆弾を投げた犯人として、労働者数名を起訴しました。しかし、全員が無罪を主張して、実際の物証なども出てきませんでした。にもかかわらず、当時の裁判官や陪審員(日本の裁判員に似た制度)は、暴力扇動の責任があるとして、7人に死刑を宣告します。
結局、うち1人は自殺、4人は死刑が執行されることになりました。なお、残りの死刑囚は減刑されました。
これが「ヘイマーケット事件」と呼ばれる事件です。これがあったため、労働者側は国際的に連帯して運動を行ってほしいと、当時の社会主義運動の国際組織であった第2インターナショナルに要請しました。
第2インターナショナルはこれを受諾して、「ヘイマーケット事件」の引き金となった運動が始まった5月1日を「労働運動の日」として制定しました。
これが、素朴な「五月祭」の日であった5月1日が「労働者の日」に変わることになった由来です。
日本におけるメーデーとは
次に日本の「メーデー」についても見ていきましょう。日本の「メーデー」とは、ヨーロッパやアメリカの労働運動を輸入して行われるようになったもので、独自のものではありません
しかしながら、労働運動が厳しく制限されていた戦前から行われており、一定の歴史を持っているものでもあります。
1905年に労働者の権利を説く
日本で「メーデー」が行われるようになったのは、1905年(明治38年)のことです。ただし、このときは大規模な集会を行ったわけではなく、茶話会(さわかい)というかたちで行われました。
主宰は幸徳秋水などが創設した平民社でした。平民社は「平民新聞」という新聞を発行していた会社で、日本の社会主義団体のパイオニアです。彼らが労働者の権利を説く会を始めたのが日本の「メーデー」の由来になっています。
その後、街頭演説を行ったりするようになり、1920年には上野公園で大規模な集会が行われるに至りました。これが現在まで続く「メーデー」の集会で、実施回数はこの年の「メーデー」から数えています。
ただ、当時は思想の自由がなく、社会主義も認められていませんでしたので、労働運動も規制されていました。このため、メーデーのたびに警察がやってきて、逮捕者が出ることも多かったとされています。
さらに、戦争の足音が近づいてきていた1936年には二・二六事件のあおりでメーデーを中止せよという国からのお達しがあり、メーデーが中止に追い込まれました。これを機に日本ではメーデーが実施できなくなり、戦後まで復活することはありませんでした。
戦後の「メーデー」復活
戦争が終わった1946年、ついに「メーデー」が復活します(第17回メーデー)。この年は「働けるだけ喰わせろ」がスローガンで、当時の社会の問題を伝える意味がありました。
戦後すぐは、戦前の反動もあって労働運動が盛り上がっていた日本ですが、当初これを応援していたGHQがソ連との冷戦の激化で社会主義的な動きに圧力を加えるようになったことが由来で、再び受難の時代を迎えることになります。
さらに、日本の独立後は「血のメーデー事件」が起こるなど、単なる労働者運動の日から政治的主張を行う意味もある運動へも変化しますが、安保闘争の終焉などが由来となり、往時ほどの盛り上がりはなくなっていきました。
1990年代以降は、主催していた労働組合団体が分裂して、統一してのメーデーは開かれていません。また、労働組合の力が落ちてきたこともあり、一般大衆が参加するイベントというイメージは小さくなっているというのが実情です。
日本のメーデーが祝日ではない理由とは
世界の多くの国では、「メーデー」が祝日になっています。しかし、日本の5月1日は祝日でもなんでもありません。
ゴールデンウイークにあたる時期なので、ここが祝日になったら嬉しいと思う方も多いでしょうが、なぜ日本の「メーデー」は祝日ではないのでしょうか。
金融市場の兼ね合い
理由はいくつかあると考えられていますが、1つには金融市場との兼ね合いがあります。どういう意味かと言うと、4月後半から5月初めはゴールデンウイークで連休が続きます。
休日は金融市場のうち株式市場も休みになりますので、連休だと株式市場も連休になります。一方、為替市場は値動きが続きます。
こうなると、株の取引はできないのに、資産の変動を気にしなくてはいけないということになり、金融市場に参加している人々へのリスクになるのです。
このため、「メーデー」を祝日にするという動きには目立ったものが見られません。とはいえ、2019年は皇位継承の影響で5月1日も休みにした10連休がありましたので、社会全体としての考えが変わってくる可能性もあります。
勤労感謝の日と重複する
また、「勤労感謝の日」と意味が似ているということも、「メーデー」が祝日でない理由の1つです。
「勤労感謝の日」は「勤労を尊び、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう日」として制定されている祝日です。
この「勤労感謝の日」の由来は、「新嘗祭」(にいなめさい)にあります。「新嘗祭」は収穫祭で、その年のお米の収穫に感謝する宮中儀式でした。戦後、これを宮中儀式から切り離してできたのが「勤労感謝の日」です。
一時期、「勤労感謝の日」を「メーデー」に移動させるという話もありましたが、結局は実現に至りませんでした。
日本のメーデーの規模が小さいのは何故?
