ちはやぶる(ちはやふる)の意味
少女漫画を原作とした「ちはやふる」は、時代を超えても伝わる詠まれる「百人一首」を題材にした青春映画ということもあって、とても人気がでました。この映画を見て百人一首に興味がわいたという方も多いでしょう。
百人一首とは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて藤原定家が選んだ和歌100首です。現在でいえばオムニバス形式で厳選された100首を納めたものが百人一首になります。百人一首に含まれている和歌は、天地天皇から順徳院まで592年~1333年に詠まれたものです。
一躍人気が出た百人一首ですが、中でも有名で映画の題名でもある「ちはやぶる(ちはやふる)」という言葉の意味を理解している人は、意外と少ないです。そこで、まずは「ちはやぶる(ちはやふる)」の意味から解説していきましょう。
意味:荒々しいふるまい
「ちはやぶる(ちはやふる)」は、「いちはやぶ」という言葉が語源と言われています。「いちはやぶ」は、荒々しいふるまいという意味を持つ動詞です。
例えば、古事記では次のように使われています。「この沼の中に住める神、いとちはやぶる神なり」この場合のちはやぶるは荒々しい神を表現し、解釈としては「この沼の中に住んでいる神は、とても荒々しい神だ」となります。
また、万葉集では「東の国の御軍士を召したまひてちはやぶる人を~」となり意味としては次のようになります。「東の国の兵隊を招集し、荒々しい者を~」といった解釈になるでしょう。
「ちはやぶる(ちはやふる)」を漢字で書くと「千早ぶる」となり、万葉集や古今和歌集にも多く登場する言葉です。また、古典落語の演目として、隠居が短歌におもしろおかしくいい加減な解釈を加える「千早振る(ちはやぶる)」というのもあります。
枕詞のちはやぶる(ちはやふる)
「ちはやぶる(ちはやふる)」を使った和歌として有名なのは、平安時代の歌人が詠んだ「千早ぶる神代もきかず龍田川からくれないに水くくるとは」といった百人一首の句であるの始めの言葉でしょう。
句の意味は、後述にある「ちはやぶる(ちはやふる)の百人一首の現代語訳」で詳しく解説していくので、そちらを参考にしてください。
「千早ぶる(ちはやぶる)」は、「神」にかかる枕詞になります。ここでは、そもそも枕詞とはどういったものなのか、解説していきましょう。
枕詞の意味
枕詞とは「まくらことば」と読み、和歌などに用いられる言葉です。それ事態に意味はなく装飾するための言葉、もしくは特定の言葉の前に置くことで、句の調子を整えるための言葉になります。「ちはやぶる(ちはやふる)」の場合は、次の言葉である「神」にかかる枕詞です。
枕詞には、五音であることと、対で使われるという特徴があります。またこの他にも、言葉の意味がよく分からないという枕詞もあります。
例えば、「あしひきの」という枕詞には、「山」が対です。「あしひきの」には「登るのに疲れたため足を引きずって」という意味があるのではとされていますが、実際はどういった意味があるのかわからないのです。
現在の枕詞の意味としては、前置きというワンクッションの役目をすることが多いです。和歌を詠まれることが減った現在では、ビジネスシーンでも「申し上げにくいのですが」などといった前置きを「枕詞」として使うことが増えています。
意味:特定の語の前に置かれて語調を整える語句
「ちはやぶる(ちはやふる)」の場合の枕詞としては、先にふれたように特定の言葉の前に置くことで、句の調子を整える働きがあります。枕詞自体に意味がないのに、どうしてわざわざつけるのか疑問に思う方も多いでしょう。実は、枕詞自体に意味はなくても役目があるのです。
枕詞の役目としては、和歌で言えば特定の言葉の前に置くことで、枕詞を聞いただけで次の言葉を連想させる働きがあります。「千早ぶる神代もきかず龍田川からくれないに水くくるとは」で言えば、「神」がこれにあたります。
つまり、「ちはやぶる」を出したことによって、次は「神」が来るとわかるため、「ちはやぶる+神」がセットになっているということです。このことを知るだけで、和歌では「ちはやぶる」と詠われると、次は「神」が来るのだとすぐに分かります。
