論語には役立つ名言がたくさん!
論語は西暦390年頃に漢字や仏教と一緒に日本に伝えられました。歴史の授業でも習った聖徳太子や空海なども論語を学んだと言われており、日本人の倫理観や道徳にも深く関係しているとされています。
そこで今回は論語の名言や格言、そしてその意味や現代語訳について、そしてそもそも論語はどんなものなのかという点について解説しましょう。
名言・格言の多い「論語」って?
最初に「論語」とはそもそもどういったものなのかということについて解説しましょう。論語には格言や名言が多く、江戸時代の頃には幕府から推奨され全国の寺子屋で論語の勉強がされていたことから、多くの一般庶民も暗唱していました。
「論語」という言葉は歴史の授業で聞いたことがある人も多いかと思いますが、具体的にどういったものなのでしょうか。
孔子の言葉がまとめられている
論語は一言で言うと「孔子の言葉がまとめられている書物」です。孔子とは古代中国の思想家で弟子の教育に励み、弟子の数は約3000人と言われています。孔子の死後、弟子たちによって作られたのが論語であり、孔子の言葉や行いがまとめられています。
儒教に基づく言葉
孔子は儒教の創始者であり、論語にまとめらている言葉も儒教の教えに基づいたものばかりです。作られたのははるか昔ですが、現代でも通用する教えが多く、ビジネスマンなどで参考にしている人がたくさんいます。
儒教とは
儒教とは五常である仁(人を思いやること)・義(正義)・礼(仁を具体的な行動として表したもの)・智(学問に励むこと)・信(誠実)を守り、五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)の道を維持することを目的としたものです。
論語の名言の現代語訳と意味【人生の教え】
では早速論語に書かれている名言・格言の現代語訳と、その名言の意味について紹介しましょう。まずは人生の教えとなる論語をいくつか紹介します。
いくつかは学校の授業で聞いたことがあるかもしれません。現代を生きる私たちにも通用する教えがたくさんあるのでぜひ参考にしてみてください。
子曰、學而時習之、不亦説乎
この名言は論語の中でも有名な言葉で授業でも習ったことがある人も多いのではないでしょうか。この名言は「子曰く、学びて時にこれを習ふ。また説(よろこ)ばしからずや」と読み、現代語訳は「学んだことを実践する機会を得られるということは、なんて悦ばしいことだろう」です。
ここでの「習ふ」は「勉強する」という意味ではなく、「実際に行う」という意味で使われています。当時の学びは勉強だけではなく礼儀や音楽、儀式など様々な事柄を指し、それらを理解し実践できることの喜びを表しています。
子曰、巧言令色、鲜矣仁
この名言は「子曰く、巧言令色、鮮(すく)なし仁」と読み、現代語訳は「言葉が巧みで顔つきをころころ変えるような人が仁者であることはほとんどない」です。
「仁者」とは、他の人を思いやることができる人のことを意味します。言葉が上手く外見を装う、いわゆる世渡り上手な人は周りに対して誠実ではないことが多いということを指しています。
お世辞や媚び、上っ面だけが良い態度を戒める言葉であり、この名言は現代でも当てはまるのではないでしょうか。
子曰、君子周而不比、小人比而不周
この名言は「子曰く、君子は周(しゅう)して比せず。小人は比して周せず。」と読み、現代語訳は「君子は誰とでも分け隔てなく幅広く人と付き合うことができるが、小人は限られた狭い関わりしかできない」となります。
「君子」は徳がある立派な人、「小人」はつまらない人のことを意味します。徳があり立派な人は誰とでも付き合いができ、また自然と周りに人が集まってきますが、小人の場合は利益を求めるだけの関係しか築けず視野も考え方も狭くなってしまうということを諭しています。
孔子曰、不知命、無以爲君子也
この名言は「孔子曰く、命(めい)を知らざれば、以(もっ)て君子と為す無きなり。」と読み論語の最終章にある言葉です。論語のなかでもよく知られている言葉なので耳にしたことがある人もいるのではないでしょうか。
この名言の現代語訳は「自分に与えられている天命のことをよく知らなくてはいけない。知らなければ君子になる資格がない。」となります。
「天命が分からないのであれば心が落ち着かず利害に動かされてしまう。そのようでは人を指導する君子となることはできない。」と孔子は弟子たちに説いていました。