最初のほうにも書きましたが、日本のメーデーは大きなイベントとしてはとらえられていません。これは何故でしょうか。
そこで、ここからは何故日本のメーデーの規模が小さいのかについて、いくつか説明していきます。
①政治色が強い
日本のメーデーの特徴としては「政治色の濃さ」があげられます。直接労働者の権利とは関係ない政策についての反対などを強く打ち出す傾向にあるのです。
これは「血のメーデー」などから続く傾向ですが、日本では政治的主張を強く打ち出す集会などは忌避されてしまうことが多いため、規模も小さくなっています。
②ゴールデンウイークとかぶっている
5月1日近辺はゴールデンウイークです。したがって、運動をする主体である労働者が休みをとっていることが多いです。しかも、長期休暇なので、遠出をしていることも多く、「メーデー」だから集まってほしいといっても、それに応える人は少ないのです。
自発的に参加したい人はともかく、労働組合に入っているというだけで仕事のように参加させられてしまうケースもあり、活動へのモチベーション低下を引き起こすこともあります。
なお、この影響もあり一部のメーデーは5月1日よりも前に行うこともあります。日本最大の労働組合団体の「連合」によるメーデーは4月中に行われます。
③SNSの発達
3つ目にSNSの発達もあげることができます。TwitterなどのSNSが発達したことで、訴えなどを組織を通さずに個人で行いやすくなりました。
時々Twitterなどで、ひどい労働条件などが投稿されて、いわゆる炎上のような状態になり、是正に向かうことがありますが、このようなことが個人で行えるようになったのは大きな進歩を意味すると言えます。
その分、わざわざ「メーデー」などに参加して、形式的に権利向上を訴えることの意味が薄れてきており、「メーデー」の規模が小さくなっているのです。
メーデーとSOSの救助要請の違いとは
今まで、労働者の日としての「メーデー」について説明してきましたが、もう1つの「メーデー」も存在します。
それが救助要請のときに用いられる呼びかけの「メーデー」です。この章では救助要請での「メーデー」について紹介していきます。また、救助要請という意味で似ている「SOS」とは何かも解説します。
SOSはモールス信号
救助要請と言えば「SOS」を思い浮かべる人も多いでしょう。こちらは「モールス信号」で救助要請を知らせるためのものです。
モールス信号は「トン」という短音と「ツー」という長音の組み合わせで文字を示すもので、それをつなぎあわせることで文章を相手に伝えることができます。
「SOS」が救助要請を示す言葉になったのは、このモールス信号が由来です。というのも、Sが「トン・トン・トン」、Oが「ツー・ツー・ツー」と単純なので、分かりやすかったためです。
これが一般にも普及するようになり、モールス信号以外でも「SOS」が救助要請を示すものになりました。
メーデーは無線電話
一方の「メーデー」は無線で救助要請を行う際の合言葉です。使い方は無線の最初で「メーデー、メーデー、メーデー」と3回呼びかけるというものです。
この救助要請が入ると、その無線の周波数は救助に必要な通信以外は禁止されます。これにより、素早い救助が可能になるのです。なお、むやみに使うと処罰されるのに加え、多くの人に迷惑をかけるので、救助要請時以外には絶対に使わないでください。
ちなみに、「メーデー」の由来はフランス語です。もとは「venez m'aider」(私を助けに来て)だったようですが、後に「m'aider」(私を助けて)のみが残りました。英語でいうところの「help me」にあたる言葉です。
この「m'aider」の発音が「メーデー」だったので、英語では「mayday」と書くようになりました。つづりは「労働者の日」としての「メーデー」と同じですが、「may + day」ではなく、1単語として書くという違いがありますので、書くときには気を付けましょう。
「メーデー」とは労働者の祭典を行う日
ここまで「メーデー」についてまとめてきましたが、いかがでしたでしょうか。「メーデー」とは季節を祝うお祭りでしたが、アメリカで起きた労働運動が由来として、「労働者の祭典を行う日」になりました。日本では規模が小さくなっていますが、労働環境は重要なものですので、自分にあった労働環境を今一度考えるきっかけの日にしてみてください!