では、「ちはやぶる(ちはやふる)」がどうして「神」の枕詞なのでしょうか。古代の神はすべてが善というわけではなく、中には妖怪や悪霊の類の神がいました。そうした神々が人々を猛々しく、荒々しい様子で脅かすこともあり、「ちはやぶる」が「神」の枕詞になったと言われています。
この他にも、万葉集では「ちはやぶる 神の斎垣も越えぬべし今は我が名のおしけくもし」という恋の和歌もあります。この恋歌も「ちはやぶる」は「神」の枕詞として「荒々しい」という意味はなく、「神社の周囲の垣も越えかねないので、私は名など惜しくはありません」と解釈されています。
枕詞とセットになっている言葉は、たくさんあります。例えば、「あおによし(枕詞)+奈良」や「しろたへの+衣・雪」といったように、使われています。
ただ、和歌の世界では枕詞は訳しません。そのため、先にお話ししたように「ちはやぶる(ちはやふる)」には、「荒々しいふるまい」という意味がありますが、「荒々しい神」という形では解釈されないのです。
「ちはやぶる」とちはやふるの違い
漫画や映画などで有名になったタイトルは「ちはやふる」です。しかし、後述で解説する和歌「千早ぶる神代もきかず龍田川からくれないに水くくるとは」では「ちはやぶる」と詠まれます。
和歌の世界では「ちはやぶる」と詠まれることが多いですが、先にふれたように古典落語では「千早振る(ちはやふる)」という演目もあります。では、「ちはやぶる」と「ちはやふる」の違いはどこにあるのでしょうか。
「ふる」に濁点がつくかの違い
「ちはやぶる」と「ちはやふる」の違いは、濁点があるかないかです。「え?そんなこと?」と驚く方もいるでしょう。しかし、明確な違いとしては、濁点の有無しかないのです。
「ちはやふる」と記載されても、口頭では「ちはやぶる」と濁点がつきます。この違いの原因としては、平安時代にできたばかりの「かな」には、濁点がなかったためとも言われています。
「ちはやぶる」とちはやふるの意味に違いはない
和歌が詠まれた平安時代には、文字には濁点がないものの、話す言葉としては濁点を使っています。そのため、口頭では「ちはやぶる」と共通されていますが、文字にすると「ちはやぶる・ちはやふる」のどちらかで表記されてしまうのです。
簡単に言えば、「ちはやぶる」と「ちはやふる」の意味に違いはありませんが、詠み方として口頭では「ちはやぶる」、文字にすると「ちはやぶる」と「ちはやふる」のどちらでも間違いではないということです。
ちはやぶる(ちはやふる)の百人一首の現代語訳
平安時代に詠まれた「千早ぶる神代もきかず龍田川からくれないに水くくるとは」は、百人一首にも登場します。そこで、「ちはやぶる(ちはやふる)」は、現代の言葉で解釈をするとどういった内容になるのか、解説していきます。作者についてもふれていくので、ぜひ参考にしてください。
ちはやぶる(ちはやふる)の作者はプレイボーイ
まずは作者から解説していきましょう。「ちはやぶる(ちはやふる)」の作者は、在原業平朝臣(ありわなのなりひらあそん)です。在原業平朝臣は「在五中将」とも呼ばれ、平安時代の代表的な歌人になります。
在原業平朝臣は、平城天皇の孫にあたり、阿保親王の五男になります。血筋で言えば、とても高貴な身分ですが、一官僚として進むしかない不遇な生涯を遂げています。
しかし、古今和歌集には30首、勅撰和歌集には87首が採用されていることなどから、和歌を詠む才能は高くそれを認める声も多くあります。そんな在原業平朝臣の人物像はどういったものだったのでしょうか。
在原業平朝臣は放縦不拘
在原業平という人物は、容姿端麗で美男子とされ、女流歌人である小野小町も好意を寄せていたとも言われています。
在原業平朝臣がモデルであるとされる「伊勢物語」では、好きな高貴な女性を都から連れ出したはいいものの、雨宿りした小屋で目を離したすきに女性は鬼に食われてしまったという話もあります。
また、和歌知顕集では「生涯で3,733人の女性と関係があった」などといった話しもあるほどです。3,733人という人数が正確かどうかは別としても、当時はかなりのプレイボーイであったという記録が多数残っています。
「日本三大実録(平安時代につくられた歴史書)」では、在原業平朝臣のことを「放縦不拘」と記されています。「放縦不拘」は「ほうしょうふかかわ」と読み、物事に捕らわれず自由奔放であるという意味になります。そのため在原業平朝臣は、貴族でありながら反体制的な面があったようです。