子曰、君子喩於義、小人喩於利、
この「子曰く、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る。」という名言は、現代のビジネスマンによく親しまれている論語のひとつです。
「優れた人は何をするべきか考え、つまらない人は何をすれば得かを考える」が現代語訳となりますが、優れている人は物事が正しいかどうかを基準として考えて行動することができるが、道徳心の無い人は利益があるかどうかを基準として考えて行動するということを指します。
仕事をするうえでついつい目先の利益を優先して行動してしまいがちですが、自分の利益だけを追及するという考えは捨てるべきであり利益が全てではないということを諭した名言です。
子曰、狂而不直、侗而不愿、悾悾而不信、吾不知之矣
続いて紹介する論語の名言もビジネスマンに親しまれている論語のひとつです。「子曰く、狂にして直(ちょく)からず、侗(とう)にして愿(げん)ならず、悾悾(こうこう)として信ならず、吾(わ)れは之を知らざるなり。」と読みます。
「理想家なのに移り気があり、無邪気でありながら真面目さがなく、素朴そうに見えても誠実ではない。こういう人はどうしようもない。」という意味になります。
ビジネスマンが今一度自分の言葉や行動がこのような人間になっていないか、自分自身を見つめ直させてくれる名言です。
子曰、知之者不如好之者、好之者不如樂之者
人生の教えとなる論語の一つが「子曰く、これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」があります。
これは「知識があり理解している人でも、そのことを好きな人にはかなわない。また、そのことを好きな人であっても、そのことを楽しんだり満足している人にはかなわない」という意味となります。
今では「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、好きで心から楽しんでいる人にはたとえ知識があってもかまいません。また、知識がある人よりも楽しんでいる人の方が今後成長できる可能性があるという解釈もできます。
子曰、攻乎異端、斯害也己矣
「子曰く、異端を攻(おさ)むるは斯(こ)れ害あるのみ。」も人生の教えの参考になる論語です。意味は「自分とは異なった意見や考えを持つ人を非難しても害があるばかりである」になります。
自分と違った意見や考えを持つ人がいるとついつい非難してしまいがちですが、そういった自分とは異なる意見を持った人こそが自分自身を成長させてくれる存在であると解釈することができます。
子曰、歳寒、然後知松柏之後彫也
この論語は「子曰く、歳寒くして、然(しか)る後に松柏(しょうはく)の彫(しぼ)むに後るるを知るなり。」と読み、意味は「寒くなってから初めて松や柏が散らないことを知った。それと同じように人間も危ない状況になって初めて誰が本当に実力を持っているのかが分かる」です。
他の論語にはなかなか無い風流さが感じられる名言です。意味のそのままの通りに、人間は危機的な状況に陥った時こそ本当に出来る人かそうでないのかが表われます。
論語の名言の現代語訳と意味【哲学的】
ここまでは人生の教えとなる論語の名言やそれらの意味・現代語訳について紹介してきましたが、続いては哲学的な意味を持つ論語の名言をいくつか紹介します。私たちにとって役立つ哲学的な教えがいくつかあるので頭にいれておきましょう。
子曰、朝聞道、夕死可矣
「子曰く、朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり」と読むこの名言は、「もし真実の道を知ることができたのならば、その日の夕に死んでしまってもかまわない」という意味になります。
「道」は中国の古典に頻繁に出てくる言葉で、「真実の道」以外にも「人として生きる道」や「真理」「人として生きる意味」と解釈することもできます。この名言は「道」を探求した孔子のひたむきさが表現されています。
また、その他にも孔子はこの名言を「死を気にするよりも生きているうちに道を学ぶことが大切だ」という意味で弟子たちに話していたとも言われています。
子曰、飯疏食飮水、曲肱而枕之、樂亦在其中矣、不義而富且貴、於我如浮雲
この論語は「子曰く、疏食(そし)を飯(くら)い、水を飲み、肱(ひじ)を曲げて之を枕とす。楽しみ亦た其の中(うち)に在り。不義にして富み且つ貴(たっと)きは、我に於て浮雲(ふうん)の如し。」と読みます。
