「慚愧」の意味とは?
「慚愧(ざんき)」の意味とはいったいどんな意味があるのでしょうか。今回は、「慚愧(ざんき)」の意味や類語、対義語、使い方を例文をご紹介しながら解説していきます。
「慚愧(ざんき)」とは日常的にはあまり使わない言葉になっているので、どんな意味があるのか使い方例文など分からない方も少なくないでしょう。
今回は、「慚愧(ざんき)」の意味や使い方例文、類語、対義語を網羅した内容になっているので最後まで読めば、「慚愧(ざんき)」について正しい理解をすることができます。
それぞれの項目について詳しい解説をしていきましょう。また、「慚愧」を使う場合の注意点についても解説していくので、間違った「慚愧(ざんき)」の使い方にならないように十分注意して下さい。
最後に「慚愧(ざんき)」に由来や歴史についても触れていきます。「慚愧(ざんき)」の由来や歴史を知ることで、「慚愧(ざんき)」の言葉ができた成り立ちを知ることができ、より正しい「慚愧(ざんき)」の理解を進めることができるでしょう。
それでは、「慚愧(ざんき)」の意味から解説していきます。「慚愧(ざんき)」の意味にはどんな意味があるのでしょうか。
意味「自分自身の行いを恥じる」
「慚愧(ざんき)」の意味とは、自分自身の行いを恥じるという意味があります。「慚愧(ざんき)」という言葉に響きから「残念」という意味で使う言葉という意味と思っている方も少なくないでしょう。
もちろん、「慚愧(ざんき)」には、自分の罪を悔やむという意味での「残念」という気持ちも含みます。しかし、「慚愧(ざんき)」には、自分自身の行いを恥じるの「恥」の概念が前提となる意味の言葉になっているのです。
「慚愧(ざんき)」の意味には、自分自身の他に、身内の罪を深く恥じている気持ちと反省している気持ちでもあるのです。責任の一旦を担っていることを意味する言葉でもあります。
「慚愧(ざんき)に堪えない」という使い方例文がありますが、この使い方例文の意味としては「自分自身と他人に対して、自分の行いや罪を感じる気持ちを我慢できない」という意味での使い方例文になっているのです。
よって、「自身と他人に対して、恥ずかしい気持ちで一杯」という意味の使い方例文となるのです。もう少し分かりやすく表すと、「自身も反省しているとともに、皆様に対しても申し訳ないと思っています」という気持ちを意味する使い方例文となります。
「慚愧」には、このように「恥じること」という意味がある言葉になっています。「慚愧」には、類語や対義語がいくつかあるのですが、なかでも「後悔」は「慚愧」の類語となるのです。
後ほど、「後悔」と「慚愧」の違いについて詳しく解説していきますが、「慚愧」には「後悔」よりもより深い反省の意味や罪を恥ずかしいと思っている気持ちといった気持ちが深い意味となります。
「慚愧」の対義語・類義語
「慚愧(ざんき)」の対義語と類義語についてご紹介していきましょう。「慚愧(ざんき)」には対義語も類語もある言葉になっているのです。それぞれの「慚愧(ざんき)」の対義語と類語について意味と使い方例文をご紹介していきましょう。
「慚愧」の対義語
それでは、「慚愧(ざんき)」の対義語からご紹介していきましょう。「慚愧(ざんき)」の対義語として今回は、2つの対義語をご紹介していきます。それぞれの読み方と意味と使い方例文をご紹介していきましょう。
「慚愧」の対義語「無慚(むざん)」
「慚愧(ざんき)」の対義語に「無慚」があります。「無慚」の読み方は「むざん」と読みます。「無慚」の意味は、「宗教上の決まりを破っているのに、心に恥じない」という意味があります。「慚愧(ざんき)」とは、対象にある言葉としてあります。
間違ったことをしていることに対して、恥じる心がない状態のことも意味しているのです。「慚」には、「自身に対する恥じる気持ち」という意味があるので、その対義語である「無慚」はそれがないという意味の言葉となります。
「慚愧」の対義語「無愧(むき)」
「慚愧(ざんき)」の対義語として「無愧」があります。「無愧」の読み方は「むき」と読みます。意味は、「悪事をしても恥じないこと」という意味があります。