在原業平朝臣を簡単に言えば、不遇な境遇に見舞われながらも、容姿端麗で自由奔放に生きていた恋多き歌人とも言えます。「ちはやぶる」の他にも、次のように代表的な和歌があるので、参考程度に覚えておきましょう。
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして」「から衣きつつなれにしつましあればはるばるきたる旅をしぞ思ふ」
千早ぶる神代もきかず龍田川からくれないに水くくるとは
百人一首17番の「千早ぶる神代もきかず龍田川からくれないに水くくるとは(ちはやぶる かみよもきかず たつたがわ からくれないにみずくくるとわ)」は、先にふれた在原業平朝臣が詠んだ和歌です。
この和歌は、古今和歌集や伊勢物語でも詠われています。しかし古今和歌集では、屏風にかかれた龍田川の紅葉の様子を詠った歌」と言われ、伊勢物語では、「龍田川へ行き水を流れる紅葉を見て詠った歌」とされているため、諸説あるようです。
現代語訳
「千早ぶる神代もきかず龍田川からくれないに水くくるとは」でが現代語訳にすると、どういった意味があるのでしょうか。
現代語訳にすると、次のように解釈ができます。「神代の時代にさえ、こんなことは聞いたことがない。龍田川が、あたり一面に浮いている紅葉によって紅く染められるなんて」
龍田川は現在の奈良のにある紅葉が有名な場所です。和歌に用いられることも多い川で、赤く色づいた紅葉が龍田川へ落ち流れている様子もしくは、それを描いたん屏風に感動して、詠ったのでしょう。
この「千早ぶる神代もきかず龍田川からくれないに水くくるとは」は、二句切れの歌です。また、倒置法を使い「千早ぶる神代もきかず(神代の時代にも聞いたことがない)」を先に持ってくることで、紅葉によって紅く染められた龍田川にいかに驚き感動したのかを、表現しています。
登場するそれぞれの言葉の意味
百人一首に限らず和歌の表現は少し難しく感じる方も多いです。しかし、言葉の意味を知ることでより深く歌の情緒まで感じることができます。
そこで「千早ぶる神代もきかず龍田川からくれないに水くくるとは」の言葉の意味について触れていきましょう。「千早ぶる」は、「荒々しい」という意味がありますが、枕詞なのでここでは意味を訳しません。
「神代もきかず」とは、太古の神々の時代、さまざまな神が日本を治めていた時代を意味します。この歌では、摩訶不思議なことが起こっていたそんな神代でも聞いたことがないほど、不思議(奇跡)であると表現しているのでしょう。
「からくれない」は、鮮やかな紅色を表現しています。「から」は当時の韓の国や唐土を示しているため、「韓の国の紅のように」という意味になります。
水くくるとはの「くくる」には、括り染めにするという意味があります。「水くくるとは」は、水を括り染めにしてしまった、つまり紅葉が龍田川の水を染めてしまった様子を表しています。
括り染めは、布を糸でくくって、白い部分を残す染め方です。龍田川の水全部が紅色に染まってしまったのではなく、括り染めのように流れる紅葉の間から水流も感じられたのでしょう。
このように、歌に使われる言葉はそれぞれ意味があり、それら全てで歌の情景や情緒を表します。歌に使われる意味を知ることで、より深く百人一首も理解することができます。
ちはやぶる(ちはやふる)は荒々しいふるまいを意味する言葉
百人一首の「千早ぶる神代もきかず龍田川からくれないに水くくるとは」は、映画などで一躍有名になりました。映画や漫画の主人公も「ちはやぶる(ちはやふる)」という言葉に魅かれ、百人一首の世界にどっぷりつかっていきます。
「ちはやぶる」と「ちはやふる」の違いとしては、ただ濁点かどうかであって意味の違いはありません。また、「ちはやぶる」には、荒々しいなどといった意味がありますが、この和歌では神代にかかる枕詞になるので、意味がないのです。しかし、見方によっては神のとてつもない力を感じさせる言葉ともいえます。
和歌には、こういった意味を訳さなくても、かかる言葉をより強く表現する枕詞があります。枕詞でさえ歌の一部として立派な役目があるので、和歌の面白いところとも言えるでしょう。