これは「粗末な食事をして肘を枕にして眠る。そういった生活のなかにも楽しみはある。自分がするべきではないことをして財産や高い地位を得る、そんな生き方は私によっては浮雲のようにはかないように感じる。」という意味になります。
自分にとっての本当の幸せとは何なのかということを考えさせられる論語のひとつです。するべきではないことをして大きな富や高い地位を得ることが本当に幸せなのかということを説いています。
子曰、後生可畏也、焉知來者之不如今也
この名言は「子曰く、後生(こうせい)畏(おそ)る可し、焉(いずく)んぞ来者の今に如(し)かざるを知らんや」と読みます。「若者たちはまことに畏敬すべき存在である。これからだという将来の彼らが、現在の私たちに及ばないことがあろうか」という意味です。
「後生」は自分よりも後に生まれた人、すなわち後輩や若い人たちのことを指し、「畏る」はおそれ尊敬することを意味しています。この名言からも分かるように、孔子は若者たちのことをとても評価していました。
またこれは「若い人たちには将来に希望がある」ということを意味している名言でもあり、孔子の言葉のなかでも特に有名な名言・格言のひとつです。
論語の名言の現代語訳と意味【人間性】
論語には多くの孔子の言葉がまとめられており、ここまで人生の教えに役立つ論語や哲学的な意味を持つ論語について紹介してきました。最後に人間性に関する論語の名言・格言の現代語訳と意味について紹介しましょう。
子夏曰、小人之過也必文
この名言は「子夏曰く、小人の過(あやま)つや、必ず文(かざ)る。」と読み、「小人が失敗をすると、きっとあれこれと言い訳をしてごまかそうとするものである」という意味になります。
先程も述べたように「小人」はつまらない人や徳・学問がない人のことを言います。また、この論語での「文る」は「うわべをかざる」もしくは「とりつくろう」という意味であり、ミスを素直に認めない態度のことを表します。
この名言は孔子ではなく、孔子の弟子である子夏の言葉です。自分自身の行いや態度を見直すきっかけをくれる論語のひとつと言えるでしょう。
子曰、君子成人之美、不成人之悪、小人反是
この論語は「子曰く、君子は人の美を成し、人の悪を成さず、小人は是(これ)に反す」と読み、意味は「君子は人の良いところや成功を喜び成就することを願い、欠点や失敗については喜んだりそそのかしたりしない。しかしつまらない人はその逆をする。」です。
「他人の長所や成功を心から喜び褒める人でいなくてはいけない」ということを孔子は説いており、この論語は現代のビジネスマンにとっても自分自身のことを見つめなおすきっかけとなる名言のひとつと言えるでしょう。
子曰、不患人之不己知、患己不知也
この名言は「子曰く、人の己を知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患うるなり。」と読み、意味は「他の人が自分のことを理解してくれないことよりも、自分が他の人のことを認めようとしないことを心配しなさい。」という意味になります。
仕事をするなかで周りの人たちが自分のことを認めてくれないと悩んでしまうこともあるかと思いますが、孔子は他人が自分のことを理解してくれないことを悩むよりも、まずは自分が周りの人の良いところや価値を認めるように努力するべきであると説いていました。
子曰、君子和而不同、小人同而不和
「子曰く、君子は和して同せず、小人は同して和せず。」と読むこの論語は、「君子は他者との調和して上手くやっていくが、他者に流されたりはしない。しかしつまらない人は他者に振り回されたり媚びたりするが、他者との調和は求めていない」という意味になります。
周囲の人と調和し上手くやっていくが、軽々しく妥協して周りに流されたりしないことが本当の賢さであり、君子のあるべき姿であると孔子は説いていました。
論語の名言を人生に生かそう!
今回は孔子の言葉がまとめられている論語の名言・格言についていくつか紹介しました。論語は古代中国に作られたものではるか昔の思想や教えではありますが、現代を生きる私たちにとってもとてもタメになるような言葉がたくさんあります。
今回は「人生の教え」「哲学的」「人間性」に関する論語の名言・格言についていくつかみてきましたが、これら論語に載っている名言・格言をぜひ今後の人生に生かしていきましょう。