「慚愧」とは対義語の関係にあって、悪い事を働いても恥じる心がない状態の意味があるのです。日常では使わない言葉でもあるのですが、仏教用語として使われています。
「慚愧」の類語
「慚愧(ざんき)」の類語についてご紹介していきます。「慚愧(ざんき)」の類語に関しては「慚愧(ざんき)の堪えない」の類語についてもご紹介していきましょう。それぞれの「慚愧(ざんき)」の類語の意味と使い方例文、読み方についてもご紹介していきます。
「慚愧」の類語「忸怩(じくじ)」
「慚愧(ざんき)」の類語に「忸怩」があります。「忸怩」の読み方は「じくじ」と読みます。意味は、「自らの言動を深く恥じる」という意味があります。「忸怩」というのは、自身の行動を恥じるという否定的な言葉として使われる言葉になっています。
そのため「慚愧(ざんき)」となるのです。そして、「失敗」「不祥事」「未達成」という時にも「忸怩」を使います。使い方例文として「今回の失敗は、忸怩たす思いでございます」といった使い方になるのです。
「慚愧」の類語「自責」
「慚愧(ざんき)」の類語として「自責」があります。「自責」の読み方は「じせき」と読みます。意味は、「自分で自身の間違いをとがめる」という意味です。「自責」には。自身の過ちを自分でとがめる意味と自分に責任があると感じるという意味があります。
「自責」を一歩追い込んで反省している状態を「慚愧(ざんき)」で表現しまう。対外的に大変大きな失態や不祥事をしてしまった場合は「自責」ではなく、「「慚愧(ざんき)」を使うことをおすすめします。
「今回、目標達成しなかったのは、私の責任です。自責の念をこめて、新たな目標を必ず達成することを部下に指示しました」となります。
「慚愧に堪えない」の類語「恥入る」
「慚愧(ざんき)も堪えない」の類語として「罪を反省する」という類語があります。具体的には「悔やんでも悔やみ切れない」「忸怩たる思いである」「痛恨の極み」「恥入る」があります。それぞれビジネスシーンでも使える使い方例文でもあるので使ってみましょう。
「慚愧」の使い方・例文
「慚愧(ざんき)」の使い方・例文についてご紹介していきましょう。「慚愧(ざんき)」の使い方・例文を知ることでより正しい「慚愧(ざんき)」の使い方ができるようになります。
「慚愧(ざんき)」はあまり聞くことがない言葉にもなっているので、間違いやすくもなっているので注意して下さい。それでは、「慚愧(ざんき)」の使い方・例文4つご紹介していきましょう。
例文①
「慚愧(ざんき)」の使い方・例文として「「慚愧(ざんき)に堪えない」があります。例えば、「この度は、弊社の社員がこのような事件を起こしたことは、慚愧(ざんき)に堪えません」となります。恥ずかしい気持ちの意味がある使い方例文となります。
例文②
「慚愧(ざんき)」の使い方・例文として「慚愧(ざんき)の至り」があります。例えば、もっと管理に慎重になっていればと「慚愧(ざんき)の至りでございます」となります。この意味には、後悔が行き渡っている状態を表していて深く反省している時に使う例文になっているのです。
例文③
「慚愧(ざんき)」の使い方・例文として「「慚愧(ざんき)の念」という例文があります。自分自身の行いを恥じて反省する気持ちという意味があります。「今回の失敗に対して「慚愧(ざんき)の念があります」となります。
例文④
「慚愧(ざんき)」の英語例文もご紹介していきましょう。「慚愧(ざんき)」の英語表現では、「shame」となります。「慚愧に堪えない」の英語例文では、「be overwhelmed with shame」「feeling deeply ashamed of oneself」「be really ashamed」といった英語での例文があります。
「慚愧」と「後悔」の違い
「慚愧(ざんき)」と「後悔」には違いがあります。「後悔」は「慚愧(ざんき)」の類語にもなるのですが、「後悔」と「慚愧(ざんき)」には違った意味があるので解説していきましょう。「後悔」の使い方・例文と意味についても解説していきます。
「後悔」は「自分の行いを悔やむ」という意味
「慚愧」には、類語として「後悔」があります。「後悔」と「慚愧」は近い意味はあるのですが、2つの言葉には違いがあります。「後悔」の意味には「自分の行いを悔やむ」という意味があります。
「慚愧」と比べてみると、悔やんだ後に反省の意味が込められていないという違いがあるのです。深い反省や恥じる感情も「後悔」では表すことができません。
悔やんでいることを表す意味として「一夜漬けで試験をしなければよかったと今更になって後悔しています」というような使い方ができます。
「慚愧」には、自分の行いを悔やむことのみではなく、深く恥入って、反省している気持ちや良心の叱責を感じる気持ちという意味がある言葉であるのです。
「後悔」には、ただ単に自分の行いに対して悔やむ気持ちをいう意味があるので、「慚愧」と比べると重みが軽くなっている言葉となります。また、「慚愧」は、軽々しい感じで使う言葉ではありません。大変重要な響きをもった言葉になっているのです。
日常会話で軽々しく使っていいような言葉ではないので、覚えておきましょう。大変重大な間違いを犯してしまったことに対して、心から悔いていることを伝えるための言葉になります。大掛かりな謝罪の場面で使われることがふさわしい言葉にもなっているのです。
「慚愧」を使う際の注意点
「慚愧(ざんき)」を使う場合、注意してもらいたいポイントがあります。「慚愧(ざんき)」の注意点として他人には仕えない言葉になっていて、自分自身や身内のことについてのみ使うことになっているので注意しましょう。
他人に対して使う言葉ではないことを注意点として覚えておいて欲しい言葉でもあります。間違っても他の人に対して使うことがないようにして下さい。
他人に対しては使えない
「慚愧」は、自身の後悔の念という気持ちや恥ずかしく思う気持ちのことを表す意味となります。ですので、自分とは関係があに他人の行動には、「慚愧」は使いません。例を上げてご紹介していきましょう。
例えば、友人が交通事故に合ってしまったとします。自分がその事故に直接的でも間接的でも原因がないのであれば「慚愧」は使いません。事故に対して自分が原因がある場合は「慚愧」と使うこととなります。
「友人が交通事故にあいました。慚愧の至りです」は間違った表現になり、「友人が交通事故に合ってのは、私自身の軽率な判断からです。慚愧の至りです」となるのです。
「慚愧」の由来・歴史
「慚愧(ざんき)」の由来と歴史について解説していきます。「慚愧(ざんき)」にはどういった由来や歴史があるのか理解していきましょう。「慚愧(ざんき)」は、もともと仏教用語としてできた言葉でもあるのです。「慚愧(ざんき)」の由来や歴史について詳しく解説していきましょう。
由来
「慚愧」とはもともとの由来は、サンスクリット語でもあり仏教界で使われていた言葉となります。「慚」には、自分の犯した罪を恥じる心という意味があり、「愧」には、犯した罪を他の人に恥入る気持ちという意味があるのです。
歴史
「慚愧」の「慚」にも「愧」にも「無」をつけることによって、仏教用語となります。「無慚無愧」の意味には「慚愧の心がないこと」「恥知らず」という意味があります。
仏教用語として「無慚無愧のこの身にてまことの心はなけれども」という言葉があります。この意味には、「罪を罪とも思わず恥じる事もなく生きている私に、真実の心はないけれど」という意味となるのです。
現代ではあまり使われない言葉になっていますが、お釈迦様について書かれた「涅槃経(ねはんぎょう)」には、書かれています。「無慚愧は名づけて人とせず名づけて畜生とす。(過ちを恥じる心がなければ人と呼ぶことはできない。)」という使われ方をしています。
「慚愧」は「恥じること」という意味
「慚愧」の意味や使い方、類語、対義語についてご紹介してきました。「慚愧」の意味には、簡単にいうと「恥じること」という意味があります。「後悔」と同じような意味で使うことがありますが、「後悔」と比べるとより重たい意味での「恥じること」を意味する言葉になっています。
「慚愧」は、日常会話で軽々しく使うような言葉ではありません。重大な謝罪の場面で使う言葉になっているので覚えておきましょう。また、「慚愧」は、仏教用語が由来となっています。「慚愧」の由来や歴史を知り、「慚愧」についてより深い理解をしていきましょう。